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<閃光>

<閃光>


昨日、彼女が別れ際に意味が分からない言葉を残して帰ってしまった事が気になり、翌朝、俺は普段より早く学校へ向かった、下駄箱には彼女の上履きがまだ入ったままだった。

教室もに当たり前だが彼女の姿はなく、ただ、普段から授業時間以外に彼女の姿を教室で見ることはなかった。


「だぁーりん、おはよーぉ、今日は早いねぇ~」


朝っぱらから奇妙な声が耳へ飛び込んできた、俺の気持ちは一気に沈んだ。


「おまえさ、その変な呼び方、止めろって言っただろ」


相変わらず女は馴れ馴れしく俺に絡みついてくる。


「いいじゃ~ん、私のだぁーりんなんだからぁ~」

「朝から、なんなんだよ、今日の放課後は空いてないからな」

「ダーリンってばぁ~いつなら空いてるのよぉ~」


女が蛇の様に絡みついてくるのを必死で払いのけても、不気味な笑顔で顔を寄せながら更に絡みついてくる、その様子に俺の周りからクラスメイトは少しずつ離れていき、その奇妙な光景を静観している。


「んだよ、おまえさ顔がちけえんだよ、何か言いたいことがあるなら、さっさと言って、教室に戻れよ」

「だぁ~りん、私、昨日、見ちゃったんだけど」

「なにを見たんだよ」

「だぁ~りんが浮気している、と・こ・ろ、昨日の夜さぁ~女の子と手を繋いで歩いていたでしょ」

「おまえには関係ないだろ」


気色の悪い石が貼り付けてある指先で俺の胸に円を描いていた。


「関係あるあるぅ~なんでよぉ~私とはしてくれないのにぃ~どうちてあんなダッサい女と手を繋ぐのよぉ~」

「知るかよ」

「あ~ん、ダーリン、最近、私に冷たいよぉ~、え~ん、え~ん」


地団駄を踏んだ女から放たれた、どぎつい臭いの香水が教室中に充満し鼻を突く。


「昔はさぁ~とっても優しかったのに、どうちて~え~ん、え~ん」

「うるせーって!嘘泣き止めろよ、ったく、言いたい事はそれだけか」

「だから、昨日の女、誰なの!」

「別に誰だっていいだろ」

「よくないっ!あのチビでデブでブッサイクな女、それに、あのブカブカのジャージ、服のセンスもサイテー、もう、そんな変な女と私のダーリンが一緒に歩いてりるだけ、私が恥ずかしいじゃないのぉー」

「おまえなんて、薄っぺらの板みたいじゃないか」

「ちょ、ちょっと、板ってなによ」

「おまえさ、そこだけ成長が止まってたんだな」

「な、なによ、どこ見てんのよ」

「別に」


俺が恍けてみせると女はわざとらしく顔を背けた。


「ダーリンなんて、もぉ~、知らない!プン、プン」

「そんなに、怒るなって」

「だってぇ~板とか言うんだもん」

「いや、薄っぺらな板って言ったんだけど」

「薄っぺらじゃないっ!、それなりにあるんだからね」

「はい、はい、そうですか、おまえ、もう、教室に戻れよ」

「どうしてよ、まだ、チャイム鳴ってないでしょ、それに、まだ、話が終わってないの、だから、誰なのよ、あのチビでデブでブスで服のセンスがサイテーで髪型がダサい女」

「うるせーな、さっきから、チビとかデブって言いやがって、小さくてふくよかだろ、たいだいよ、おまえの髪はどうして急に伸びたり短くなったりするんだ、不気味なんだよ」

「エクステだから、知らないの」

「知らん、もう、教室に戻れよ」

「ダーリン、私がここに居ると何か都合が悪いことでもあるの?」

「居ても良いけど、ただ、俺に絡みつくな、普通に会話してろ」

「どうちてよぉ~いいじゃない~」

「止めろって、勘違いされんだろ」

「ふーんだ、なによ、勘違いって、ダーリンと私が仲が良い所を周りに見せつけているのに」

「それが余計なんだよ」

「とにかく、どうせ浮気するなら、私と張り合えるような女にしてよ、あんなチビデブじゃ、ヤキモチも出来ないでしょ、所詮、どんな女が相手でも私の美しさには敵わないけどね、あははははっ」


