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内野美佳子、仕掛けます!

「陽輔、昼飯だ!」

「ヨーちゃん、一緒におべんと食べよ!」

 四時限目終了のチャイムからわずか二分後のこと。

 カバンから弁当箱を取り出し、大井川先輩からの逃亡を図ろうとしていたボクの背中に、同時に二つの呼び声が投げかけられた。

 一瞬、ああ逃亡失敗、とストレートな落胆を感じたものの、すぐに普段と違う要素に思い当たる。

 ……呼び声が二つ?

 意外な気がして振り向くと、お馴染みの大井川先輩の他にもう一人、今日は内野先輩までがランチボックス片手にボクの背後に立っていた。しかもその表情は今まで見たことがないほど切迫せっぱくしている。

 大井川先輩の登場には毎度慣れっこになっている我が一年B組のメンバーも、今日に限って一緒に現れた学校一のアイドルに驚きを隠せない様子だった。

「内野先輩、いったいどうし……」

 そう言いかけたボクの腕をいきなり力いっぱいつかんだ大井川先輩が、有無を言わせずボクを教室から引きり出そうと走り出す。

「ちょっと、大井川先輩!?」

 とてつもないパワーとスピードで牽引けんいんされるボクの体は、急発進したトレーラー後部のコンテナよろしく振り回されながらあちこちの机や椅子に何度となく打ち付けられた。

「あ! さっちゃんズルい!」

 後ろから内野先輩がボク達を追ってくる気配。

 いったい何事だ、この事態は?




「みかっち、何でついてくるんだ!」

「いいじゃない! 私もヨーちゃんと一緒にお昼食べる!」

「『ヨーちゃん』って呼ぶな!」

「ヨーちゃんはヨーちゃんだもん!!」

 はい。何と言えばイイでしょうか、今自分の前で展開されている状況がまったく把握できていません、ボク。

 学校の中庭にあるベンチに座って呆然ぼうぜんとするボクの目の前では、大井川先輩と内野先輩が散歩中にバッタリ出くわした犬どうしみたいにバウバウ、キャンキャンとやり合っている。

 イメージとしてはドーベルマンVSトイプードル。普通に考えたら勝負自体が成立しない。だが意外なことに、本日のトイプードルさんはドーベルマンを前にしてもまったく気迫負けしていなかった。

