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<叔父さん>

<叔父さん>


駅の窓口で彼女が用件を伝えると、用意されていたチケットが駅員から手際よく渡された。


「これ、叔父さんの所までのチケット、もう、電車が来ちゃうから急ごう!」


彼女から手渡されたチケットは数枚の綴りになっていて、終着駅は聞いた事がない港だった。


「あ、うん」


駅のホームへと向かい到着する電車を待った、表示された列車案内を見て彼女は額の汗を軽く拭った。


「ふぅー、なんとか、間に合ったね」

「あっ、あー、そうなの・・・」


俺がつれない様に見えたのかもしれない、彼女は俺の顔を覗き込み表情を曇らせた。


「ごめん、急に連れ出しちゃったから・・・怒ってる?」

「いや、別に・・・」

「北海道に行くなんて言ったらダメだと思ったから・・・」

「俺はエミリーが行きたいところに行くと言ったからな、どこでも行ってやるよ」


電車が到着するアナウンスが駅に流れ、見慣れた電車がホームに到着したが、彼女はホームに立ったまま動かなかった。


「この電車じゃないのか?急がないと発車しちゃうぞ」

「やっぱり、学校に戻ってラスプーチンの卵を破壊する」

「今更、なに言ってるんだよ」


出発を告げるベルがホームに流れた。


「だって」

「学校に戻ったら、エミリーの叔父さんがまた面倒な事になるだろう、行くぞ」


俺は彼女の手を引き電車に飛び乗った、昼過ぎの電車は人も疎らでシートに二人揃って座った。


「なぁ、ラスプーチンの卵を破壊すると、本当に何が起こるんだ」

「仮想空間と現時空間が正常な形に戻るだけ」

「それは分かってるよ、その正常な形に戻ると俺たちに何か起こるのか?」

「何もないよ」

「本当か」

「別に何も変わらないよ」

「ラスプーチンの卵を破壊するとどうなるのか、本当の事を言えよ」

「何度も言ったでしょ、どうにもならない、正常な状態に戻るだけ」

「本当にそれだけなら良いけどよ」


その後、彼女は黙って電車に揺られていた。


「痛いてばぁ~いあやだ!」

「ははははっ!変な顔」

「もうっ!止めてよぉ~」

「けけけっ!エミリーのほっぺって柔らかいねぇ~お餅みたい」

「ぷぅ~」

「ほら、膨らんだ、あはははっ!」

「もうっ、なによぉ~」


沈黙に耐えかねた俺は彼女の顔を弄ったり、会話が途切れない様に色々と話しをした、ターミナル駅に到着し長距離列車に乗り継ぐと徐々に窓からの景色は閑散と寒々しい風景に変わっていった。