女の高笑いが教室に響き渡りると同時に冷たい女子の視線が俺に突き刺さった。


「それで、あの女、誰?」

「しつこいな、そのうち分かるだろ」

「そのうちって、まさか、この学校の子じゃないでしょうね」

「だったら、どうなんだよ」

「別に、ただ、余程のバカなんだろうと思って、だって、私とダーリンの仲を知っててダーリンに手を出すなんてさ、しかも、あんなチビデブだよ、この私が居てさ、ダーリンが本気で相手するわけないじゃない、そんなのね、ダーリンは優しいから、ちょこっと、相手してあげただけでしょ」

「その通りだよ、彼女もそう思っているみたいだ」

「えっ、そうなの?私の事を知ってて、ダーリンに近寄ったの?その子ばっか?」

「俺が近寄ったんだよ、おまえのせいで嫌われたみたいだけど」

「はっ?あんな女、ダーリンが見向きもしないでしょ」

「さぁな、相手が見てくれなきゃ、俺もどうにも出来ないよ」

「それは私が相手じゃどうにも出来なのが分かってるかでしょ」

「そうだな、おまえは凄いよ」

「うふふふっ、そんなぁ~言われなくても分かってるって、あ・い・し・て・る、チュ」

「バカ、なにすんだよ、みんなが見てるだろう」

「だって、見せてるんだもん」


授業開始を知らせるチャイムが鳴っても彼女が教室に入って来なかった。


「もう、帰れって、チャイム鳴ったろ」

「あー、もうぉ~どうして、ダーリンと違うクラスなの、今度、パパに言って同じクラスにしてもらおうかな」

「おまえよ、そういう事で親父の力を利用するなよ、俺、そういうの本当に嫌いだからな」

「分かってる、冗談だってば、じゃ~ね、また、来る」


授業が始まっても彼女は姿を現さなく、昨日、冷たい水を頭から掛けられ風邪を引いたのかもしれないと担任に確認したら俺の予想は的中していた、もう少し早く助け出してやれば風邪を引かせる事もなかったが、彼女があんな危険な場所に居ると思う方に無理があった。

どうも彼女の言動が気になった、夢がどうのこうので時空がどうかして大変な事になるとか言っていた、何かの予言本や宗教にでも洗脳されていると簡単に片付ければ良いのだろうが、どうにも俺の中で納得が出来ないのが不思議だった。

奇声のような高笑いを残して教室を去っていった女は昼休みになると、再び現れて、俺を誘拐するかのように学校の近くにある高級レストランへ強制的に連行され、落ち着かない店内でメニューを眺めていた。


「なぁ、たまには手作りの弁当とか持って来られないのか?さずがに、この店の味に飽きてきた」

「どうしてよぉ~だぁーりんがこの店のハンバーグが美味しいって言うから」

「確かに言ったけどよ、毎日、食ったら飽きるだろ」

「飽きたなら、別のメニューにすれば良いじゃないのよぉー」

「そうだけどよ・・・」


他の料理を探してみたが俺はメニューを閉じた。


「やっぱり、俺、ハンバーグでいいや」

「さっき、ハンバーグ飽きたって言ったじゃん、他のメニューにすればいいでしょ、だって色々あるでしょ、ステーキとかビーフシチューとか、魚介のメニューもあるし、ねぇ、ねぇ、ほらっ、これなんて美味しそうじゃん」


女はごちゃごちゃと横文字で書かれている意味の分からないメニューを指さしながら俺に勧めた。


「ああ、でも、いいよ、なんか他のは高いから」


ランチメニューと書かれているのに、俺の財布の中身では太刀打ちが出来ない、ハンバーグがこの店で一番安い料理だったが、それでも学校の近くにある定食屋とは桁が違っていた。


