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神をも畏れぬ女と彼女が畏れる男

「先輩も進歩しませんね」

 目の前で半ベソをかいている大井川先輩に、ボクは本心からなる容赦ようしゃない言葉を投げ掛けた。先輩の目の前には古文の宿題のプリントが四枚。

 この前、ボク発案の大井川先輩攻略法を聞いた二年B組の石塚先輩が、なかばノイローゼみたいになりかけていた古文の宮原先生にその話をしたらしい。そして今、大井川先輩の前に四枚のプリントがあるということは、宮原先生がボクの案を採用し、かつ先輩が二回目の宿題不提出をやらかしたことを意味している。

 それにしてもここ最近、この先輩の家での宿題大会が恒例化しつつあるのは、ボクにとってはあまりありがたくない傾向だ。

「虐待だ」

 先輩が涙声で不平を口にする。

「たった二回宿題を忘れただけで、宿題の量が四倍なんて」

「その発想は逆恨みってものですよ」

 わざと平静な口調で先輩に釘を刺すと、ボクは差し入れ代わりに持参した「厳選タマゴとこだわり牛乳のプレミアムプリン」を一匙ひとさじすくって口に入れた。先輩の分のプリンはお預けをくらって手付かずのままだ。

「だいたい二回も続けて宿題を忘れるなんて、学生にあるまじき所業です。九世紀の中国だったら、鞭打ち百回に相当する大罪ですからね」

 口の中にタマゴの濃厚な旨みと、カラメルシロップのコクのある甘さが広がる。

「それをたったプリント四枚でゆるしてくれるなんて、宮原先生はまるで神様みたいな人ですよ」

「…い、今の話は本当か?」

 先輩が唇まで真っ青にしながら声を震わせた。

「何がです?」

「昔の中国では、二回宿題を忘れると鞭打ち百回の刑だったのか?」

「…まあ、それはウソですけど」

「ウソだと!?」

「はい、ウソです。でもあと三十分以内に宿題を終わらせないと、プリン没収の刑にはなります」

 ボクは先輩の分のプリンを、これ見よがしに自分の近くへ引き寄せる。

「わあああぁ! 陽輔の鬼ぃぃぃぃ!!!」

 先輩、ホントに目に涙を浮かべてる。それくらい必死に宿題やれば、三十分どころか五分かそこらで片付くだろうに。

「分かった! 宿題の苦痛とプリンへの渇望かつぼう身悶みもだえする私を見て、自分の暗い欲望を満たしているんだな!?」

 先輩が胸元を両腕でガードするような仕草を見せながらボクをなじった。このネタも少し飽きてきたなあ。

「だが、陽輔のそのアブノーマルな欲望を受け止められるのはきっと私だけ…」

 まったく見当違いの決意が秘められた先輩の目が、ボクにキッとばかりに向けられた。

「心配するな陽輔! たとえ世界中の女性がお前を拒絶したとしても、私がきっ…」

 テーブルの脇に投げ出されていた教科書から、なるべく薄い美術の教科書を選び出すと、ボクはそれを先輩の頭に垂直に打ち付けた。

 コーーーーーン!

「いったああぁぁぁーーー!!!!!」

 先輩が頭のてっぺんを押さえながらのたうち回る。

 そのネタ、もう飽きたって言ってるでしょ? どんだけボクを変態キャラにしたいんですか。


 ピンポーン


 その時、先輩の苦痛の叫びの余韻と入れ替わるように、呼び鈴(チャイム)が家の中に響き渡った。

「いたた…。 そうか、お母さん買い物で出掛けていたっけ」

 目に涙を浮かべた先輩はそうつぶやきながら立ち上がると、ヨタヨタとした足取りで玄関に向かう。やがてサムターンを回すガチャリ、という音がしたかと思うと、「はい」と言いながら先輩が玄関の扉を開ける気配が伝わってきた。

 ちょっと先輩、インターホンで相手を確かめもせずにドアを開けるなんて、少し無用心じゃないですか?