「このフェリーが今日の最終便なの、この船に間に合わないと、ここで足止めなのよ」


フェリー港に着いた頃には、すっかり外は暗くなっていた。


「なぁ、俺、思ったんだけど、急いでいるなら、飛行機に乗った方が早かったんじゃないか?」

「うん、そうなんだけど、飛行機に乗らない理由があるの、あの、叔父さんがケチだからじゃないよ」

「そりゃ、分かってるよ、理由ってなんなの?」

「理由は後で話すよ、それより、早く船に乗ろう」

「俺、船に乗るの初めてだよ」

「そうなんだ、あのね、デッキからの夜景がすごく綺麗なんだよ」


フェリーは汽笛と共に、港から少しずつ離れていった、船内の階段を上がりデッキへと出ると、ひんやりとした海風に彼女の短い髪が揺れていた。


「綺麗だねぇ~」

「うん、ホントだ、キラキラしてる」


山すそに点々と広がる街の明かりがまるで星空を移したかのようにキラキラと輝いていた。


「寒くない?」

「うん、平気、でも、もう、中に入ろうっか」


デッキの階段を降りると客席に着いた、窓の外に永遠と続く漆黒の海をなんとなく眺めていた。


「どうしたの?」


彼女が心配そうに俺の顔を覗いた。


「いや、なんか、ずいぶん遠くに来ちゃったんだな」

「ごめん、でも、どうしても、叔父さんに会って欲しかったから」

「どうしてだ」

「ごめん、理由は言えないの、言ったら意味がないの」

「やっぱり、俺に何か隠しているだんだな」

「う・・・うん、で、でも、言ったって意味がないの、信じて、知っていても、どうにも出来ないの」

「何が起こるんだよ」

「だから、起こらないって、これは私の問題なの、ダーリン、私がこんな風に呼べるなんてね、夢って良いね」

「言っている意味が分かんねーぞ、俺が夢を見ているって言うのか?」

「ううん、違う、私が夢を見ているの・・・」


急に視線を落とした彼女は俯いて呟いた。


「エミリーの夢ってなんだ」

「今のこの時間が夢なの、こうして、二人でお話したり、旅行に行ったりすること」

「俺もだよ、でも、俺のは夢じゃねー、現実だ」


彼女はすっと立ち出すと笑顔を見せた。


「ねぇ、何か飲む?」

「あー、そうだな、温かい飲み物がいいな」

「それじゃ、ココアでいいかな、この船のココアは美味しいんだよ」

「あー、うん、それで」


俺がポケットに手をやると、彼女が手で合図した。


「大丈夫だよ、ウエルカムドリンクで無料だから」


彼女は言いながら船内の中央へ向かって歩いていった、俺は船内を眺めながら疎らに座っている乗船客の様子を見ながら、会話の中で刹那に見せる彼女の哀しげな顔の意味するものを考えていた。


「お待たせ、熱いから気を付けてね」

「うん、ありがとう」


立ち上る甘く香るカカオの湯気に息をかけながら、手に伝わる温もりと共にココアでデッキで冷えた身体を温めた、ココアを一心にすすっている彼女の横顔は愁いに満ちていた。


「安心しろよ、俺は絶対にエミリーを忘れないからな」


俺は前に彼女が言った言葉を思い出した。


「うん、信じてるよ」


波音を立て漆黒の海を進むフェリーの中、肩を寄せ合っているといつの間にか二人とも寝ていた、着岸のアナウンスが流れると船内は慌ただしくなり、エンジン音も着岸に備えて低く静かになったり、時より高回転のエンジン音を響かせていた。

下船し客船ターミナルを通り外へ出ると、冷たい夜風に眠気も覚めた、彼女が遠くの誰かに大きく手を振っていた。


「叔父さ~ん」


彼女の声を耳にして反応した恰幅のよい男が手を挙げた、容貌が想像していた通りで驚いた。


「あの人が叔父さん?」

「うん、大丈夫、見た目より怖くないから」

「そうであって欲しいよ」


まるでヒグマのような大きな身体がこっちに近寄ってきていた、その身体の大きさだけでなく腰が引けてしまうようなオーラのようなものを引き連れていた、悪戯な笑顔を俺に見せ彼女が叔父さんの元へ駆け寄ると、小柄な彼女は子供のように軽々と抱きかかえられていた。


