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恋するコケシ

「あの、師匠」

 慣れない呼び掛けのせいで、自分のコトだと咄嗟とっさには気付かなかった。もう一度、さっきより近い距離で背後から「師匠」と呼ばれて、やっと自分が当事者である可能性に思い至る。

「こ…」

 呼び掛けに振り返ったボクは、コケシさん、と思わず言いかけて危ういところで言葉を飲み込んだ。

「こんにちは、古屋先輩」

 休み時間のざわつく廊下でボクを呼び止めたこの人は、いつぞやファミレスで大井川談義を交わした三人の先輩の内の一人、古屋慎一ふるやしんいちさん。目が糸を引いたように細く、作りかけのコケシみたいな顔をしている。ちなみに大井川先輩や内野先輩と同じ二年B組だ。

「何かご用ですか、先輩」

 ボクがそうたずねても、コケシさんは目を周囲に落ち着きなく彷徨さまよわせて返事をしない。どうやら人の多いところでは話しにくい話題みたいだ。

「師匠。今日の帰り、少し時間大丈夫ですか」

 コケシさんがやっと口を開く。

「…あの、古屋先輩」

 居心地の悪くなったボクは、逆に控えめな調子でコケシさんに頼んだ。

「それは全然構いませんが、その『師匠』っていうのやめませんか?」

 あのファミレスでの談義以来、石塚先輩、大野先輩、そしてこの古屋先輩の三人は、危ういながらも何とか大井川先輩のかじを取るボクを見て勝手に『師匠』と仰いでいた。大井川先輩と関わるスキルなんて、必要ないならそれに越したコトはないと分からないらしい。

「何言ってるんですか、師匠。それに今日の相談はソッチ系の話なんスよ」

 重々しい感じでそう答えたコケシさんは、バチッとボクにウインクすると「じゃ、また後で」と言い残して廊下の向こうに去って行った。あの細っこい目では、今のがウインクだったのかどうかイマイチ確信が持てないが。

 …相談? ソッチ系って?

 一人廊下に取り残されたボクは、そんなことをふと考えた。




 放課後、ボクとコケシさんは学校から程近い公園のベンチに座っていた。この前のファミレスやモフモフバーガーなど、学校の生徒達が立ち寄りそうな場所をコケシさんが嫌がったため、駅とは反対側にあるこの公園が会合場所に選ばれたわけだ。

「今日はどうしたんですか。何か相談があるってことでしたケド」

 ボクはコケシさんがおごってくれたコーラを一口飲むと、なかなか話を切り出さない相談者をやんわり促した。

「いや、あの…」

 なぜか言いにくそうに口ごもるコケシさん。あんまり急かさない方がいいだろうか。

「…師匠って、女子と気軽に話せる人じゃないですか」

「はい?」

 ようやく話し始めたと思ったら、いきなり何て現実とかけ離れたことを言い出すんだ、この人は。事実誤認じじつごにんもいいところじゃないか。

「いや、別に気軽には話してないですけど…」

 この際、危険な誤解は解いておくに越したことはないと、ボクはコケシさんの言葉をはっきりと否定する。

「話してますよ。大井川や内野とだって、昔からの知り合いみたいに自然に話してるじゃないですか」

 いや、自然じゃないでしょうよ。絶対違うでしょうよ。

「大井川先輩の場合は『必死に突き離してる』だけですよ。内野先輩は、大井川先輩がらみで向こうから声掛けてくれるんです」

「分かりました。『気軽』ではないと。でも『自然』には対応できてますよね?」

 なんかそこにも齟齬そごがあるような気がするが、話が進まないのでここは一時撤退。

「それで、相談って言うのは?」

 コケシさんが急にガックリ、と言うよりガクーン! みたいな感じでうなだれる。ビックリした。本物のコケシみたいに首が取れたのかと思った。

「オレ、ダメなんす…」

「大井川先輩よりダメな人なんていません」

 何がダメなのか分からないが、取りえず先にフォローしておこう。大井川先輩って、こういう場面ではスゴく役に立つ。だってこの論法は常に使えるから。「地球上にエベレストより高い山はありません」と言うのと一緒だし。

「オレって女子と話そうとすると、緊張しちゃって三文字以上の言葉をしゃべれないんす」

「…三文字以上?」

「はい。なので女子と喋れるのは二文字までです。『ああ』とか『うん』とか『おう』とか…」

 それだと「いいえ」は使えないって理屈になりますケド、それで日常生活送れるんですか?