「高い?そんなに高くないでしょ」

「おまえさ、金銭感覚が変だぞ、この店はよ、学生が昼飯を食う所じゃねぇだろ」


広い店内に眠くなうような音楽が微かに流れ、余裕を持たせた配置のテーブル席と個室のテーブル席、店員は客より多いだろう暇そうに突っ立って、ちょこちょことテーブルに近寄っては何かしらしてまた元の位置に戻って突っ立ている非効率な店で料金はバカ高い。


「だって、ランチの時間って、並んだり、混んでたりして嫌じゃない?予約も出来ないし、その点さ、この店だと予約しないと入れないから、混んでたりしないでしょ」

「そうだけどよ、多少、並んだりは仕方ないだろ」

「嫌よん、私はダーリンとゆっくり、二人きりでお食事したいの、それにさ、ダーリンが付き合ってくれるのってランチくらいなんだもん、本当は放課後にデートしてディナーを一緒に食べたいのに、ダーリンっていつも、デートの日を忘れとか他の用事が出来たとか言ってさ、付き合ってくれないんだもん、ねぇーなんで、どうしてなの!私の事を避けてるの?そんな事、ないよね、どうなの?」

「わかった、わかった、たまたま、なっ、忘れちゃう事とかあるだろ、それに、急用がたまたま、おまえとの約束と重なっちゃたりな、そういう事ってあるだろ、偶然なんだよ、別に避けてる訳じゃ・・」


女は頬を少し上げニコリと微笑した。


「そんな、ダーリンが私を避けてるなんて、ちっとも思ってないよ、だって、私達はラブラブだもんね」

「まっ、それは、どう・・かな・・・」

「もう~だぁ~りんらぁ~照れちゃって!チュッ」

「や、止めろよっ!店員が見てんだろ」

「注文を取りに来ただけでしょ」

「だったら、さっさと、注文しろよ、この店の料理は出てくるのが遅いんだから」


かしこまった店員は余計な気遣いをして、少し間を置き頃合いを見て注文を取りに来やがった、女が俺のハンバーグと訳の分からない料理を注文すると、店員はテーブルのセッティングを手際よく変え、割り箸をさりげなく添えて個室から出て行った。


「おまえ、毎回、こんなに高い店でメシ食って本当に大丈夫なのか?俺の分まで払ってよ」

「大丈夫って?さっきも言ったけど、この店って高くないし、何か心配な事ある?」

「いや、おまえの家が金持ちなのは知ってるけどよ、毎回、俺、奢ってもらってるから、悪いなと思って」

「悪いって、ダーリンが奢ってくれって言うからじゃない」

「いや、いや、そうだけど、だからさ、その、あそこの定食屋とか、ほら学校の近くにあるだろ、あそこならランチが500円だから、その程度ならさ、心が痛まないっていうか、俺が払ってもいいし」


女はちらっと腕時計を見た。


「この店って、本当に料理が出てくるのおっせーよな」

「ううん、違うの、この時計から変な音がたまに聞こえるの」


文字盤がキラキラして見にくそうな腕時計を俺に見せた。


「ふーん、壊れているんじゃないか、俺の時計も最近、ヤバいんだよ、時間を合わせてもさ、すぐにズレちゃうんだよ、安物だから仕方ないけどな」

「うん、だから安物って嫌だよね・・これ、カルティエだけどさ」

「まぁな、当たり外れがあんだよな」

「へぇ~時計にクジが付いてるんだ、珍しいね」

「そうじゃねぇよ、すぐに壊れちゃうのと長持ちするのがあるって事だよ」

「すぐに壊れたら、お店で交換してくれないの?」

「レシートなんて捨てちゃうし、どこの店で買ったかなんか覚えてないだろ」

「ダーリンって何でもすぐに忘れちゃうんだね」

「何が言いたいんだよ」

「ううん、なんでもないよぉ~ねぇ、ねぇ、二人とも仲良く時計が壊れちゃったみたいだから、ちょうど良いから、ペアウォッチにしようよ」

「いや、いや、そんなペアウォッチなんて、恥ずかしいよ」

「なんで恥ずかしいのよぉー!いいじゃん、いいじゃん、そうしよう、そうしよう、私からのプレゼント」

「いいって、俺のは自分で買うって」

「なによぉ~私はダーリンにプレゼントしたいの、ねぇ~いいでしょ~だからぁ~今度の日曜日、一緒に買いに行こう、ねっ!スケジュール空けておいて、もうぉ、今度は忘れないでよ」