「こ、こ、こんばんわ、は、は、初めまして」

「おっ!エミリーの彼氏、おー、いい男じゃないか」

「叔父さん!彼氏じゃないって!」

「エミリーは相変わらずだな、エミリーの事が好きじゃない男がこんな所まで一緒に来る訳がないだろ」

「なっ、そうだろ」


同意を求められた俺は見えない圧力に否定する事が出来なった。


「は、はい」

「ほら、叔父さんが言った通りだろ」

「もう、そうじゃないんだって、叔父さんが連れてこいって言うから、一緒に来てもらったんじゃない」

「あっははははっ!エミリーは男心が分かってねぇな」


彼女の赤く染まった頬が膨らんだ。


「よっ、彼氏も突っ立てないで、早く車に乗って、腹も減っただろ、晩飯も用意してあっからよ」

「あっ、はい、すみません」


ワゴン車に乗り込むと軽快にスピードを上げて、市街地を抜け山道をしばらく走っていると、暗闇の中にポツリポツリと明かりが見えてきた。

車の窓ガラスに顔をくっつけ外の風景を見ている彼女が呟いた。


「久しぶりだなぁ~」

「あと、どの位で着くの?」

「もう、着くよ、あの明かりが全部そうなの」

「あれって、民家の明かりじゃないの」


話しを聞いていた叔父さんが口を開いた。


「うちは宿は全部、古民家を移築した離れになっているんだよ」

「へぇ~凄いっすね、集落なのかと思いました」

「おっ、エミリーの彼氏はセンスもいいな、そう、コンセプトは集落だ、宿泊客が集落の住民のように仲良く楽しんでもらいたと思って作ったんだ」

「そうなんですか、いいですね」

「退職金を全部使っちまったけどな、あははははっ!」

「ねぇ、叔父さん、明かりがみんな点いてけど、今日は混んでるの?」

「あー、今日に限って、急に団体客が入ってしまってよ、エミリーよ、悪いけど、一番奥の離れに泊まってくれないか」


彼女は少しの間考えた後に怒号を上げた。


「えーっ!嫌だよ、あの部屋は嫌だ!違う部屋にしてよっ!」

「そう言ってもな、他の離れは団体客でいっぱいになっちまってよ」

「それなら、その部屋に団体客を通せばいいじゃん」

「特別室を団体客なんかに使わせたくねぇ、あの部屋のどこが嫌なんだ」

「趣味が悪いからに決まっているでしょ、なにが特別室よ、そんで、まさか、あの部屋しか空いてないって事はないでしょうね、だって、二人居るんだよ」

「あの部屋は二人でも狭くないぞ」

「あのさ・・・広さの問題じゃないくて、私達は男女なんだよ」

「それなら尚更だろ」

「あー!もう、いいっ!なんか嫌な予感がしたんだ」


彼女は俺の顔を見ながら言った。


「ってこと、なんだけど・・・あっ、でも、部屋は二つあるから、寝るのは別々なんだけど・・」

「うん、仕方ないでしょ、エミリーが良ければ、俺は別にいいよ」

「おっ!彼氏、頑張れよ!あっ、そうだ、鹿の角あるけど飲んでおくか!」


叔父さんの言葉を聞いた彼女は急に顔を真っ赤して運転席に乗りだして声を上げた。


「バカっ!変な事を言わないでよっ!私達は健全なお友達なのっ!」

「おぃっ、ちょっ、エミリー冗談だってばよ、おい、畦に落ちるって!」


車は蛇行しながらもなんとか大きい民家の前で止まった。


「おい、おい、エミリー、まだ、ご機嫌斜めなのか、特別室がそんなに嫌なのか」

「違う、叔父さんが変な事を言うから」

「冗談だってよ、彼氏はそんな悪い奴じゃないだろが、なっ、そうだろ」

「えっ、あー、はい」

「ほら、彼氏だって、困ってるだろ」

「お腹、空いた、早くご飯、持ってきて」


叔父さんは呆れ顔を俺に見せ、大きな民家の中へ入っていった。


「そんな顔してたら、叔父さんに悪いよ」

「いいの、この位しないと、ずっと、さっきみたいな感じだから」

「それにしてもさ、叔父さんだって悪気がある訳じゃないし、冗談で言っているだけだろ」

「そう思うでしょ、騙されちゃだめだよ、部屋を見れば悪気があるのが分かるから」


彼女に案内され叔父さんが特別室と言っていた古民家を目指した、途中にいくつもの風情のある古民家を通った、明かりも減り始めて周りが薄暗くなってきた。


「まだなの?」

「もうちょっと」


他の民家からの明かりが無くなる頃にぼんやりと建物に灯された外灯の明かりが見えてきた。


「もしかして、あそこなの?」

「うん、そうだよ」

「遠いから嫌だったの?」

「違うよ、中に入れば分かるって」


特別室と言っていただけあって、外観は他の建物より立派な作りだった。


「あのさ、寝る部屋は2つあるんだけど、私が好きな方を選んでいいよね」

「あー、別にいいけど」

「悪いね、ちょっと、寝づらいかもしれないけど、気にしなければ気にならないから」


彼女は玄関横にあるタッチパネルを開けて番号を入力すると玄関の格子戸が自動で開いた。


「凄いね、自動ドアなんだ」

「あっ、うん、建物は古いけど、設備は最新なの」


玄関の上がり框の隣には土間があったり、本当に古民家のような作りになっていた。


「へぇー、いいね」

「よいしょっと、あー疲れた」


彼女は居間の畳にべたりと座った、俺は少し離れた壁にもたれ掛かるように座った、なんとなく漂う空気がいつもと違う気がした。


「ねぇ、なんで、この部屋が嫌なの?風情のある良い部屋じゃん」

「えっ?なに?」


彼女は何か考え事をしていたのか、話しを聞き返えすと嫌気のさした顔をして部屋の引き戸を指さした。


「そこの障子、開けてみん」

「この部屋の事?」


俺は彼女に言われた通り、純和風の格子戸を開けた。


「なんじゃ、こりゃ」


目の前に異空間が広がっていた、外観から全く予想もつかない光景に自分の目を疑ってしまった。怪しげな色をした間接照明がど派手な壁紙を更に怪しく浮かび上がらせ、奇妙な形をしたダブルベッドが中央に施され鎮座していた。