「それは難儀なんぎですね」

 ボクは自分までちょっと深刻な気分になって言った。ボク自身、コケシさんほど極端ではないにしても女の子と話すのはやはり緊張するし、そういう向きが同じベクトルの悩みを持つコケシさんの気持ちはよく分かる。

 ちなみに大井川先輩の場合はレアケース中のレアケースで、そもそも「女の子」とかいう前に人間を相手にしている気がしない。

「でもボクだって女の人の前ではやっぱり緊張はするし、先輩も少しずつ馴れていきますよ、きっと」

 だがコケシさんは、そのボクの慰めに溜め息をつきながら首を横に振る。

「オレの場合は馴れる前に寿命が尽きるっすよ。それに…」

「それに?」

 コケシさんの顔がいきなりボッと赤くなる。

「それに…、オレ、好きな子がいて…」

 コケシさんの声が尻すぼみに小さくなるが、何とか必要な部分は聞き取れた。

 これはさらに難儀なんぎだ。女子と三文字以上のコミュニケーションを取れないコケシさんに好きな人がいるなんて。

 いやいや、よく考えれば思春期真っ盛りの高校生、好きな異性がいるのなんて当たり前だ。問題なのはコケシさんの女子を前にした時の極端なあがり性の方か。

「別にその子に告白したいとか、そんな大それたコト考えてるワケじゃないんす。ただ、その子と何とか普通に話せたらなあって…」

「そういった問題に、ボクがどんなお役に立てるんでしょうか?」

 けっこう切実な疑問だ、これは。そういった女の子関係の悩みなんて、他人ひとの相談に乗るどころか、ボクが誰かに相談したい。

「ですから師匠、どうやったら女子と緊張しないで話せるかご指南を…」

「そんなムチャな…」

 ボクは思わずつぶやきを漏らした。

「お願いです、師匠! 師匠に断られたら、もう頼る相手がいないんす!」

「石塚先輩や大野先輩は?」

「あいつらじゃ、オレと似たり寄ったりで頼りになんないっす」

 ですから、ボクだって似たり寄ったりなんですけどね。

 さてどうしたものか。ボクなんかにコケシさんの悩みを解決できるわけがないし…。とは言えこの様子では「ムリムリ」の一点張りでは押し問答になりそうだ。

「お力になれるかどうか分かりませんが、もう少し詳しい話を聞かせてもらえますか? もしかしたら何か解決の糸口があるかもしれないし」

「詳しい話というと、例えばどんな話っすか?」

「そうですね。…古屋先輩の好きな人って、どんなタイプの人なんですか?」

 そう口にしてから自分で思ったが、これは意外と重要な質問だ。だって古屋先輩の話を聞く限り、先輩の最重要目的は好きな人と普通に話すことであって、女子と緊張せずに話せるようになりたいというのはそのための手段に過ぎないらしい。ならば、ピンポイントで古屋先輩の意中の人に対する対策を練るのが最も効率のいいルートじゃないのか?

「…師匠だから言います」

「え?」

 そんな無条件で信頼されても逆にプレッシャーなんですケド…。

大田おおたさんって知ってますか?」

「大田さん?」

「はい。大田こずえさんです」

「もちろん知ってますが…」

 え? ま、まさか…。

「その大田さんです。オレが好きなのは」

 

 うわあぁぁぁー! やっぱりぃぃぃぃぃぃぃーーー!!!

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