夏の浜辺の容疑者尋問
「なんでよりによって海が当たっちゃうかなぁ……」
千葉県の九十九里浜を目指す電車内、横に座る内野先輩が朝から何度目になるか分からない溜め息をついた。
そう、厳正なるアミダくじの結果、内野先輩が見事引き当てたのは「海」だった。結果に「海」としか書かれていない以上、もしかしたら「海で釣り」という選択肢もありなのか? とかいうウケ狙いも頭をよぎったが、まあ普通に考えて「海水浴」のことですよね、この場合。
「内野先輩、もしかして泳げないとかですか?」
「え? 別にそんなコトはないケド」
ハッと顔を上げて、先輩がボクの質問を否定する。
「その割にはずっと憂鬱そうな感じですね」
「別に憂鬱じゃないよ。ただちょっと……」
そこまで言って、突然何かを思い出したみたいにハッとすると、内野先輩がガバッと顔を伏せた。
「……ただちょっと、ちょっと……」
どうしたんだろう。先輩、顔が真っ赤になってるケド大丈夫かな?
「……な、何でもないよ!!! だいたいヨーちゃんが悪いんじゃない! バカ、エッチ!」
急に顔を上げた先輩の大きな声に、車内の他の乗客達の目がボクら二人に注がれる。その気配に気付いて再び俯く内野先輩の口から「六冊も……」というちょっとお馴染みになりつつある呟きが漏れた。
ご、ごめんなさい、内野先輩。ボク何かやらかしちゃいましたか? ……あと、何が六冊?
ギラギラ照りつける真夏の陽射しのもと、ボクはワラワラと人が行き交う九十九里海岸の砂浜で内野先輩の着替えが終わるのを待っていた。当然ボクの方が着替えは早いだろうと予想はしていたものの、それにしても内野先輩が現れるのが遅い。
自分自身が着替え終わってビーチに出てからかれこれ十五分ほどが経ち、そろそろ本気で心配になりかけたころ、ようやく内野先輩が海の家の女性用更衣室から姿を現した。
「お、お待たせ……」
身体をモジモジさせながら、やっと聞き取れるくらいの声で恥ずかしそうにそう呟く内野先輩が身に纏っているのは、真っ白なビキニタイプの水着。ブラとストラップの接続部分とボトムの両サイドが金属製のリングになっているのが、なんとも危うい感じがしてドキドキする。
「ど、どうかな……?」
上目使いでボクに感想を求める内野先輩は、まるで新人のグラビアアイドルみたいだ。
実際のところ内野先輩のきわどいビキニ姿は破壊力満点だが、それはきっと本人に伝える感想としては相応しくないんだろう。
「……す、すごく似合ってます。素敵ですよ」
ああ、こんな時にごくありきたりな感想しか出てこない自分の口が怨めしい。かと言って、まかり間違って「すごくオイシそうです」なんてストレートな感想をうっかり漏らそうものなら、社会的にも物理的にも抹殺されることは疑いの余地もない。
「アリガト……」
内野先輩はボソリとそれだけ口にして、人の間を縫うように波打ち際の方へ歩き出す。レジャーシートとレンタルのパラソルを手に先輩の後を追うボクは、先輩とすれ違うヤローどもが物欲しそうに振り返る光景を何度となく目にした。
やっと見つけたスペースにパラソルとシートを設置し終わったボクは、打ち寄せる波に足を濡らして戯れる先輩のところに近寄っていった。こういうカワイイ水着姿の女の子が波打ち際で佇む図というのは、ボクにとっては雑誌のグラビアページでしか縁のないものだったのに、あろうことか今、目の前に学校きってのアイドルがビキニ姿で立っている。
ボーッと見とれるボクに気づくと、先輩が「ヨーちゃんのエッチ!」と言いながら手で掬った水をパッと顔にかけてきた。
「電車の中でもソレ言われましたけど、ボク、先輩に何かしちゃいましたっけ?」
「別に何もしてないよ」
そのセリフとともに、ボクの顔に海水アタックの二撃目がヒット。
「何もしてないのにエッチ呼ばわりですか?」
そう言いつつ、ボクも水を掬って先輩に反撃した。
「キャ!」
顔に飛沫を受けた先輩がカワイイ悲鳴をあげる。海辺の男女の光景としてはベタ過ぎるが、コレはやはりイイな、うん。
「だって六冊もあるんでしょ!!!?」
内野先輩の声の大きさに比例して、攻撃の勢いも激しくなる。
「六冊って、何がですか!!!?」
おわ、鼻に水が入ったァ!
「私に似たタイプのヒトが載ってるエッチな本!!!」
思わぬ指摘に、ボクの水を掬う手が止まった。
なぜだ? そんな情報がいったいドコから漏れた?
「オッシャルコトノイミガワカリカネマス」
「しらばっくれてもムダだよ、ヨーちゃん。ベットマットの下の本、隠し場所変えないと彩音ちゃんにまた検分されるからね!」
そう言われたボクの頭は真っ白、顔は真っ青。
彩音ちゃんめ、いつの間にボクの部屋のガサ入れを。
「ヨーちゃんのエッチ」
ごめんなさい、もう許して下さい。お願いだからあらためて言い直さないで下さい。
……でも彩音ちゃん、内野先輩。キミら二人ともまだまだ甘い。そういうブツを隠す男というものは、常にリスクの分散を視野に入れているものなのだ。「ベットマットの下」は三ヶ所ある隠し場所の一つに過ぎないのだよ。
「まあ、ヨーちゃんも男の子だからしょうがないとは思うケド……」
気づけばハシャイで水をかけあったせいで、いつの間にか内野先輩もボクも全身ビショビショ。先輩の髪はしっとりと滴をしたたらせ、水着や肌の上で煌めく水滴は目に痛いほど眩しい。
そんな絵に描いたような真夏のシーンの中、輝く太陽の下でなんて会話をしてるんだ? ボク達。
「でもそんな本に載ってる人達より、内野先輩の方がずっと綺麗ですよ」
うわあ、我ながら今すっごくカユイこと言った。勢いってコワイ。
次の瞬間、ボクの顔面を襲ったその日最大威力の海水アタックが、内野先輩のその言葉に対する返事だった。
「そんな本と比べられてもビミョー!」
それはそうですよね。いかん。今、ボク自分の株下げた。チャート急降下だ。
「やっぱりヨーちゃんってエッチ」
真夏のギラギラした陽射しとともに、内野先輩のトドメの一言がボクに突き刺さった。
けれどその言葉を口にした時の先輩の顔は、かすかに微笑を湛えているようにボクには見えた。それはもしかしたら、あまりに眩しい夏の陽射しの悪戯が見せた幻だったのかも知れないけれど。