「だいたいさっちゃん、いつもヨーちゃんを独り占めしてズルいよ!」

「陽輔はやらないって言っただろう!?」

「ヨーちゃんがさっちゃんのモノって、誰が決めたの!? ヨーちゃん、さっちゃんとはまだ付き合ってるワケじゃないって言ってたよ!」

 いや、ボクは「まだ」ってつけてませんでしたよ。その将来的には可能性があるみたいな言い回し、コワイ上に死んじゃいそうなのでやめて欲しいDeath。

「『彼氏』かどうかとかじゃないんだ。陽輔は私のモノなんだ!」

「あのう……」

 いよいよヒートアップする二人のバトルを沈静化させるべく、ボクは気が進まないながらも口を開いた。

「……昼休みも長くないので、もうみんなでお昼食べませんか?」

 ボクのどこをどう取っても当然至極とうぜんしごくな発言に、なぜか大井川先輩はご不満の様子だ。

「なんだ陽輔、お前はどっちと昼飯を食べたいんだ!?」

「いや、ですからみんな一緒に……」

「き、きさまぁ! 現代日本で一夫多妻か? 公認の二号さんを作る気か? ハーレム構築路線まっしぐらなのか?」

「ハーレムどころか、彼女すらいないひともの男子に何言ってるんです? ていうか、まずはボクに謝って下さい」

 このボクの言葉に、大井川先輩がここぞとばかりに目を光らせる。

ひともので寂しいんだったら、ココに理想の彼女候補がいるだろう?」

 大井川先輩、あなたのその薄っぺらな胸を反らした上から目線ポーズ、かなりイラッと来るんですが。

「先輩と話してるといつも思うんですけど、人間って一番自分自身のことが分からないものなんですよね」

「何だと? 私のドコが不満だ!?」

「この場で言っても別にイイんですけど、始めると昼休みが終わっちゃいそうなのでまたの機会にしましょう」

「ふ、不満な点がそんなにたくさん!?」

 より表現に正確を期するならば、むしろ不満じゃない点を挙げた方が圧倒的に早い。そんなものがもしあるのなら、の話だけど。

 今さらな事実にショックなご様子の大井川先輩をスルーして、ボクは膝の上の弁当の包みを開いた。




「陽輔、急げ。早く帰るぞ!」

 その日の放課後、飛ぶがごとき勢いでボクの教室に現れた大井川先輩が、やたらと背後を気にしながらボクをかす。

「何をそんなに慌ててるんです?」

 昼休みの光景がフラッシュバックしたボクは、大井川先輩が気にしている相手がてっきり内野先輩だと早合点はやがてんしていた。

「お急ぎのところスマンが……」

 突然、教室後方の扉から聞こえる低い男性の声。

「……今日は赤点の補習だと伝えておいたハズだな、大井川?」

 声のする方向に目を向ければ、我が校のほこるヘルクレス、夏川教諭がいかめしく腕を組んで戸口に立っていらっしゃる。

 ああ、そう言えば大井川先輩、今回の期末試験も華々しく赤点の山を築いていたっけ。

 以前ボクはこの夏川先生を「アメフト選手みたいな体格」と評したことがあったが、その後聞き及んだところによると実際このかた、高校、大学とバリバリのラガーマンだったんだそうな。

 これは大井川先輩、抵抗するだけバカを見るってもんですよ。

「いや、夏川先生。今日はちょっとが激しく痛みまして。これ以上椅子に座るのはちょっと……」

「すまないが、大井川を少しお借りしても差し支えないかな、棚橋?」

 大井川先輩の女をなげうった捨て身の言い訳を無情にも無視して、夏川先生がにこやかな表情でボクに語りかけた。

 もちろんボクとしては何のいなやがあろうはずもなし、無言のジェスチャーをもって喜んで大井川先輩を先生に献上させて頂く。

「『何があってもキミを離さない』っていうあの言葉は嘘だったのか、陽輔ぇ?」

 大井川先輩の涙ながらの捏造ねつぞうおごそかな敬礼を返すと、ボクは軽い足取りで教室を後にした。




 自転車を押しながら校門に差し掛かったボクは、一人の女子生徒が門柱に寄り掛かってたたずんでいるのに気付いた。昼のドタバタ劇のもう一人の主役、内野先輩だ。

「ヨーちゃん! そろそろ来る頃だと思った」

 ボクを見つけるなり、先輩が小走りに駆け寄ってくる。

「帰り道、一緒してもいい?」

「も、もちろん喜んで」

 そう返事をしながらも、ボクは普段と違う内野先輩の行動パターンに少し戸惑とまどっていた。昼の大井川先輩との一件にしても、今ボクを校門で待っていたことにしても、いつもの内野先輩らしからぬ振る舞いだ。