それは洋間という空間を越えてなにか別の目的で作られたとしか考えられない部屋だった。


「これで悪気がないとか言える?」

「これが特別室・・・って事」

「そうだよ、こんな所に誰も泊まらないでしょ」

「それで、ここに俺が寝るの?」

「うん、その通り、私はこっちの普通の部屋で寝るから」

「それであんなに嫌がってたのか・・・」

「分かったでしょ」

「よく分かった、まさか、こんな部屋があるとはね」

「おっ、さっそく下見してるのか」


聞き覚えがある野太い声に後ろを振り返ると、目の前に食事を持った叔父さんが立っていて思わず仰け反り返った。


「えっ、はい、いや、そうじゃなくて・・・」


部屋の覗きながら自慢げな笑みを浮かべた。


「この部屋はなかなか良いだろ」

「い、いや、驚きました・・・」


すっと立ちだした彼女は怒りを顕わにして叔父に近寄った。


「もうっ、叔父さん、チャイムを鳴らしてから入ってきてよっ!」

「なんだ、エミリーはまだ機嫌が悪いのか」

「そんな部屋のどこが良いの、折角の雰囲気が台無しじゃないの」

「そうか・・金が掛かってるんだぞ」

「余計な所にお金を掛けるから、退職金が無くなるんでしょ!」

「それを言うなよ、男の遊び心なんだよ、なっ、彼氏は分かるだろ」

「えっ、まぁ、そう・・ですね・・」


突然の早退を認めさせるために学校の先公どもに何を言ったのかは分からないが納得せざる得ないオーラがこの人間には漂っていると感じた。


「ほらっ、エミリー、彼氏は、分かるってよ」

「叔父さんに言われたら『はい』と言わされちゃうって分かってるでしょ、今日も学校の先生になんて言ったの?」

「それは秘密だ、言ったら真似するだろ」

「出来ないよ、ご飯、ありがとう、そこに置いていってよ」

「気性が荒いのは変わらないな」


テーブルに食事を並べていると、彼女の表情が曇り始めた、確かに叔父さんの言う通り彼女は急に落ち込んだり、急に喜んだりと喜怒哀楽が激しい子だと思った、ただ、俺は内面を隠して作り笑いを浮かべているような人間より、彼女のように多少ムラがあるような人間の方が親しみを感じる。


