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最終話 勝負の行方は線路の彼方に

 八月三十日。

 明日で長かった夏休みも終わりというこの日、ボクはこの夏自分の家にずっと滞在していた彩音ちゃんが実家に帰るのを見送るために、彼女を伴って最寄りの駅まで来ていた。

 高校一年のボクの夏休み。思い返すに、まったくヒドイ始まりかたをしたものだ。

 一学期最後の日に二人の先輩の電撃家庭訪問を受けたことに始まり、志望校の下見を兼ねて我が家に滞在するため訪れていた従妹いとこの彩音ちゃんまで巻き込んでのデートイベント開催決定。

 そういえばボクはこの夏休み中に、二人の先輩と彩音ちゃんのうち、誰をパートナーとして選ぶのかを決めなければいけないんだった。

 結局ボクは三人それぞれと「海」、「夏祭り」、「花火大会」に行ったものの、その後四人が集まる機会は一度もなく、ボクの選択の結果が発表されないままに彩音ちゃんが帰宅する今日を迎えたわけだ。

 他の二人にはいつでも伝える機会はあるとして、今日で自分の家に帰る彩音ちゃんには、今この場でボクの気持ちを伝えなければならない。

 上り電車の発着ホームのベンチにボクと並んで座る彩音ちゃんは、何かのCMソングだったような気がする曲を口ずさみながら足をプラプラさせている。

 夏休みとはいえ平日の午前十一時。ホームにはほとんど人の姿はなく閑散としている。

 彩音ちゃんはなぜか、一番手だった内野先輩と海に行った時には、その日あったことを根掘り葉掘りたずねたにも関わらず、最後の大井川先輩との花火大会については何一つ質問をしなかった。

 彩音ちゃんが乗る電車の到着まであと十分あまり。そろそろ話を切り出さなければいけない。

「ねえ、彩音ちゃん」

「うん?」

 ボクの呼び掛けに、彩音ちゃんが視線を前に向けたまま声だけで答える。

「夏休みが始まる前、内野先輩と大井川先輩と決めたイベントのことなんだけどさ……」

 その言葉にも、彩音ちゃんの目は前を見据えて動かない。

「あんまり聞きたくないな、それ」

 女の子ってコワイ。

 彩音ちゃんのその沈んだトーンの言葉を聞いた時、ボクは正直そう思った。

 まだ十二才の彩音ちゃんでさえ、ボクの選択の結果を何らかの要因から感じ取っているのだ。そして、その推測はおそらく正しい。

「聞きたくないから、彩音が当ててあげるよ!」

 やっとこちらを向いた彩音ちゃんが、突然明るい口調で宣言した。

「…………大井川さんでしょ?」

 ハッとした。彩音ちゃんの目にうっすらと涙が浮かんでいる。

「……どうして分かったの?」

 彩音ちゃんの言葉を否定はしなかった。否定なんかすることに、何か意味があるだろうか。

「初めて大井川さんに会った時から、なんとなくは分かってたけど……」

「それは嘘でしょ? いくら何でも」

 思わず彩音ちゃんの顔にまじまじと見入った。ボク自身でさえ、花火大会のあの日までは大井川先輩に対する自分の心情を定義しかねていたというのに。

 いや、もし「定義」という言葉を使うのなら、今この時だって自分の心を定義などできていない。

「嘘じゃないよ。陽ニィ、大井川さんにだけはゼンゼン遠慮しなかったじゃない。私や内野さんにはいくらか距離を取ってたのにさ」

 分からない。自分ではまったくそんなつもりはなかった。

「だから私、自分の番の夏祭りの時に目一杯わがままを言ったのに、陽ニィはなんでも笑って許してくれて……」

 彩音ちゃんが口を尖らせてボクをにらむ。

「もしあれが大井川さんだったら、陽ニィ遠慮なくしかって、文句言って、ケンカしてたでしょ?」

 はっとした。

 いつだったか、内野先輩にも同じことを言われた。


“さっちゃんはいつもヨーちゃんのそばにいる。しかってもらえるくらい近くに。おきゅうを据えてもらえるくらい近くにいる。いつでもいる”