女は含みのある意味深な笑みを浮かべながら、さっさと手帳に書き込んでいた。


「今度の日曜日とか、勝手に決めんなよ」

「何か用事があるの?」


手帳を広げたまま上目遣いで俺を見つめた。


「いや、別に・・・」

「でしょ」

「どうして、俺の予定を知ってんだよ」

「そんなのさぁ~ダーリンの行動パターンを読めば、分かるじゃん」

「けっ、ムカつく女だな、俺の小遣いがもう無いのに気づいてたのか」

「そいことっ!」

「ちぇっ、おまえさ」

「なぁ~に?」

「なんでもねえよ、ったく、早く、メシ、来ねえかな、腹、減ってんだから」

「今日は、いつもより遅いね」

「おめえが訳の分からない変ちくりんな料理を頼むからだろ!」

「ちょっとぉ~私のせいにしないでよ」

「俺はいつものハンバーグなんだから、おまえのせいだろ、何を頼んだんだよ、カレーにしておけば早いのによ」

「ば~か、べぇ~」

「バカってなんだよっ!」


店員は中の様子を伺いながら料理を載せたキャリーを押し遠慮ぎみに入ってくると、テーブルにメインの料理を並べた。


「やっと、きたか、こんなスープとサラダじゃ腹の足しにならねーよ」

『お待たせして申し訳ありません』


深々と店員は頭を下げた。


「もぉ~ダーリンはお腹が空くと怒りっぽくなるんだから」

「うるせーっ!」

『あの・・・ライスの方、大盛りでと・・・これでよろしいのでしょうか?」


大皿にこれでもかと積まれたライスを不慣れな手つきでテーブルに置いた。


「おっ!そう、そう、いいね~もっと、大盛りでも良いけど、まっ、お代わりするからいいや」


店員をちらっと見た女は軽く会釈をした。


「無理を言ってごめんなさい」

『そんな、お気になさらないでください、こちらは本日のスペシャルメニュー、仔羊肩ロース肉のグリーリアと新ゴボウとニンニクのコンフィ・ローズマリーのお塩、でございます』

「どうも、今日のお料理も美味しそうね」

『ありがとうございます、シェフの自信作です、バケットはいつものでよろしいでしょうか?』

「うん、いつも、焼きたてで美味しいわ」

『ありがとうございます、お料理の提供時間に合わせて、焼き上げております、それでは、ごゆっくりとお楽しみください』


丁寧に頭を下げた店員はゆっくりと視界から居なくなった。


「なんだ、おまえも肉を頼んだのか、そんなちょっとで足りるのか?」

「足りるに決まってるでしょ、ダーリンとは違うのっ!」

俺は格子状に綺麗な焼き目が入っているハンバーグにかぶりつきメシを掻き込んだ。


「おまえさ、そのスープ飲まないのか」

「あっ、飲もうと思ってたけど、冷めちゃったから、さっき、下げてもらえば良かった」

「なんだ、飲まないなら俺にくれよ、勿体ないだろ」

「いいけど、もう、冷めちゃってるから、美味しくないよ」


俺たちの会話を聞いていたかのようにタイミング良く店員が入ってくる。


『よろしければ、温め直ししましょうか?少々、お時間を頂きますが』

「悪いな、頼む、適当にレンチンでいいからよ」

『申し訳ありません、それでは風味が壊れてしまいますので、湯煎で温めて参ります』

「なんでもいいから、適当に温めてくれ、そんなに熱くしなくていいからな」

『かしこまりました』


店員は料理を載せるキャスターに皿を一枚だけ乗せると居なくなった。


「あんなの、手で持って行けばいいのにな、おまえもそう思わないか」

「まぁ、そうだけど、他のお客さんも居るから、食器を手で持って店内を運んだり出来ないからでしょ」

「ったく、めんどくせー店だな」

「それがこの店のやり方なんだから、それよりさ、時計、ジャガールクルトで良いかな?」

「はっ?ジャガーの車?さっきの時計の事だろ、俺は時間が見やすくて、あと、丈夫で防水なら何でもいいよ、お前に任せる」

「やっぱり、私とダーリンって趣味が同じなんだ、良かったぁ、嬉しい、ジャガールクルトの時計って良いよね、なんか、エレガントだし、それに、レベルソならペアウォッチも充実しているもんね」