「叔父さん、これで、なんとかなるの?」

「さぁな、そればかりは分からん、ただ、何もしないより可能性はあるだろ」


叔父さんの話を聞く限りでは彼女が俺に話していない事を知っている様子だった。


「何が起こるか分からないのは俺だけなのか」

「エミリー、言っていないのか」

「うん、だって、言ったところで何も出来ないでしょ」

「だから、出来る事があるかもしれないだろ」


いきり立つ俺の肩にずしりと重さを感じた。


「彼氏よ、エミリーをそう責めるな、言いたくても言えない事もあるんだ、エミリーの事を想っているなら、何があっても絶対にエミリーの事を忘れない」

「何があっても忘れる訳がないじゃないですか」

「どんな事があってもだぞ」


スッと立ち上がった叔父さんは部屋から出て行った。


「ご飯を食べようよ」

「ああ」


食事を済ませ部屋にある温泉に入ると、疲れてたのか部屋の内装を気にする事なく熟睡していた。


翌日は車で海岸沿いの高台にある灯台へ向かった、その灯台は老朽化が進み役割は終えているようだった。


「この灯台からの景色が綺麗なの」


錆び付いた金属製の扉は甲高い軋み音とともに開き、彼女が中に入っていくと、暗闇の中に吸い込まれるように姿が消えた。


「えっ、あれっ、エミリー」

「こっち、こっち、そこ、段になっているから気を付けて」

「あっ、ありがとう」


中に入ってみると思ったより暗くはなく、彼女の姿も確認する事が出来た、階段を上がっていくと灯台の大きなレンズと電球が目を引いた。


「綺麗でしょ、全部、海、どこまでも、ずーっと」

「壮観な眺めだな」


彼女が指さす灯台の窓ガラス越しに360度のパノラマが目の前に広がり、どこまでも続く青い海が水平線を描いていた。

しばらくの間、黙ったまま肩を並べ目の前に広がる広大な景色を眺めた、寄せては引いていく波が音を立て岸壁を打ち白波を立てていた。

彼女と同じ景色を見て、同じ時間を共有している事が嬉しかった、ふと、彼女の横顔を見ると微かに唇が動いた。


「このまま・・・」


彼女の呟くような声は波音に打ち消されて聞き取れなかった、眼下に広がる海をじっと見つめている横顔がまた少し哀しげに見えた、この表情はラスプーチンの卵を破壊する事で起こる何かを憂いているのだろうか、そして、昨晩、叔父さんが言っていた『必要でなくなれば、その存在は消える』という言葉が脳裏に浮かんだ。


「何が起こっても、俺の気持ちは変わらないよ」


俺の言葉も大きな波音にかき消された、でも、言葉で伝わらなくても伝わるものはあると俺は思った、肩を引き寄せ抱きしめると彼女は身を任せゆっくりと瞳を閉じた、愛らしい顔が視界から溢れると、唇に真綿ように柔らかいものが触れ、心地良い体感と彼女のぬくもりが伝わり、二つの身体が一つになるような感覚に陶酔した。

再び彼女の顔を視界に捉えた時、白く透き通る頬が夕日の様に赤く染まっていた。

「戻ろうか」

「そうだな」


彼女は足元を確認しながら螺旋階段を降りていった、外の明るさに目が慣れてしまっているのか、階段を見下ろすと下は真っ暗で彼女の姿が見えなくなり、俺は階段の手すりを頼りに下に降りていった。