 そんなボクの心境に気付いているのかいないのか、内野先輩はご機嫌なご様子でボクの隣を軽やかに歩く。

「さっちゃんが補習って分かってたから、ヨーちゃんと二人きりになれるかなと思って待ち伏せちゃった」

 ペロッと舌をのぞかせながらそう言う内野先輩は、とても年上とは思えないほどあどけなく見えた。

「内野先輩、今日はどうしたんですか? お昼のコトと言い、なんかいつもより回転数が高いですね」

 ちょっと茶化ちゃかしたような調子で言ったにも関わらず、その言葉に内野先輩が表情を気持ち固くする。

「……ヨーちゃん、私への命令は?」

 唐突だ。

 内野先輩の言葉に、ボクの脳が活動を急激に停止した。同時に脚の動きも脳に同調したように止まる。

「……命令?」

「ボウリングの時の賭け。『一番スコアの高い人が他の二人に一つづつ命令できる』って賭けだったでしょ? さっちゃんには命令したのに、何で私にはしてくれないの?」

 そう言う内野先輩の目に宿った感情の正体に気付いた時、正直ボクは少しショックを受けた。

 それは内野先輩から初めて向けられる感情。

 間違いない。これは「非難」だ。

「あれはちょっとした余興よきょうみたいなものじゃないですか。そんなに気にしなくても……」

 何とか雰囲気をやわらげようと冗談めかした口ぶりで流そうとするが、内野先輩はかたくなな態度を崩さない。

「じゃあ、どうしてさっちゃんには命令したの?」

「あ、あれはしつけというか、おきゅうというか……」

 そう口に出してから自分で気付いた。

 違う。これはボクの本心じゃない……。

「それがうらやましい……」

 内野先輩がほとんど口を動かさないでそうつぶやく。そのせいで、まるでその言葉がどこか他の場所から聞こえたような錯覚を覚えた。

「さっちゃんはいつもヨーちゃんのそばにいる。しかってもらえるくらい近くに。おきゅうを据えてもらえるくらい近くにいる。いつでもいる」

 少しづつうつむいていく内野先輩の顔が、サラサラと揺れる前髪に隠れて見えなくなる。

「ヨーちゃんは、さっちゃんのこと好き?」

 どうにもかわしようのない、核心をついた質問。内野先輩の表情が見て取れないことが、余計に答えを難しくする。

「別に嫌いではないですけど……」

 曖昧あいまいではあるけれど嘘ではない言葉を、ボクは慎重に選択した。

「じゃあ、私のことは?」

 ああ、こんなボクにでもはっきり分かることが一つだけある。


 ……これは「告白」だ。


 まったくもって信じられないことだが、今ボクは内野先輩に告白されているんだ。

 そうしようと思えば冗談にまぎらわすこともできる。

「またまたぁ。からかわないで下さいよ、先輩」

 そう言うこともできる。

 先輩にしたってそうだ。「なあんてね!」という一言で、直前のセリフを無かったことにしようと思うならばまだ間に合うタイミングだった。

 なのに、ボクと先輩の間のほんの数十センチの距離に凝縮ぎょうしゅくされた濃密のうみつな空気が、そのいずれの選択肢を採ることも二人に許さない。

「好きですよ……」

 ボクとしては、もう自分に残された最後の選択肢に従うしかなかった。

 けれども予想通り、先輩はボクのその言葉にも顔を上げる気配すらない。

「……だけど、ボクにとって先輩は高嶺たかねの花というか、手を伸ばすことすらおそれ多いというか……」

 自分の心の内を、言葉で相手に伝えるのがこんなに恐ろしいことだとは今この瞬間まで知らなかった。言葉の持つ許容範囲が、そのまま決定的な誤解を生みかねないという皮肉な宿命。

「うん。やっぱり思った通り」

 内野先輩が突然普段の明るい調子に戻って顔を上げる。

「私、まだヨーちゃんにとっては『いつも隣にいるのが当たり前』の人じゃないんだね」

 よかった。今回に限っては、ボクの言葉は誤解されることなく先輩に伝わったみたいた。

 そう。ボクにとっての内野先輩は「あこがれるべき存在」であって「いつもそばにいるべき存在」ではない。少なくとも今この時は。

「でもね……」

 内野先輩がぴょんと両足で跳ねてボクの目の前まで近づく。それこそ鼻と鼻、唇と唇が触れ合いそうなほど間近まぢかまで。

「……開いてる距離は縮めればいい。ただそれだけ」

 そうささやいて、内野先輩が挑戦的にボクの目をじっと見つめた。

「ボクのことあんまりかまいすぎると、また大井川先輩が不貞腐ふてくされますよ」

 先輩の視線が照れ臭くて、思わず顔をらしながら釘を刺す。

 内野先輩はぱっと後ろに飛びのくと、両手を背後で組みながらクルリと一つターンして見せた。

「大丈夫。昔はよく本気でケンカしたもん。お気に入りのオモチャでどっちが先に遊ぶかとか、最後に一枚残ったクッキーをどっちが食べるかとか」

 ……そうか。二人は小学校からの幼なじみだったっけ。

「あの頃に戻るダケだよ。本気でケンカするってことは、すぐに仲直りできる自信があるってことだもん」

 そして内野先輩は、勝ち気にニッと笑うと、片手を腰に当ててボクをビッと指差す。

「だから覚悟しろ、棚橋陽輔たなはしようすけ! これからはさっちゃんと堂々(どうどう)と張り合って、キミとの距離をグイグイ縮めてやるからな!」


 そんな新鮮な内野先輩を目にした瞬間、もうすでにボクの中では、一気に彼女との距離感が縮まってしまっていた。

 本人にはとても照れ臭くて言えなかったけれど。

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