「なんだか知らないけど、あまり高いのは要らないからな」

「ダーリンのそういう優しいところが大好き、ほんと、高いの買えなくて、ごめんね」

「別に謝らなくてもいいだろ、だって、おまえが金を払うんだろ」

「そうだけど、だって、本当は安物をダーリンにプレゼントしたくないから・・・」

「俺は安物でも時間がズレたりしなければいいから」

「うん、スイスの時計だから大丈夫でしょ、ありがとう、日曜日、楽しみだね、だ~りん」

「ふ~ん、スイス製にすんのか、良い時計じゃん、わりぃな」

「そんな、私はダーリンが喜んでくれれば、それで良いの」


女は慣れた手つきでナイフとフォークを使い、赤みかかった肉を器用に口に運んでいた。


「おまえさ、俺の事をさ、どうしてダーリンとか変な言い方で呼ぶんだ」

「別に変じゃないでしょ、ダーリンなんだから、ダーリンでしょ、何が変なのよ」

「だから、クラスの奴らとかがさ」

「なに?」

「だからさ、おまえって、その、周りの奴らからすれば綺麗で、その、スタイルも良いんだってよ」

「そんな、綺麗でスタイルが良いなんてね、当たり前じゃない、そんな言われなくても分かってる事じゃない、それで」

「俺と付き合ってるんじゃないかと周りの奴らから勘違いされてるみたいなんだよ」

「なに言ってるのよ、勘違いじゃなくて、事実でしょ」

「いっ、いや、違うだろ、俺たち、別に付き合ってないだろ、俺、おまえに告白したか?された覚えもないけどよ」


女はナイフとフォークを皿に戻し、神妙な顔で俺を見た。


「いっ、いや、だから、俺はおまえが嫌いとかじゃないけど、ほら、お互いに勘違いされてるとさ」

「ダーリン、覚えてないの、私に告白してくれたの」

「えっ!いつだよ、俺、おまえに告白したっけ?」

「ダーリンが言ったんだよ、私の家で遊んでた時、私の旦那さんになってくれるって」

「俺、最近、おまえの家に行ったか?」

「最近じゃないけど、言ったでしょ、私はその時から将来の旦那さんはダーリンって、ずっと、思ってたんだから、私だって、その時にダーリンのお嫁さんになるって返事したでしょ、本当に忘れちゃったの?」


遠い記憶、既に思い出として仕舞い込んでいた記憶が脳裏に鮮明に浮かび上がった。


「それって、もしかして、ガキの頃・・・一緒に遊んでた時の・・・」

「うん、そう、ダーリン、私に言ったでしょ」

「言った・・・おまえ、忘れてなかったのか?」

「忘れる訳がないでしょ、死んでも忘れないよ」

「だって、おまえさ、その後に私立の学校に行ったじゃないか、俺、その時点でもその話は終わったんだと思ってたけど」

「だから、私はあんなに遠い私立の学校なんて行きたくなかったのっ!だって、大好きなダーリンと離ればなれになっちゃうんだよ、でもさ、パパとママが絶対に公立なんてダメだって、行かせてくれなかったの!そのせいでダーリンと会う機会も少なくなちゃったし・・・私・・・もう、我慢出来ないって、パパに言ったの、ダーリンと同じ学校に通わせてくれないなら、もう、私、学校に行かないって、進級試験も受けないって」