その後、牧場でお昼ご飯を食べたり、乳搾りの体験したりと宿に戻った時にはすっかり周囲は暗くなっていた。


「叔父さん、ありがとう、楽しかった!」

「僕も楽しかったです、ありがとうございます、お昼も美味しかったです」

「そうか、それは良かったな、今度、二人で来る時は新婚旅行か、あはははっ!」

「叔父さんってばっ!ひと言、多いのっ!」

「うはははっ、二人して照れてやがって、若いって事は良い事だ!おっ、彼氏、今日は頑張れよ!」


熊の様な手が俺の肩にのし掛かった。


「い、いやっ、はい」

「よしっ、鹿の角、飲め」

「叔父さんっ!止めてよっ!変な物を飲ませないでっ!」


彼女は顔を真っ赤にして叔父によじ登り頭を叩いていた。


「うわっ、エミリー、分かった、分かった、痛い、痛い、そ、そうだ、今日はどこでも良いぞ」

「いいよ、昨日の部屋で」

「なんだ、エミリー、気に入っているんじゃないか」

「ち・が・う・のっ!あの部屋、露天風呂があるから!」

「あー、彼氏と入るのに丁度良いだろ」

「あのねー、一緒に入る訳ないでしょ!私達は健全なお友達なの」

「ったく、エミリー、いつまでもお友達なんて言ってると、振られちゃうぞ、なっ!彼氏」


再び熊の手が俺の肩にのし掛かり、叔父が俺の耳元で囁く。


「エミリーはちんちくりんだけどよっ、胸だけは人一倍に成長してんだ」


彼女のはち切れそうな胸元に視線を移したその瞬間、叔父が呻き声と同時にくの字になり態勢を崩した。


「エ、エミリー・・・冗談だってば・・・」


表情一つ変えずに彼女は叔父のみぞおちにクリーンヒットさせた拳を引き抜いた。


「早く、ご飯作って持ってきてよ!」


何事もなかったかのように彼女は向きを変え部屋の方へ歩き出した、その後を俺は追いかけた。


「エミリーやり過ぎだって、色々お世話になっているんだし」

「いいの、あれくらい、本当は全然利いてないし、わざと痛がってるんだから」

「いや、あれはマジでみぞおちに入ってたぞ」

「でも、死にはしないでしょ」

「そうだけどよ、不意打ちを食らうと、男でも結構ダメージあるんだぜ」

「ふーん、だって、叔父さんが悪いんだもん」

「あのさぁ、叔父さんが言っている、鹿の角って何だ?飲むとどうなるんだ?」

「知らないなら、知らなくていいよ、ろくな物じゃないから」

「って事は、エミリーは知ってるんだよね」

「知らないよ、叔父さんがニヤニヤしている時はろくでもない事を考えているって事」

「俺、どうなるのか、試しに飲んでみようかな」

「絶対に・や・め・て」


彼女はその正体を知っているようだった。


「俺、その辺、散歩しているから、先にお風呂に入れば」

「ありがとう」


露天風呂は部屋から丸見えで彼女が入っている間は気色の悪い部屋から出られないという不便のような有り難いような作りになっていた、30分程うろついて戻ってみると彼女は浴衣姿で縁側に座り涼んでいた。


「おかえりー」

「エミリーって、目が悪かったんだ」

「うん、そっか、いつも、コンタクトだから」


浴衣に眼鏡は違和感があるような、それもありなのか、新たな一面をみたような複雑な心境だった。


「そう・・・」

「やっぱり、変かな・・・お風呂で落としちゃうと大変だから外したんだけど、コンタクト入れるの面倒くさくなちゃったから」


彼女は眼鏡の蔓に手を掛けた。


「あっ、変じゃないよ、良いじゃない」

「よく考えたら、眼鏡、要らないんだ」


彼女は眼鏡を外して縁側に置いた、理由を聞いてみるとコンタクトや眼鏡は彼女が出すパワーから自分を守るために必要なだけで目が悪い訳ではないと言っていた。


「眼鏡、掛けたままが、良いの?用心の為って・・・」


彼女は露天風呂の脇に腰掛けて首を傾げていた。


「いつ、緊急事態が発生するか分からないだろ」

「うん、まぁ・・・そうだけど・・・」

「その眼鏡、透視する能力はないよな」

「そんなのある訳ないでしょ」


彼女は俺の入浴風景を平然と見学していた。


「だよな・・・そろそろ、上がりたいんだけど・・・」

「あっ、そうか」


浴衣の裾を直し立ち上がった彼女は玄関口へ向かった。


「どこに行くの?」

「叔父さんのところ、上がったら、夕飯、食べるでしょ」

「ああ」


彼女は下駄の音を立てて外に出て行った、俺は風呂から上がり部屋でしばらくくつろいでいると、彼女の声が遠くから聞こえてきた。


「わーい!かにだ!カニだ!」


大人っぽさにあどけなさが程よい割合で残っている彼女は不思議な魅力がある、玄関先に現れた彼女の後から叔父さんが大量に抱えた料理をテーブルに次々と並べていった。


「見て、見て、カニだよ、カニ」


彼女は大きなカニを指さして俺に寄り添ってきた。


「エミリーはカニが好きなのか?」

「うん、うん、ダーリンは嫌い?」

「好きだけどよ」

「じゃ、もっと、嬉しそうにすれば」


カニよりも気になるのは肩から腕の辺りに彼女のとても柔らかい所が当たっている事だった、それに伴って俺の頭で膨らむ妄想を早く打ち消さねばならないという作業でカニに集中する事が出来なかった。


「昨日は、急だったから、ろくな物が用意出来なかった分よ、今日は特別料理だ、海鮮はどれも新鮮獲れ立てだ、それと、霜降りの十勝牛だぞ、その辺の乳牛じゃないからな・・・」

