放置できない疑問
夜中に電話が鳴った時って、ボクの場合は基本的に嫌な予感しかしない。
彼女がいる人なら「アイツ、何かあったのか」とか、ちょっと心配しながら電話に手を伸ばすなんてことがあるのかも知れないが、言うまでもなくボクには彼女なんか居やしない。彼女は居ないのに、手の掛かるはた迷惑な先輩は一人居る。
世の中って不公平だ、ホント。
だから今、枕元のスマホがせわしなく震動するのを感じた時も、まずもって嫌な予感がムクムクと沸き上がった。
ショボつく目を擦りながらスマホを掴むと、暗闇でぼうっと光るディスプレイに一瞬照らされた枕元の時計がかっきり一時四十分を指していた。しかもディスプレイに表示された発信者名がこれまたまったく予想を裏切らない。
「大井川先輩」
一瞬、スマホの電源を落とそうかと本気で考えた。
いやダメだ。今電話に出なかったら、月曜はきっとまるまる一日先輩になじられ、愚痴られ、付き纏われる。
「もしもし…」
眠さと、腹立たしさと、不服さをアピールしようと、できる限り低い声で応えた。
「陽輔!」
間もなく丑三つ時という時間帯なのに、先輩の声はいつもと変わらぬテンションだ。
「何ですか、こんな時間に」
「眠れない!」
今更ながらこの人と知り合った自分の不運が悔やまれる。
「自分が眠れないからって、眠っている人間を叩き起こすのやめて下さい」
「冷たいな!」
「ごく一般的な反応ですよ」
むしろ普通の人なら電話出ないですよ。
「仕方ないだろう。気になることがあって考え込んでたら、目が冴えてしまったんだ」
何でだろう。考え事の内容を聞く前から、どうでもいい匂いがプンプンするのは。
「一応聞きますが、何を考え込んでたんですか」
「一応じゃなくて、ちゃんと聞け!」
「内容によりますね」
電話の向こうでコホン、と小さな咳払いが聞こえた。ヤバい、話が長くなりそうな気配だ。
「今日、本屋に行ったんだ」
「へえ?」
「…何だ、その意外そうな反応は」
「いや、別に」
だって先輩、教科書ですら未だにマッサラなままじゃないですか。
「今日は『辛党パティシエ!』最新刊の発売日だったからな」
ああ、お気に入りのマンガの単行本を買いに行ったのか。
「なるほど。それで?」
「それで、ついでに色々店の中を見て回っていたらだな…」
今度は先輩がゴクリと唾を飲み込む音が聞こえる。いちいち演出過剰だな。
「…『絶対に見てはいけない! 恐怖の心霊写真』という本があったんだ」
「ほう」
なんか懐かしい。ボクも小学生くらいの時は友達と夢中になってそういう本を見てたっけ。
「『ほう』ってお前…、まったく呑気なヤツだな」
先輩の心外そうな声が電話から聞こえた。
「今のところまでで、どこか問題ありました?」
「ありまくりだろう!」
「どのへんが?」
電話の向こうから、今度は息を呑む気配。そんなコトも分からないとはまったく嘆かわしい、みたいな雰囲気がちょっとイラっとする。
「だって変だろう? 『見てはいけない』ような物をなぜそもそも出版するんだ!!!?」
思わず「出版社に電話して訊いてみたらどうですか?」と言い返しそうになって、慌てて口をつぐんだ。だって先輩なら本当にやりかねないもん。しかも今すぐに。
1.いきなり電話が切られる。
2.数分、ないし十数分間の偽りの平和が訪れる。
3.「誰も出ないじゃないか!」という先輩からの怒りの電話が再び掛かって来る。
そんな未来予想図がいかにも鮮やかに頭に浮かんだ。時間のムダはやめよう。
「そんなこと言ったって、それは煽り文句じゃないですか…」
「煽り文句?」
「購買者の興味を惹くためのキャッチコピーみたいなもんです」
ちょっと沈黙があった。
「…よく分からないんだが」
分からないんだ。こういう人がいるのかと思うと、世のコピーライター達が急に不憫に感じてくる。
「つまりこの場合、『見ちゃいけないくらい怖いんだ~』とお客に思わせて本を手に取らせるわけですね」
「そんな怖い本を手にするヤツがいるか!」
「いるからそういう本を出すんですよ!」
またまた暫しの沈黙。
「…よく分からないんだが」
戻ったよ! 話が進まないなあ!
眠気と絶望感で朦朧としていると、先輩がポツリと一言呟いた。
「それはつまり、本当は『見てもいい』ということなのか?」
「むしろ見て欲しいんです。出版者は」
「そうか…」
先輩、何やら考えている様子だ。
「じゃあ、明日ちょっと立ち読みしてみるかな」
それを聞いたボクの頭に、またまた未来予想図が浮かぶ。
「お願いだからやめて下さい」
「どうしてだ?」
「だって先輩、明日のこの時間に『怖くて眠れない』って絶対電話してくるじゃないですか」
「ダメか?」
「ダメですよ!」
「冷たいな!!」
「だからごく一般的な反応です!!!」
ああ、さっきよりさらに前に戻ってる。
「と、とにかく、疑問も解けたことだしもう寝てください」
半分祈りに近いような言葉が思わず口から漏れる。
「そうだな。陽輔の声も聞けたし、よく眠れそうだ」
嬉しくない。むしろ怖い。これから眠れぬ夜が訪れるたびに電話して来るつもりか、この人。
「じゃあお休み、陽輔。また明日」
「明日…、っていうか、今日は土曜だから会わないですけどね。お休みなさい」
「会えないなら電話する」
「…お気遣いなく」
ぐったりしながら終了キーを押すと、ボクは深い溜め息をつきながら布団に頭まで潜り込んだ。
再び眠りに落ちる直前、ふとあることを思い付く。
…そのうち「絶対に関わってはいけない! 恐怖の大井川先輩」って原稿書いて、出版社に持ち込んでみようか。




