セレスの憂鬱 前編
ゼロを倒して、あれから半年が過ぎようとしていた。
レンジ達と別れたシアードとセレスは、ブックガーデンで暮らしていた。
オリバの母ジニーの家で、共に暮らしている。
アレス島で過ごした、あの温和な日々を時折思い出す。
そこにレンジの姿はない。
彼は自分達の中で一番幼かったはずなのに、一番、一人立ちが早かった。
今は何処を旅しているのかは知らないが、時々ハープの瞬間移動魔法でやって来ては顔を見せに来る。
二人とも、幸せそうな何とも言えない表情をしていた。
セレスは二人のその姿を見て安心すると同時に、仲睦まじい姿をとてもうらやましく思っていた。
シアードは努力に努力を重ね、瞬く間にブックガーデンを代表する学者となった。
今は図書館でモーリスと共にユニベルの歴史に関して調べている。
著者、シアード=アル=カリナーン。
彼の書いた小難しい歴史書が、図書館の本棚に並べられるようになった。
容姿端麗、頭脳明晰、加えてゼロを倒してユニベルを平和に導いた者の一人である彼を、女性達が放っておくはずがなかった。
一方で、セレスは勉強が得意ではなかった。
何のために自分はここにいるのだろう、と、自問自答する毎日が続いていた。
自分はただただシアードの傍にいたい一心で、ブックガーデンにいる。
それに比べて、シアードは毎日夜中までたゆまぬ努力を重ね、学者になった。
レンジもレンジで、自分のやりたい事、すなわちハープと二人でユニベルを回っている。
セレスは、自分だけが取り残された気分になっていた。
「ねぇ、ジニーさん。
私は、何がやりたくてここにいるのかなぁ……。」
「なんだい、急に。
おかしな事を言う子だねぇ。」
右手の痺れから絵本を書くことを辞めたジニーに、セレスが本音をこぼした。
「皆、なりたいもの、やりたい事があるのに、私だけなくて……。
そう考えるとね、すごく取り残された気分になるの。」
「あら。
あんたは、シアードの嫁さんになりたいんじゃなかったのかい?」
「なっ!」
セレスの顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
「そりゃなりたいけど……。
そんなんじゃなくて!」
「なりたいんなら、なれるように努力しなさい。
彼の傍にいて、彼の助けになってあげなさい。
私からは、そうとしか言えないねぇ。」
さすがオリバの母親だ。
年老いていても、同じ声色、同じ口調だった。
ジニーの言葉は、セレスの胸にすとん、と入ってきた。
彼女は自分は一体、何がやりたいのかをもう一度考えることにした。
セレスとシアードは、共に行動する事が多かった。
シアードの隣で助手の様な事をする日もあれば、ぼうっと隣に座っているだけの日もあった。
そんなセレスを、彼は一度も邪魔者扱いする事はなかった。
二人は、付き合っているわけではない。
故に、セレスは一人で街を歩いていると、女性から幾度となくシアードとの関係を尋ねられた。
「ねぇ、あなたはシアード様とどういう関係なの?」
「どういうって……家族みたいなものだよ。
小さい頃からずっと一緒に暮らしていたの。」
「へぇ……。
それなら恋愛感情なんて、今更湧かないわよね。
あなたも、シアード様も。」
セレスの目の前にいる女性は、自分の長い栗色の髪をくるくると人差し指に絡めている。
ティーネという町娘だ。
シアード目当てで学者を志望しているうちの一人だが、その中でも極めて美しい。
リューベルクのルナ姫にも匹敵するような、可憐な顔立ちをしている。
「私、本気でシアード様を好きなの。
時期に告白しようと思ってるのよ。
だから、邪魔しないでね?」
ティーネの可憐な顔が、意地悪く歪む。
彼女はおそらく、セレスがシアードを想っている事を知っている。
敢えて知らないふりをして、セレスにたきつけたのだ。
「告白するなら、したらいいじゃない。」
言い返されると思っていなかったティーネの目が、大きく見開いた。
「私だって……私だって、ずっとシアードを好きでいるわ。
あなた達よりも、シアードのいいところをたくさん知ってるし、ずっと間近で見てきた。
それに……今は、学問のことで頭がいっぱいだろうから、告白したところで何にもならないって事も分かってる。
私はそれを邪魔したくないだけ。」
「……何よそれ。
私が告白する事が邪魔だって言いたいの?
何様よ、ふざけないでよっ!」
ティーネは、まるでシアードの全てを知っているかのようなセレスの口調が気に食わなかった。
激情した彼女は、セレスの肩を片手で力任せに押した。
セレスは思わず尻もちをついてしまったが、上を見上げた時、ティーネの表情がうかがえた。
彼女は、顔を真っ赤にし、目を潤ませていた。
それを見られたことに気付いたのか、彼女はそれ以上何も言うことなくその場を去って行った。
シアードの素っ気ない態度に、自分が脈がないという事にも気づいているのだろう。
セレスは、ティーネに対する怒りなど湧かなかった。
それどころか、同じ人を想うというところでは、同情せざるを得ない。