「もおー!説明はなんていいの、食べれば美味しいのが分かるんだから、お腹空いたの、食べるの先」


彼女は真っ先にカニに手を伸ばし口いっぱいに頬張った。


「う~ん、おいちぃー!」


浮かべる彼女の満面の笑みには仁王の顔も仏の顔に変わるだろうと叔父さんの顔を見ながら思った俺の顔も同じような顔になっているのだろう。


「ほらっ、彼氏も、食えよ」

「は、はい、頂きます」

「それとな、彼氏には特別料理も用意したぞ」


にやつきながらテーブルに置いた料理を見た彼女はカニの両手に持ったまま露骨に不機嫌な声を上げた。


「叔父さん、それは食べないから、持って帰って」

「エミリー、そんな嫌な顔をするなやぁ~」


一風変わった感じの料理だったが上機嫌の彼女を一気に不機嫌にさせる程の要素は見当たらなかった。


「叔父さん、これ、何ですか?」

「食えば分かるさ、こっちもあっちも大暴れよ」

「もうっ!変なものを食べさせないで!」

「エミリーは知ってるの?」

「知ってるから言ってるの、もぉ~さっきから、私達はまだ高校生なの」

「だから、高校生にもなれば、もう、立派な大人だろよ、彼氏だって期待してるだから、なぁ、彼氏よ」

「はぁ、いや・・・なんの事だか・・・」


その瞬間、叔父さんの張り手で俺は2、3mは後方に吹き飛んだような気がした。


「恍けんなって」

「いや、その・・・」

「まぁ、夜は長からな!はははっ!彼氏、頑張るんだぞ!」


意味ありげな言葉と笑い声を残して部屋から出て行くと同時に彼女からため息が漏れた。


「悪い人じゃないんだけど・・・余計なお節介なのよね、ごめんね、まぁ、ああいう人だから」

「いや、俺は別に何も・・・」

「まぁ、気にしないで、カニ、食べよ」


両手に持ったままのむき身を美味しそうに頬張りって笑みを浮かべている彼女を横目に謎の料理を眺めていた。


「早く、食べないと、私、全部、食べちゃうよ、まさか、それ、食べる気じゃないでしょうね」

「食べちゃダメなのか?」

「食べても良いけど、どうなっても私は責任を取らないからね」

「そう言われると・・・」

「他のを食べれば、それ、美味しくないから」


おそらく、この謎の料理も彼女がお風呂に入っている間に、こっそり飲んだ叔父さんの薦める鹿の角と関連するものに違いないと思った。

彼女が夢中になっているカニは確かに今まで食べたものはカニじゃなかったのかと思うほど美味く、牛肉は噛むほどに旨味があるのに気がつくとなくなっている非常に悔しい美味しさだった。

満腹中枢が今日ほど憎いと思った事はなかった、テーブルの上に置かれている料理は一部を除いて全て俺の人生の中が一番だった。


「エミリー、これはなんなだ」


箸で摘まみ上げた料理を彼女に見せた、形は何かに似ていると言えれば似ている様な、クセのある味は美味しいとは言えないが、不味くはなかった。


「それは、食べなくて良いの、ふぁ~、私はお腹いっぱい」


膨らんだお腹を撫でなから彼女は身体を横たえていた。


「でも、勿体ないからな」

「食べなくて良いってばぁ~」


口にするとグニャとしていて、薬のような味がした。


「エミリーは食べないのか?」

「そんなもの食べる訳がないでしょっ!」


結局、俺は全て食べ尽くし、二人とも満腹のあまり会話もなく、部屋で横になってみたり外を眺めたりと、他愛も無い時間を過ごしていた。


「エミリー」

「なに?」

「まだ、寝ないのか?」

「眠いの?」

「いや、全然」

「だって、まだ、8時だからね」

「そうだよな、なんか暇だな」

「うん、まぁ、そうだね・・・叔父さんの所からトランプとか借りてくる?」

「うん、でも、他にする事ないかな」

「他って?」

「いや、深い意味はないけど」

「深い意味ってなに?」

「いや、だから、ちょっと」


なぜか俺の目は昼間よりも冴え渡り、身体が熱く煮えたぎりやり場のないエネルギーが放出され続けていた。


「バカっ、止めて、ウソでしょ、本当なの」

「鹿の角って凄いんだな」

「ば、ばか、飲んだの、いつ」

「エミリーがお風呂に入っている時に・・・スゲー不味かったけど」


頬を赤らめる彼女がいつもより愛らしく見えて、浴衣から覗かせる色白の肌に俺の俺が制御不能な状態に陥っていた。


「ちょっと、変な事、しないでよね」

「いいじゃん」

「嫌だっ、良くないって!」

「俺に何があってもエミリーを忘れない為だよ」

「もう、嫌だってばぁ~恥ずかしいよ」


ちょっかいを出し合っているうちに自然と唇が重なり、高揚した息遣いをお互い近くに感じるようになった。


「もぉ~始めてなんだから、優しくしてくれないと嫌だよ」


彼女との忘れらない夜になった、いや、忘れてならぬものかと、この大地の神カムイに誓った、長い夜を二人で過ごし、そのまま朝を迎えた。


「彼氏、どうだったよ」


叔父さんはニヤニヤと意味深な笑みを浮かべながら朝食を運んできた。


「ふぁ~、ええ、まぁ」

「それは良かったなっ!エミリーもなかなか良いカラダしてるだろ」

「ええ、まぁ」


叔父の声で飛び起きた俺はまだ半分寝ている状態だった、彼女も同じようにあくびをしながら目を擦っていた。


「ふぁ~鹿の角なんて飲ませないでよね」

「飲ませたんじゃねーぞ、彼氏がどんなものかってな、飲みたいって言うから、スペシャルブレンドしたのを飲ませてやったんだぞ、効き目は抜群だったろ、あははははっ、聞くまでもなさそうだな、こりゃ、二人とも寝不足だな」

