誰がために微笑む 誰がために闘う 誰がために鐘は鳴る
昼休み。
今日みたいにホッとできる昼休みはかなり久しぶりだ。なぜなら奇跡的に大井川先輩をまくことに成功したから。
普段なら先輩は四限目終了のチャイムが鳴りやむかどうかというタイミングでボクの教室に突撃してくる。瞬間移動でもしてるのかっていうくらいの早さだ。だが何を手間取ったのか、今日に限って先輩は姿を現わさなかった。ボクはこれ幸いと弁当をひっ掴んで教室を飛び出し、陽当たりのいいこの体育館脇の階段に腰掛けて平和な昼休みを過ごしているというわけだ。
弁当を食べ終わり、暖かな陽射しを顔に受けてぼーっとしていると、トロトロとしたまどろみが訪れて思わずそっと目を閉じる。
ああ、こんな平和な昼休みが毎日やってこないものか。
そんなことを考えながら陽射しとそよ風に全身を委ねて目を閉じているところに、突然隣に誰かが腰を下ろす気配があった。ヤバい。先輩に見つかったか?
慌てて目を開くと、ニコニコ笑いながらボクの隣に座る小柄な女子生徒と目が合う。
「ゴメン。お邪魔しちゃった?」
「内野先輩!?」
思わず声が上ずった。
この内野美佳子さんは我が校で一、二を争う美少女で、大井川先輩と同じ二年生。確かクラスも同じB組だったはずだ。
大井川先輩とはあらゆる面で対照的な人で、大井川先輩がスラリとしたファッションモデルのような体型の美人であるのに対し、内野先輩は低い身長にショートカットの髪と童顔が相まって可愛らしい印象を受ける。性格面でも大井川先輩が奇特な言動で周囲から敬遠されているのに対し、内野先輩は常に絶やさぬ笑顔と人懐っこい性格のために、その周囲にいつも人が集まる人気者だ。
そんな学校のスーパーアイドル、内野先輩がボクなんかにいったいどんなご用向き?
「私のこと知ってるんだ?」
先輩の言葉に黙ったままコクリと頷く。
そりゃそうだ。先輩のことを知らない人なんて、この学校に一人だっていやしない。
「嬉しいな」
先輩がこぼれるような笑顔を見せながらそう言った。
いったいどんな奇跡だ、これは。内野先輩と二人きりという誰もがうらやむシチュエーションに加え、先輩の笑顔を独り占め。
神様、これはいつも大井川先輩がもたらす災厄に健気に耐えるボクへのご褒美ですか? ご褒美なんですか?
「どしたの? ボーッとして」
そう言ってボクの顔を覗き込む瞳もキラキラして綺麗だ。
「い、いや。先輩に声を掛けてもらえるなんて、ちょっとびっくりしちゃって…」
ヤバい。今ボクの顔、絶対真っ赤になってる。
「そっか、ゴメンゴメン。一度も話したことないのに、いきなり声掛けられたらビックリするよね」
階段に腰掛けた先輩が笑いながらポンと足を前に投げ出した瞬間、ちょっと短めのスカートが翻って思わずドキッとした。
「でも私、けっこう前からキミのこと知ってたよ?」
「え?」
思わず先輩の顔をまじまじと見返す。
「ヨースケくん、だったよね…」
何でだ? 何で内野先輩がボクの下の名前まで知ってるんだ?
「…さっちゃんがいつもそう呼んでるから、私も覚えちゃった」
「さっちゃん?」
「うん、里美ちゃん。大井川里美ちゃん」
ああ… そういうことか。内野先輩、大井川先輩と同じクラスだから。
「いつも見てるけど、キミすごいよね。キレたり見捨てたりしないで、あのさっちゃんに付き合ってるんだもん」
「そろそろ見捨ててもイイですかね? ここまでやったらバチも当たらないと思うんですけど…」
さっきまでの幸せな気分もどこへやら、ボクはちょっと目に涙を浮かべそうになりながら内野先輩に訴えた。
「どの道、地球の果てまで追い掛けられるよ」
なぜか心から楽しそうに内野先輩が笑う。
先輩、そんなめっちゃイイ笑顔で死刑宣告しないで下さい。
「だってさっちゃん、キミのこと話す時すごく嬉しそうだしね」
「大井川先輩、まさか内野先輩にボクの話してるんですか?」
「うん。さっちゃん、かなり大きい声で話すから、うちのクラスじゃキミ結構有名人だよ。女子達は『大井川さんにスゴく我慢強い年下のカレができたらしい』って噂してるし、男子の間じゃ『あの大井川と渡り合える猛者が一年にいる』って恐れられてる」
「どっちにしても深刻な誤解ですね」
すると内野先輩がビックリしたような顔で大きな目をパチパチさせた。
「付き合ってるんじゃないの? さっちゃんと」
「何とも致命的な誤解ですね」
自分でも気付かないうちに、なんて重い十字架を背負わされてるんだ、ボクは。
「へー、意外」