 やっぱり女の子ってコワイ。

 ボク自身にもはっきりしないボクの気持ちを、二人の女の子がそろって言い当ててみせる。これはちょっとしたホラーだ。

「ごめんね、彩音ちゃん」

「ダメ。謝ってもゆるしてあげない。陽ニィのウソツキ。バカ、エッチ。変態、女ったらし!」

 彩音ちゃんのグサグサと突き刺さる容赦ない非難にかぶさるように、電車の到着を告げるアナウンスがホームに流れた。

 彩音ちゃんはベンチから立ち上がると、ホームの白線前まで

トコトコと歩いていく。ボクはその背中に何も声を掛けられず、黙って彩音ちゃんの後に従った。

「あ! いた、あそこ」

 突然背後から叫び声が聞こえる。

 ボクと彩音ちゃんが振り返ると、ホームに続く階段を大井川先輩と内野先輩が必死に駆け降りてくるところだった。

「おーい、彩音ちゃーん」

 二人がこちらに手を振りながら転げるように走り寄ってくる。

「二人とも、どうしてここに?」

 面食らったボクが、ハアハアと息をきらせる二人にたずねた。電車の時間はもちろん、彩音ちゃんが今日実家に戻ることすら二人には知らせていないのに。

「バカ者、彩音ちゃんの見送りに決まっているだろう!」

「イベントの結果を聞きにヨーちゃんの家に行ったら、お母さんが彩音ちゃんのこと教えてくれたんだよ」

 大井川先輩の罵声ばせいと、内野先輩の事情説明が同時に飛んでくる。

「陽輔。彩音ちゃんが帰る日くらい、私たちにちゃんと教えておけ!」

 はい、ゴメンナサイ。でも大井川先輩、彩音ちゃんと顔合わせるたびにバチバチと火花散らしてたじゃないですか。

「わざわざ見送りに来てくれるなんて、敗者へのはなむけというワケですか?」

 ちょっとツンツンした口調で、彩音ちゃんが二人に突っかかる。

「敗者?」

 内野先輩が小首をかしげた。大井川先輩の方は、ちょっとバツが悪そうに目をらす。

「はい。『夏休み ヨーちゃん争奪デート大会』の勝者は私じゃありませんでした」

 彩音ちゃんの乗る上り方面の電車がホームに入り、徐々にスピードを落としていく。

「だけど大井川さん……」

 沈んだ表情から一転、彩音ちゃんが突然勝ち気な笑みを顔に浮かべた。

「これで終わったと思わないで下さいね。私、まだ陽ニィのコトあきらめたわけじゃないですから」

 電車が完全に停止するのと同時に足元のバッグを拾い上げた彩音ちゃんが、仔猫みたいな素早さでボクに駆け寄る。そして大井川先輩にチラリと目を向けると、精一杯背伸びをしてボクの右頬に音高くキスをした。

「にゃあああああぁぁぁぁぁぁ~!!!!?」

 その光景を目にした大井川先輩が絶叫する。いや、叫びというより、もはや奇声だ。

 彩音ちゃんは開いたドアから電車に飛び乗ると、クルリと振り向いてあっかんべーをしてみせた。

「ざまあみろ、大井川里美! いつか陽ニィを取り返してみせるからな!」

 そして、ふと寂しそうな目になってペコリと頭を下げる。

「彩音ちゃん、気をつけて帰ってね。今度、四人でどっか遊びに行こ?」

「こ、こらぁ彩音。またこっちに来るときは連絡しろ! お前とはキッチリ勝負をつけてやるぅ~!!!」

 内野先輩と大井川先輩にニッコリ笑ってうなづきながら手を振る彩音ちゃんの前で、電車のドアが静かに閉じた。

 彩音ちゃんを乗せた上り方面列車が、眠そうにトロトロと走り出す。

 ガラス越しに彩音ちゃんに手を振り返しながら、ボクはチクリとした胸の痛みを感じていた。それは小さな子供の頃、親戚の集まりのお開きの時に必ず感じた、彩音ちゃんとの別れの寂しさとはまた違う痛みだった。

