ジル
「ねぇ……いいじゃない。」
とある港町の古びた酒場で、美女が銀髪の青年に迫る。
黙って酒を飲んでいる銀髪の青年――ジルの腕に自分の腕を絡ませる美女の姿は、まるで艶やかな大蛇のようだ。
そのエロティックで艶めかしい様子に、他の客やジルの仲間達はごくっと息を飲んだ。
しかし―――。
「悪ィ。
オレ、もうそういうの興味ねーんだ。」
この港町で一番だと謳われている美女にも、ジルはなびくことはなかった。
ジルは、自分にまとわりつく美女の長く真っ直ぐな赤髪を、二度三度撫でてみた。
赤髪に触れた後、「違うな」と一言呟くと、席を立ち、盗賊らしく月明かりが差す夜に飲み込まれていった。
「何なの、あの人!」
美女は鼻息を荒くして怒っている。
今まで、自分の誘いを断る男などいなかったのに、と。
「な、な、ならよぉ、姉ちゃん。
俺はどうだい?」
むさ苦しい熊の様な男が、美女に言い寄った。
男の左頬に残る真っ赤な手形は、数日消えることはなかった。
「あーあ、どうしてっかなー。」
ジルは一人、町から離れた場所で月見酒を嗜んでいた。
彼はふと、手のひらに違和感を覚えた。
自分の手を見てみると、そこには先程の女性の赤髪が一本絡まっていた。
「ちっ!」
不快だった。
ジルは、赤い糸のような髪を躊躇いもなくつまんで捨てた。
自分の好みの赤髪ではなかった。
セレスのもつ、軽くウェーブがかった赤い髪が、恋しくてたまらなかった。
「……会いてーな。」
独り言を呟き、酒瓶をぐっと上に上げる。
「なら、会いに行きましょうや!!」
男達の野太い声に、ジルが口に含んだ酒は霧と化した。
彼の仲間だった。
彼らのお頭は、ジュケール牢獄島でセレスと別れて以来、赤い髪の女性ばかり目で追っていた。
彼らは皆、ジルがセレスの面影を追っているという事に気付いていた。
ジルが心底、セレスに会いたがっている事を彼らは知っていた。
しかし、ジルは決してそれを口には出さなかった。
元盗賊なのに、後を付けられていたことに気付かないほど、セレスの事を考えていた。
ジルの切なる願いを、彼らは叶えてやりたかった。
「俺達もセレスさんに会いたいっす!
俺達の女神様に会いたいっす!」
お頭思いの彼らは、意地っ張りなジルに代わり、「自分達が会いたいのだ」ということにした。
それから、ユニベル中の海を旅したジル達一行は、グリーン・ヴァレの大地に船を停めた。
ブックガーデンという、自分達とはまさに無縁の「歴史と考古学の街」に向かった。
「……。」
ジルは、少し繊細だった。
そして、彼はこの街の空気が嫌いだった。
「なぁ。」
「何です、お頭?」
「やっぱりオレ、船に残ってっから。」
ジルのらしくない様子に、大雑把な海賊達が気づくはずもない。
女っ気のない彼に、ジルの繊細な恋心は到底理解出来なかった。
ジルや海賊達の身なりは、端的に言うと野蛮だった。
バンダナ、腕まくり、裾の擦り切れた衣類など、海賊らしいといえば海賊らしいのだが、やはりどこか知性に欠けていた。
長い航海で、海賊達の髭や髪は伸び放題。
ジルもまた、銀髪が肩まで伸びており、後ろで束ねていた。
盗賊をしていた頃の姿とは、ひどくかけ離れていた。
「お頭、何言ってるんすか。
せっかくここまで来たじゃないすか!」
「そうですよ。
さっ!行きましょう!」
「やめ……!!」
ジルは言葉を返す間もなく、大柄の船員の肩に担がれた。
抵抗をしても、力では勝てなかった。
街中をのしのしと歩く野蛮な男達に、ブックガーデンの人々の視線が突き刺さる。
ジル達に向けられた視線は、決して歓迎されるようなものではなかった。
ジルは、セレスに会いたい願望と、人々から軽蔑される姿を見られたくないという感情に見舞われ、担がれながらきつく目を瞑った。
「おっ!