「こんにちは、お忙しいところすいません」

 玄関の方から、先輩とは別の若い女の人の声が聞こえてくる。

「私、この近くにあります『真理の光輪』三好台(みよしだい)支部から参りました」

 あ、これ新興宗教の勧誘だ。

 もちろん新興宗教がみんな怪しいワケじゃないが、信者から金品を巻き上げる悪質宗教とか、怪しげなカルト教団とかあるからなぁ。雲行きが怪しくなったら、ボクも出ていった方がいいのかな?

「今日は私共の教義について、ちょっとお話をさせて頂けたらと思いまして。いえ、お時間は取らせません」

「はあ…。でも私、スポーツはあまり得意じゃなくて」

 先輩の困惑したような、かつ噛み合っていない回答がボクの耳まで届いた。

「え…?」

 これまた困ったような女の人の声。

「い、いえ。今日私が来たのはスポーツの話ではなくて…」

「だってお姉さん、今『私共の競技』って…」

「あ、そのキョウギではなくてですね、神の教えというか、宗教上の主張のことです」

 この女の人、メンドクサイ家にきちゃった、とか思ってるんだろうなあ、今。

「…あの。難しいことはちょっと分からないんですが」

 先輩のバツが悪そうな声がする。

 そうでしょうね、こんな小学生レベルの宿題で頓挫とんざするくらいの学力ですしね。

「いえいえ、ぜんぜん難しい話ではありません。例えば、あなたは神様っていると思いますか?」

 やっと本来の話に戻れたせいか、急に女の人の声が意気込み出した。

「はい。今うちにいますケド」

 …?

 ちょっと先輩が何を言ってるのか分からない。

「ここにいる…んですか?」

 女の人も分からないらしい。それはそうだ。分かったらコワいよね。

「ええ。今宿題教えてもらってます」

「神様にですか?」

「はい」

 ちょっと待って下さい。その神様ってまさか…。

「もしかして家庭教師さん、とか?」

「いえ、学校の後輩です」

「ああ、学校のお友達ですか」

 女の人の声がまた戸惑った調子に戻った。ボクとしては「後輩に宿題教えてもらう」っていう部分に突っ込みが欲しかったけど、まあそれは高望みというものだろう。そのはるか前の段階で話がつまずいてるし。

「あなたにとっては、神様と同じくらい尊敬できるお友達なんですね」

「神様そのものです」

 なんで先輩が自慢げなんですか。

「とても優しくて、いつも私のことを心配してくれます」

 あなたがいつも心配ばかりかけるからですよ。それと、先輩が思ってるほど優しくないですからね、ボク。

「…でもね、本当の神様というものは優しいばかりじゃないんですよ。私達が間違った道に進みかけた時は、厳しくいさめて過ちを正してくれます」

 女の人が粘り強く話を続ける。何て健気けなげな人なんだ。

「陽輔だって厳しいぞ! さっきも二回連続で宿題を忘れたせいで、教科書の背表紙アタックを喰らったんだ!」

 背表紙アタックは宿題を忘れたせいじゃないでしょ! あなたがボクを変態キャラに仕立て上げようとしたからでしょ!?

「しかも今の口ぶりは何だ? 陽輔が本当の神様じゃないみたいじゃないか!」

 いや、……だって実際に神様じゃないですもん。

「お姉さんなんかに陽輔の何がわかる!? 帰れ!」

「あ、あの。ちょっと!」

 大井川先輩の怒号一発、女の人が玄関から押し出され、ドアがバタンと閉じられる音が家中に響き渡った。

「まったく失礼極まりない!」

 プンスカ怒りながら先輩が部屋に戻ってくる。可哀想にさっきの女の人、先輩との宗教戦争に敗れた傷を引きりながらこの後も勧誘を続けるんだろうか。

「聞こえてたか?」

 先輩が上目遣いにボクの表情をうかがう。

「それはもう、バッチリと」

 あんなに大声でやりあってればそりゃ聞こえます。ボクどころか、向こう三軒両隣まで聞こえてますよ、きっと。

「私にとっては、陽輔が神様みたいなものだ…」

 先輩がちょっと照れ臭そうにポツリとつぶやいた。じゃあ早く宿題終わらせて下さい。じゃないとボクも家に帰れないんで。

「…たとえどんな特殊性癖を持っていようともな!」


 ………えっと、さっきの美術の教科書、どこに放り出したかな。

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