「さてと」

 彩音ちゃんの姿が見えなくなると、内野先輩が急に怒ったような声で言った。

「わたしもイベントの結果分かっちゃったし、ここで失礼しようかな」

 内野先輩のその言葉をかき消そうとするかのように、轟音を立てながら反対側のホームに下り方面の電車が入ってくる。

「みかっち……?」

 大井川先輩が戸惑ったような目を内野先輩に向けた。

「でもさっちゃん……」

 既視感デジャヴだ。ついさっきも同じようなシチュエーションがあった気が……。

「私もヨーちゃんのコトあきらめないよ?」

 そう宣言すると同時に、内野先輩がボクの左頬に素早くキスする。

「にゃあああああぁぁぁぁぁぁ~!!! みかっち、お前までぇぇぇぇぇぇ~!!!?」

「えへへぇ。さっちゃんのために、真ん中は空けておいた」

 そう言うと、内野先輩は停車した下り方面の電車にヒラリと飛び乗った。

「じゃあ私、買いに行きたいものがあるからココでね~。二人とも、明後日また学校で!」

 ドアが閉じ、茫然ぼうぜんとするボクと大井川先輩を残して内野先輩を乗せた電車が動き出す。

 内野先輩と彩音ちゃん、この夏のイベントの敗者である二人が、それぞれ線路の彼方へ去って行く。なんとも不穏なリベンジ宣言を残して。

 ホームには、ポツンと立ち尽くすボクと大井川先輩の二人。

「なあ陽輔……」

 しばしの沈黙を破って、突然先輩が口を開いた。

「何ですか、先輩?」

「みかっちの言っていた『真ん中』って何のことだ?」

 しまった。内野先輩、とんだ置き土産をしていってくれたものだ。

「……さあ、何のことですかね。あんまり気にしないほうが……」

 真ん中、真ん中としきりにつぶやいていた大井川先輩が、不意に「あっ!」と叫びながら顔を上げる。そして恐る恐るといった感じでボクに向き直ると、震える声で「も、もしかして……」と独りごちた。

「先輩、今何を考えてるんです?」

 おびえたボクの質問に答えずに、先輩はワナワナと唇を震わせる。

「……だ、だってしょうがないんだ陽輔。真ん中まで他の女の子に先を越されるわけには……」

「ち、ちょっと待って下さいよ、先輩。ここ、駅のホー……」

 ボクの懇願こんがんは、ツイと背伸びをした大井川先輩の唇によってさえぎられた。

 我が高一の夏休み、三人の女の子のキスにて幕を下ろす。

 ついに奪われた。ボクの記念すべきファーストキス。しかもその相手はよりによってあの大井川先輩。

 けれど、これはボク自身の選択の結果だ。

 あの花火大会の夜、ボクは大井川先輩の襲撃がない自分の生活と、襲撃する相手がいない大井川先輩の生活を想像してみた。けれどその二つのビジョンは、どちらもボクの頭の中でうまく像を結んでくれなかった。

 想像すらつかない世界で生きて行く。そんなことができるほど、ボクは強くも鈍くもない。

「……い、嫌だったか?」

 やっと唇を離した大井川先輩が、震える声でそうつぶやく。

「やっちゃってからそれをくのって、ズルくないですかね?」

 今度はボクの方から、もう一度唇を重ねる。


 きゅるるるるるぅぅぅぅぅぅ~~~~~~~


 何やら、四限目の終了直前によく聞く音がした。それと同時に大井川先輩が顔を真っ赤にしてパッと飛び退く。

「ち、違うんだ陽輔。今のは……、今のは!」

 いや、きっと何も違わない。

 しかし、よりによってキスの最中にそれとは、さすがは大井川先輩と言う他はない。

「先輩、相変わらず燃費悪いですね」

 思わず吹き出した。

 先輩はもはや何も言わずに、真っ赤な顔をしたまま俯いている。

「何か食べて行きますか」

「…………たかるつもりはない」

 先輩が上目使いにボクの顔をうかがう。

「夕食前に餓死されるより、たかられた方がましです」

 何の抵抗もなくそう言えるようになったのが、我ながらスゴい。何の抵抗も感じさせなくなった先輩はもっとスゴい。

「陽輔のそういうところ、やっぱりスキだ」

「何を食べたいですか?」

「そうだなあ、今日の気分は…」

 先輩がキラキラと目を光らせる。

「…韓国海苔とドンブリめ……」


「先輩、お願いですから駅前で普通に食べられるものにして下さいね」





               『大井川先輩とボク』 了

 現在、続編の『Re:大井川先輩とボク』とスピンオフの『Fw:大井川先輩とボク』を連載中です。

 そちらもよろしくお願いします。


                   吉冨けいた

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