あれは!!」
船員の弾むような声に、ジルはぱっ、と顔を向けた。
そこには、セレスとシアードが横に並んで買い物をする姿が目に入った。
「セレスさんっ!」
久々に見たセレスの姿に、船員達の動きが早くなる。
そのせいで、船員の一人がサーベルをブックガーデンの石畳に落としてしまった。
怪訝そうに見ていた街の人々は、落下音が聞こえた瞬間、悲鳴を上げた。
大きな悲鳴は、もちろん、シアードとセレスにも聞こえていた―――。
「何だ!?」
街の人の悲鳴に、シアードとセレスが駆けつけてきた。
騒動の最中、ジルはセレスと目が合った。
セレスは、少しばかり髪が伸び、一層美しくなっていた。
だが、彼女は駆け寄っては来なかった。
ジルの顔を見て、シアードの隣で固まっていた。
あぁ、そうかよ。
てめぇにとって、オレはそんなモンだったのか―――。
「……行こうぜ。
てめぇら、騒がせて悪かったな。」
「お、お頭っ!?」
ジルはセレスと言葉を交わす事もなく、街から引き上げることにした。
自分は、セレスに何を期待していたんだろう。
自分と同じように、セレスが少しでも、自分の事を考えていてくれたのではないかと、期待していた。
恥ずかしくなった。
ただの一人の女に、ここまで振り回された自分を情けなく思い、そして腹が立った。
「お頭、いいんすか!?」
「うるせーなぁ!」
ジルの心は荒んでいた。
しつこく是非を問う船員を払うかのようにジルは裏拳で応戦する。
「俺達はお頭のことを思って!」
「うるせぇ!!
それ以上しゃべるとブチ殺すぞ!!」
ここまで荒れたジルを、もう誰も止めることは出来なかった。
ジルが船に乗り込もうとした時、服が引っ張られた。
ジルはただでさえ悪い目つきに睨みを聞かせながら、引っ張られる方向に視線を向けた。
しかし、そのすごみが一瞬でほどかれる。
そこには、セレスの姿があったからだ―――。
「ジル……ジルだよね?」
名前を呼ばれるだけで、ジルの体中の血液が音を立てて流れるのが分かった。
「お化けじゃ……ないんだよね?
生きてたんだよね?
……よかった。」
セレスは、笑みを浮かべながら、つうっ、と涙を流した。
ジルはセレスの表情に、終始固まっていた。
セレスはその涙を拭き、今度は全員に改めて笑顔を向けた。
「みんなもね、もっさりしすぎて分からなかった。
シアードが気付いてくれて、教えてくれたの。」
ジルは、セレスが見た方向に目をやった。
そこには、ジルの嫌いな男の姿があった。
相変わらず容姿端麗で、背も高く、男の自分から見てもため息が出る程「いい男」だった。
ジルは、シアードと目が合うと、すぐに目を逸らした。
シアードはジルの態度が面白かったようで、子どもの様な笑顔になった。
それから数か月―――。
世にも珍しい、小奇麗な海賊団が誕生した。
セレスの一言で、男達は髭を整え、髪型も整え、見違えるほど美しくなった。
彼らは何処の港に行っても歓迎される海賊団となり、もはやスターだった。
ジル達の船が港に着くと、それだけで新聞や号外が刷られるようになった。
「なんか……すごいよね。」
「お前がそうさせたんだよ。」
シアードは、新聞を読みながらハーブティーを嗜んでいた。
一面の大きな写真の中心には、自分にそっくりな姿になったジルが写っていた。
「……!」
そして、ジルの両方の腰にかけられた、見覚えのある双剣に目を奪われる。
そこには、かつてロイドが使用していた「風龍の牙」があった。
シアードは優しい笑みを浮かべながら、そっと新聞を閉じた。