思わず先輩の表情を窺うが、そこに冗談やからかうような気配はまったくない。恐いことに、先輩は一から十まで、混じりけなく、徹頭徹尾真剣そのものだった。
「でも益々スゴいね。付き合ってるわけでもないのに、さっちゃんにあんな嬉しそうな顔させられるなんて」
「いつだって始終嬉しそうじゃないですか、あの人」
深い、ひたすらに深い溜め息と共に言葉を吐き出す。
だがそれに対する内野先輩の反応はまったくボクの予想外だった。口を固く引き結び、真剣な顔で首を左右に振ると、怒ったような口ぶりでボクに告げる。
「さっちゃん、誰にでもああいう顔をするわけじゃないよ。実際キミと会うまでは、あんな風に気ままに振る舞うのは私の前でだけだった」
先輩の言葉が頭に染み込むまで少し時間が掛かった。
「もしかして内野先輩…」
「うん。さっちゃんとは小学校からずっと一緒」
内野先輩が笑顔に戻る。
「さっちゃん、小学校からずっと私にベッタリだったから、ちょっと嬉しいの。さっちゃんが自然に話せる人が増えたんだもん」
「ご苦労なさったんですね…」
思わず本気で涙ぐんだ。ボクの他にあの苦労をしてた人がいたなんて。しかも十年近く。
「もうとっくに慣れたよ。キミもすぐに慣れるって」
そう言いながら先輩が悪戯っぽく笑った。
「慣れるとけっこう操縦簡単だよ、あのコ」
「言うこと聞かなかったらエサで手なづける、とかですか?」
「ヒドいなー。ヨースケくん」
言葉とは裏腹に、お腹を抱えて楽しそうに笑う内野先輩を見ていて思う。内野先輩とこうして話せるのって、大井川先輩と知り合ったことによる初めてのメリットなんじゃないだろうか。
「あれでもさっちゃん、キミと知り合ってからけっこう変わったんだよ。勉強ちゃんとするようになったり、遅刻が減ったり…」
先輩はそこで言葉を切り、顔をずいっと近付けるとボクの目をじっと見つめた。
「『どうしたの急に?』って聞いたら、『陽輔に怒られるからな』だって。あのさっちゃんが」
何ですと? あの傍若無人な大井川先輩が?
何も返事をできずにボーッと先輩の目を見つめ返していると、突然聞きなれた声が背後から聞こえた。
「あ~~~! やっと見つけたぁ!!!」
振り返った先に立っていたのは、もちろん言わずと知れたあのお方、大井川先輩。やましいことは何もないはずなのに、内野先輩と間近に顔を寄せ合っているところを見られたせいかドキリとする。
「陽輔、何で黙っていなくなるんだ!」
飼い主を見つけた犬みたいな勢いで駆け寄ってきた大井川先輩が、ボクの左腕にガシッとしがみついた。
「たまにはボクにも一人きりの時間を楽しむ権利がありますよ」
普段のペースに急激に引き戻されたせいで、テンション低めの返事が口から漏れる。
「私と一緒にお昼を食べる権利もあるぞ!?」
「モロにバッティングしてますね。その二つの権利」
「じゃあ後者優先だな!」
「後者の権利を放棄します。断固します」
ボクの腕を掴む先輩の手に更に力がこもった。
「相変わらずヒドイぞ、陽輔!!!」
いや、そんな必死になられても困ります…。
「あはは、二人ともホントに仲イイねえ」
ボク達のやり取りを横から見ていた内野先輩が楽しそうに笑う。
「そう言えば、なんでみかっちが陽輔と一緒にいるんだ?」
大井川先輩が頬をプクッと膨らまして言った。間近で見ると釣り上げられたクサフグみたいだ。
「ちょっと見かけたから話し掛けただけだよ? …あれあれ~、ヤキモチぃ? さっちゃん」
その言葉を聞いた大井川先輩が、掴んだボクの腕をギュッと引き寄せる。
「…やらないぞ?」
内野先輩を上目遣いに睨みながら、大井川先輩がボソッと呟いた。
「いくらみかっちでも、陽輔はやらないぞ!?」
そのあなたが主張する所有権、ボクは承認した覚えがまったくありませんが?
「え~、ずるいよ。ヨーちゃん独り占めなんて」
内野先輩がボクの右腕に抱き付きながら大井川先輩をからかう。
「『ヨーちゃん』って何だ!?」
「ヨーちゃんはヨーちゃんだよ。ね、ヨーちゃん?」
内野先輩の甘えたような口調って破壊力バツグンだ。でも先輩、あんまりこの人を焚き付けないで下さい。後が面倒なんです。
「離れろ、みかっち!」
「や~だ~」
学校の美少女TOP2が自分の両腕に抱きついているという、男なら誰もが夢見るようなシチュエーションなのに、なぜ波乱と困難の予感しかしないんだろう。
その時学校に鳴り響いた昼休み終了の予鈴は、まるでボクの平穏な時の終了まで告げているみたいだった。