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春は遅れてやって来る

「ねえ先輩。僕たちがこうしてる意味って、何かあるんですか?」

「何だ陽輔、お前はコケシのことが心配じゃないのか?」

「『質問に質問で返すな』って教わりませんでしたか」

 ある日の放課後、ボクと大井川先輩は緊張の面持おももちで体育館脇に立ち尽くすコケシさんを校舎の陰から見守っていた。コケシさんのポケットには、恐らく必死の思いでしたためた大田さん宛の手紙が入っている。

 それにしても今の自分の状況、ボクは非常に納得がいかない。これじゃ先日公園の茂みに身を潜めてボク達の会話を盗み聞きしていた大井川先輩と五十歩百歩だ。それ、人として終わりかけてる。

「コケシさん、ちゃんと手紙書けたんですかね」

「その点は心配ない。下書きは私がしたんだからな」

「ええ!?」

 先輩の言葉に我が耳を疑う。現国赤点の大井川先輩が、他人ひとのラブレターの下書き!?

「何だ陽輔、その反応は!?」

「い、いやその…」

「私が一晩徹夜して書いた大作に文句を付けようというのか? 陽輔への愛を滔々(とうとう)つづったあの名文を!」

「大田さん宛の手紙ですよ!? 大丈夫ですなんですか!!!?」

 ああ、やっぱりこの人に任せるとロクなことにならない。

「当たり前だ。ちゃんと清書の時に『陽輔』を『大田さん』に変えるよう、コケシにはちゃんと指示してある」

「コケシさんに渡す前に自分で変えて下さいよ!」

 つまりそれは、コケシさんにボク宛になった状態の下書きを読まれているということじゃないですか。相変わらず胃の痛くなるコトをやらかしてくれる、この人。

「そんなことより、大田さんを呼び出す手配の方は大丈夫なのか? 陽輔」

 まるで自分が下書きした手紙の内容は問題ないみたいな言い方だ。

「バッチリですよ。ボクから大田さんにちゃんと伝えましたから。大田さん、うなづいていたから来てくれるハズです」

 先輩にそう答えるボクの目に、まるで申し合わせたかのようにうわさの人物である大田さんが夕日を背にしてこちらに歩いてくる姿が映った。

「来ました。大田さんです」

 ボクは声を潜めて大田さんの登場を先輩に知らせる。

「コケシさん、ちゃんと手紙渡せるかなあ…」

「何だ陽輔。お前がそんなに緊張することはないだろう」

 大井川先輩に余裕タップリな口調でそう言われると、何だか無性にハラが立つのは何故だろうか。

「だってコケシさん、女の子の前では三文字以上の単語を話せないんですよ。まして好きな女の子の前じゃなおさら…」

「心配無用だ。そこも考えに入れての『手紙』作戦なんだからな」

「どういうコトです?」

「しっ。来たぞ」

 その言葉にハッと目を戻すと、コケシさんの姿を見つけた大田さんがオドオドと少し歩調を緩めながら近付いて行くところだった。コケシさんはコケシさんで、見ただけで分かるほどのまったく期待を裏切らないカチコチ振りだ。

 大田さんがコケシさんの手前数歩のところで歩みを止める。ボクは固唾かたずを飲んでその光景を見守るが、二人ともじっとうつむいたまま一言も発しない。

 なんかコレ、昔見た時代劇を思い出す。二人の剣客が刀を構えたまにらみ合うラストシーン。

 コケシさん、先に動いたら負けですよ、きっと!

「あの…」

 不意にコケシさんが沈黙を破る。その声に大田さんがハッと顔を上げた。

 それまで硬直しきっていたコケシさんが、突然西部劇のガンマンみたいな素早さでスラックスの右ポケットに手を突っ込んだ。それを見た大田さんが慌ててビクッと一歩後ずさる。

 コケシさん、先に動いたら負けって言ったでしょ!

「…こ、これ!」

 大田さんに向かって差し出されたコケシさんの手には、真っ白な封筒に入った手紙。

 ………白い。

 あくまで白い。

 どこまでも白い。

 徹底的に白い。

 …コケシさん、もうちょっと女の子受けしそうなレターセットとかなかったんですか?