「もう、どうでもいいから、もうちょっと、寝てていい?」

「あははははっ、そうか、そうか、それは良かった、良かった、健全な男女が一つの部屋で何もないって言うのは、むしろ、不健全ってなもんだ、若いっていうのは良いもんだ、あははははっ!」


叔父さんは高笑いをしながら朝食をテーブルに置いて部屋から出て行った、その後、二人で顔を見合わせ頷き合うと再び同じベッドの中に潜り込んだ。


「俺に何があっても、エミリーの事、忘れないから、だから、ラスプーチンの卵、やちゃってくれよ、じゃないと大変な事になるんだよな」

「うん、私、本当に今まで楽しかった、ありがとう」

「そんな変な事を言うなよ、これからもずっと一緒だろ」

「そうだよね、ずっと、一緒に居られるよね」

「当たり前だろ」


遅めの朝食を済ませ、車で港まで送ってもらった、帰りのフェリーの中で、彼女は大切そうに美術の時間に作った鏡を取り出し独り言の様に呟いた。


「これじゃ、時空の移動は出来ないか・・・」

「それ、授業で作ったやつだろ、それがどうしたんだ」

「時空の鏡を真似て作ったけど、鏡が普通じゃダメか」


時空の移動をするためには合わせ鏡が必要な事と時空を移動をする為の条件を話してくれた。


「合わせ鏡って、縁起悪いって言うよな」

「それは、偶然、条件が揃ってしまって、鏡の中に吸い込まれたら大変だからだと思うよ」

「そういう事だったのか、死に顔が映るなんて聞いたけどな」

「死に顔じゃなくて、それが時空の切れ目なの」

「そこに光を当てれば時空の移動が出来るって事か」

「うん、でも、鏡を両手で持って、そこに光を当てるのは難しいから、元々、光源がある場所じゃないと出来ないと思う」

「光源って懐中電灯くらいで良いのか」

「ダメ、それじゃ、届かないよ、見ていられないほどの明るさ、そう、太陽の光ような、でも、その光を切れ目の一点に当てないと」

「色々と難しいんだな」

「だから、意図的には出来ないと思う」

「そうか・・・」


しばらく黙ったまま、彼女は作った鏡を撫でながら何かを考えている様子だった。


「ねぇ」

「なんだ」

「私が彫刻刀を忘れてくるの、どうして分かったの?」

「そりゃ、エミリーなら忘れてきても不思議じゃないと思ったからさ、だってよ、学校の池に落ちるくらいのドジだろ、忘れ物くらいするだろうって予想は出来るだろ」

「あのさ、池に落ちたのはドジだからじゃないくて、ザリガニが小さな金魚を食べようとしてたから助けようとしたの」

「だからって、自分が池に落ちなくても助けられるだろ」

「好きで落ちたじゃなくて、足元が滑ったって言ったでしょ」

「やっぱり、ドジなんじゃないか」

「もうー!違うって言ってるじゃん、そんな事はどうでもいい、彫刻刀を私が忘れるの、分かってたんでしょ、どうして、本当の事を言ってよ、大事な事かもしれないんだから」

「なんだよ、大事な事って、だから、夢で見たんだよ、でも、エミリーが俺の夢に出てくる事はないって言うんだろ」

「違う、それ、本当なんでしょ、私が旧校舎に居るのも、夢を見たって言ってたよね」

「ああ、そうだよ」


彼女は複雑な表情で俺に訴えかけた。


「どういう事だと思う?」

「俺に聞いたって分かる訳がないだろ」

「そうだよね・・・でも、一体、何が起こってるの、やっぱり、ラスプーチンの卵を破壊しなと分からない事なの・・・このまま放置したら、今のままでは居られなくなるのかな」

「どうなんだろうな、俺はこのままでも良いような気がするけど・・・」

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