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セレスの憂鬱 後編

「どこ行ってたんだ?」


 図書館に行くと、そこにはシアードの姿があった。

 シアードは本を片手に、セレスを見ることなくそう口にした。


「ちょっとね。」


 彼がこっちを見なくて良かった。

 自分は今、どんな顔をしたらいいのかが分からない。

 シアードが常に女性から好意を寄せられている事も分かっているし、慣れている。

 それをずっと傍で、嫌と言うほど見てきたのだから。


「それより何を読んでるの?

 私にも見せて。」


 セレスは平静を装い、シアードが持つ本を覗こうとした。


「これって───きゃっ!」


 セレスが本に記されたゴブリンの図を指差した時、シアードに腕を優しくも強く掴まれる。


「何かあっただろ。」


 セレスはシアードに触れられて嬉しくもあり、悲しくもなった。

 こんな些細な事も分かり合う仲なのに、どうして肝心な部分だけが近づけないのだろう。

 皆がシアードを好きだと口に出来る中、自分だけが何故、口にする事を躊躇ってしまうのだろう。

 この切なさは、傍にいる事の代償なのだろうか───。


「わ、私、今日は帰るね!」


 セレスは、シアードの顔を見ることなく、俯いたまま彼の手を払いのけた。

 そして、急いで図書館を出ようとした。


「きゃっ!」


 その時、前をよく見ていなかったセレスは女性とぶつかった。


「ご、ごめんなさい!」


 ぱっ、と顔を上げた時、その女性が何者なのかが分かった。

 セレスがぶつかった女性は、ティーネだったのだ。

 ティーネはセレスの今にも泣きそうな顔を見ると、ふっ、と誰にもばれない様に嘲笑してみせた。


「シアード様!」


 ティーネは、セレスと話していた時よりもワントーン高い声でシアードに話しかけた。

 この時、シアードの目線はセレスに向いていたのだが、同じところにティーネがいたため、彼女は勘違いしてしまい、舞い上がっていた。

 嬉しそうにシアードに駆け寄っていく様子を、セレスは見たくなかった。

 そんな事は彼女の声色と足音で、簡単に想像出来てしまう。

 セレスは、図書館が見えなくなるまで街中を走り抜けた。

 だが、凸凹した石畳に、彼女の足は止められてしまう。


「あっ!」


 セレスは、勢いよく転んでしまった。


「いたた……。」


 擦りむいてしまった右肘と両ひざから痛みが生じる。

 セレスはそれを治癒魔法で治すことなく、ただ茫然と石畳に目を落としていた。

 そして、母セリシアの最期の言葉を思い出していた。



 女の子はね……大好きな人の傍にいることが、一番幸せなの。



 幸せだと思っていた、思いたかった。

 もしそうでなくても、情けない事にシアードと離れる事など想像出来やしない。

 だが、今はどうだろう。

 レンジやハープの様な表情を、今の自分に果たして出来るだろうか。

 

「……バッカみたい。」


 セレスの頬を、一筋の涙が伝っていく。


 一方、図書館ではティーネがシアードの傍にいた。

 今日は休館日で、利用者は誰もいなかった。


「シアード様、何かお手伝いする事はあります?」


「ない。」


「ハーブティーでも入れましょうか?」


「いい。」


 今までの男達は、ティーネに対してとても優しかった。

 また、ある者は彼女の好意を得るために、何でもいう事を聞いた。

 だが、半年前に突如現れたシアードだけは、何をしても自分に振り向いてはくれない。

 それどころか、自分の美貌より劣る赤毛の女が、いつも傍にいて目障りだ。

 先程、こちらを向いていたシアードの表情は、今までに見た事がない。

 まるで、大切なものを眺めるような、そんな表情だった。

 今思い返すと、あれは自分ではなく、セレスに向けられたのだろう。

 そう分かっていても、認めたくなかった。


 シアードは、ティーネの方を一度も見ることなく、活字に目を落としている。

 お前に興味はない。

 まるで態度でそう示されているかのように感じる彼女は、とうとう痺れを切らした。


「……何だ。」


 ティーネは、シアードの背中に抱き付いた。

 木々の香りと書物の匂いが入り混じる、柔らかい匂いが彼女の鼻を刺激した。


「……好きなの。」


 シアードの背中を抱く腕に、思わず力が入る。

 放したくない。

 私を見てほしい。

 ティーネの願望が、彼を抱く手に籠められる。


「私は、シアード様が好きだから学者を目指そうと思ったのよ。

 あなたに釣り合う女性になりたくて……。

 私、嫌なの。

 セレスがいつも隣にいるあなたと見ると、とても胸が苦しくなるの……。」


 セレス、という名前に、シアードは反応した。

 そして、ゆっくりとティーネの腕を振りほどくと、彼女と向き合った。


「生憎だが、俺はあんたの物じゃない。

 嫌だとか苦しいとか、悪いが俺には関係のない事だ。」


 シアードの突き放すような冷たい言葉に、ティーネは両手で顔を覆い、声を震わせた。


「どうしてそんな冷たい事を言うの……?