 封筒同様真っ白になったボクの頭の中に、ちょっと敗北の予感が広がりかける。

 けれど次の瞬間、大田さんがおずおずと差し出された封筒に手を伸ばした。その手が封筒を受け取った瞬間、コケシさんの顔の強張こわばりが解ける。

 コケシさんは肺に目一杯溜めていたらしい空気をブハッと吐き出すと、「じゃ!」とだけ言い残して一目散に校門の方へ駆けて行った。

 後に取り残された大田さんは、しばらくコケシさんが走り去った方をポカーンと見つめていた。それから手の中の封筒に目を落とすと、それをカバンにしまい込んでゆっくりと別の門の方へ歩いて行く。

 これは参った。「あの」「これ」「じゃ!」のたった三言。なのに見事に手紙を渡すことに成功した。

 しかもこのケース、コケシさんと大田さんという互いに無口な組み合わせだからこそ成立したのだ。その辺りの見極めは、確かに大井川先輩が慧眼けいがんだったと言わざるを得ない。

「どうだ陽輔。ちゃんと渡せただろう? あれなら二文字のセリフだけでこと足りるからな」

 大井川先輩の得意気な言葉に、なぜかちょっと反論したくなる。

「あれはもはやセリフとも言えないですけどね。まあ、成功して何よりですけど」

「…まだ成功したわけじゃないがな」

 先輩が小さくなって行く大田さんの後ろ姿を見送りながらつぶやいた。

 なるほど。今はまだコケシさんの気持ちを伝えられたという段階に過ぎない。大田さんからの返事はまだ未知数のままだ。

「でも、想いを伝えられただけでも大したもんですよ。一時はまったくお先真っ暗でしたからね」

「まったく…」

 先輩がボクにくるりと向き直る。

「…コケシも陽輔も、少しは私の積極性を見習え」

「先輩の場合は度が過ぎてますけどね。少しはコケシさんやボクのつつましさを見習って下さい」




 二日後、眠い目をこすりながら登校したボクは、校門でコケシさんの出迎えを受けた。

「師匠!」

 校門の脇に立っていたコケシさんが、ボクの姿を見るなり転げるように駆け寄ってくる。

「古屋先輩、おはようございます」

 そう挨拶しながらも、コケシさんの蒼白そうはくな顔とびっしょりかいた汗にギョッとさせられた。まるで今しがた借金取りから逃げてきた多重債務者みたいに見える。

「大丈夫ですか、古屋先輩? 顔、真っ青ですけど…」

「………大丈夫じゃないです、師匠」

 コケシさんがワナワナと唇を震わせながらボクの腕にすがりつく。

「た、大変なんですぅぅぅ…」

「と、とにかく落ち着いて話を聞かせて下さい、先輩」

 まるで救命現場に居合わせてでもいるような切迫した口振りでそう言いながら、ボクはコケシさんの肩をブンブンと揺すぶった。それに合わせてコケシさんの首が前後に激しく揺れる。

 いけない、コケシさんの首が外れそう。

 首の揺れが治まると、コケシさんは大きく深呼吸して息を整える。

「き、昨日大田さんから…」

 息も切れ切れのコケシさんがそこまで口にしたところで、ボクは頭の中で勝手に話の続きを想像していた。

 ああ、やっぱりダメだったのか。それでコケシさん、こんなに動揺して…。

「…メ、メモを渡されたんです。でもそのメモ、数字とアルファベットと記号しか書いてなくて…。何なんですかね? 何かの暗号ですかね?」

 数字とアルファベットと記号?

 ボクの脳内で、その三つの単語がある言葉に変換されるまでの所要時間、およそ0.4秒。

「古屋先輩。それって、もしかして大田さんのメアドなのでは?」

 ボクはその時、知り合ってから初めてコケシさんの瞳を目にした。本人にしたらおそらく限界まで見開いたのだろう細い目の中に輝く瞳を。そしてボクは同時に、多分これがコケシさんの瞳を目にする最後の機会なんじゃないかとも思った。

 コケシさんは胸ポケに手を突っ込んで一枚のメモを取り出し、穴があくほどじっと見つめる。

「こ…、これ…」

 メモをつかんだコケシさんの手がブルブルと震え始めた。

 参ったな。コケシさんたら、渡されたのがメアドだってコトにも気づかないほどテンパッてたなんて。

「先輩、早くメール送った方がいいですよ。せっかくメアド教えてもらえたんだから」

 コケシさんは声も出さずにカクカクと小刻みにうなづいたかと思うと、次の瞬間には遅刻目前のサラリーマンのごとくボクの前から走り去っていた。

 ボクはその後ろ姿を見送りながら、思わずクスッと笑いを漏らした。

 今日は梅雨の中休み。見上げれば、空にはもう夏の気配が。カレンダーだって、すでに六月終わりに差し掛かっている。けれどそんな中、コケシさんのところには遅まきながら…。

「よーすけーっ! どうした、こんなところに突っ立って!」

 けたたましい声と共に、突然後ろから体当たりを喰らわされる。

「いたっ! 先輩、朝から勘弁して下さいよ!」

 振り向きもせずに大井川先輩への不平を漏らす。振り向くまでもない。早朝からこんな迷惑行為を仕掛けてくる人なんて、大井川先輩以外にいない。

「何をぼーっとしてたんだ?」

 ああ、そう言えば今回はこの人が殊勲賞しゅくんしょうかも知れないな。

 ヒョコッとボクの顔を覗き込んでくる大井川先輩を見て、ふとそんなことを考えた。


「…いえ、別に。少し遅れて来た春を、ちょっと楽しんでただけですよ」

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