 私とあの子、何がそんなに違うのよ……。

 そんなに……そんなにあの子がいいっていうの?」


「あんたとセレスを比べてくれるな。」


 シアードは、表情を一つ変えることなくそう口にした。

 今までの男なら、自分の泣く姿を見るなり慌てたり、手を差し延べてくれたりしたのに。


「あの子だって、あなたが好きなのよ!

 あの子はね、告白したくてもあなたの邪魔をしたくないって言っていた、ただの意気地なしなのよ!?

 それでもあの子がいいの!?」


 シアードは、持っていた分厚い本を勢いよく机に置いた。

 人がいない図書館に、その音だけが大きく響いた。


「知っているさ、そんな事くらい。

 だが、あんたが口にするべき事じゃない。」


 シアードの口調から、彼が表に出さなくとも怒っている事をティーネは感じ取った。

 そして、彼は自分の告白に返事を出す事もなく、図書館を階段を下りていく。

 聞かなくても脈がない事くらい分かっている。

 それでも決定的な言葉を言わないのは、彼の優しさなのかもしれない。


「何よ……どっちもただの、意気地なしじゃない!!」


 シアードには、負け惜しみを相手にするほどの暇はなかった。

 図書館のドアを静かに閉めると、彼はセレスの元へと向かった。

 どこに向かったかなどの確信はないが、おそらくあそこだろう。

 そう考える場所へと、彼は迷うことなく走った。

 セレスは街の外れにある、オリバとロイドの墓がある場所にいた。

 ブックガーデンを北上した、グリーン・ヴァレの最果ての地で、セレスは墓標と化した聖剣グラディウスの向こうに広がる海を眺めていた。


「セレス……。」


 一瞬、彼女が飛び降りてしまうのではないかと思った。


「シアード、どうしたの?

 そんなに息を切らして……。」


 そこには、いつもと変わらない様子を装ったセレスがいた。

 彼女の青い瞳の奥には、悲しみが広がっているのが分かる。

 自分がはっきりしないから、セレスにこんな表情をさせてしまっているんだろう。

 自分の勉強や研究の邪魔をしたくないから、と、長年想っていてくれたにもかかわらず、彼女は想いを口にしないでいた。

 

 そんなセレスを、いじらしいとさえ思った。


「ここって、寒いよね。

 そういう時期なのかな?」


 シアードの真剣な眼差しに、セレスは少し怯えていた。


 学者として、同じ志をもつティーネを彼は選んだのだろう。

 自分は、フラれるのかもしれない。


 そんな事が、頭をよぎった。


「……分からないんだ。」


「えっ?」


 セレスは、予想外のシアードの言葉に思わず変な声が漏れる。


「人を好きになるという事が、いまいち分からないんだ。

 俺は女が好きじゃないからな。

 お前の気持ちに、今は応えてやれないかもしれない。

 ただ……。」


「……ただ?」


「お前だけは、傍にいても苦にならないんだ。

 むしろ姿が見えないと、不安になる。」


 セレスは、シアードが自分を慰めるためにそう言ったのではないという事を、彼の様子から知った。

 照れているのだろう。

 頬を少しばかり赤く染めた彼は、ぽりぽりと頭を掻いていた。

 それは、レンジが照れた時に見せる仕草と全く同じものだった。

 彼の見た事のない様子に、セレスは吹き出した。


「……変なの!」


 シアードの本音が、嬉しかった。

 セレスの胸に暖かい気持ちが広がっていく。

 自分の中にあった、抑え付けていた想いの蓋がゆっくりと開けられる。

 シアードは一瞬、唇を尖らせると、ぷいっと後ろを向いてブックガーデンの方に向かって先に歩き始めた。


「……しあわせ。」


「何か言ったか?」


「ううん、何も。

 それより、ブックガーデンに戻ろう。

 お腹すいちゃった!」


 セレスは、先にいるシアードを追いかけていく。

 ようやく母の言葉が分かった様な気がした。

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