名門の私立に通っていた女が、どうして、公立校なんかに来たのか、それも、俺が入った学校に、それはただの偶然だと思っていた。


「ウソだろ」

「ウソってどういう意味よ、私、パパにお願いして、ダーリンが進級する学校を探してもらったんだからね、そう、そう、ダーリン、私に内緒で引越したでしょ」

「ああ、別に内緒にしてた訳じゃねけど、おまえに言うような事でもないと思ったからさ」

「言ってよ、パパからダーリンが引っ越しているって聞いてさ、私、ダーリンが遠くに行っちゃたのかと思って、ショックで寝込んだんだから」

「それはウソだろ、おまえがそんな事で寝込むなんてあり得ないからな」

「へへへっ、バレた、寝込んだのはウソ、でも、ショックだったんだから、私の知らないうちに引越してたなんて、でも、ダーリンってばさ、私の家の近所に引越してきたんだね」

「別に俺が引越先を決めた訳じゃねえ、親が決めたんだよ、そしたら、おまえの家の近所だったんだよ」


女は付け合わせの野菜を口にすると、小首を傾げて微笑んだ。


「運命、感じちゃった?」

「いや、別に、むしろ、おまえの家が邪魔で、遠回りしないといけなくなった、おまえの家を通り過ぎれば学校に近いのによ、おまえの家は敷地はでか過ぎるんだよ」

「そんなの知らないよ、近いなら、通っていいよ、それで、私と一緒に学校に行けばいいじゃん」

「だけど、おまえの家に入るのに時間が掛かるだろ」

「セキュリティーチェックがあるから?」

「うん、なんか、入り口がいつも物々しいんだよ」

「そっか、でも、ダーリンなら顔パスだよ」

「そんな訳ないだろ、それにさ、敷地の中をまっすぐは抜けられないんだろ」

「うん、変な所を通るとセンサーが反応して警備がすぐに来るけど、私が案内すれば平気だよ」


ガキの頃に遊びに行った記憶が蘇ってみた。


「そうだろ、ガキの時に遊びにいって、セミを捕ってたら、警備員にマジで怒られたの思い出した」

「それは私が知らないうちに、ダーリンが立ち入り禁止の場所に入ったからでしょ、それも、一番入っちゃダメな場所に、あの後、私だってパパに怒られたんだから」

「そんなの知るかよ、なぁ、あそこからミサイルが発射されるって本当なのか」

「さぁ~ね、しーらない」

「マジで要塞みてーな家だよな」

「仕方ないじゃないの、パパの仕事の関係でそうなっているんだから、もう、あまり、大きな声で言わないでよ、関係者以外で知ってるのはダーリンくらいなんだから」

「軍事機密なんだろ、俺は見ちゃいけない物を見ちゃったんだよな」

「そうだよ、本当、冗談にならないから、あの時は子どもだから許されたけど」

「今でも、あるのか」

「言えないよ、もう、私の家はどうでも良いから、日曜日だよ、忘れないでね」

「ああ、分かったよ」


カラカラとキャリーを押す音が個室に響いた。


『スープはどちらへ』


女は俺に向かって手を差し出した。


「いや、おまえ、飲めよ、おまえの分だろ」

「いいよ、ダーリン飲んで」


店員は黙って俺のテーブルにスープを置いて出て行った。


「それじゃ、もらうな」

「うん、良いよ、ダーリンが遠慮するなんて珍しい」

「なんだよ、おまえが昔の話なんてするから」

「えっ?もしかして、まだ、あの事、気にしてるの?」

「違うよっ!」

「ふ~ん、なんか嬉しいな、そうなんだ」

「違うって言ってんだろ!熱ちぃ!」

「もうぉ~ダーリン、慌てて飲むから、大丈夫?フゥーフゥーしてあげようか」

「ったく、熱くしやがって」

「ふふふふっ」

「何がそんなに可笑しいんだよ」

「思い出しちゃった、あの後、ダーリン、私にキスしてくれたの覚えてる?」

「熱っっ!ば、バカ、言うなよ、き、キスなんて、し、してねえよ」

「したもん、ほっぺにチュッってしてくれたの」

「してねえって!」

「ねぇ~、また、してよぉ~、チュって」

「するかっ!」


女は不気味なほどの笑顔で俺がメシを掻き込んでいる様子を伺っていた。


「見てねえで、おまえも食えよ」

「うん、やっぱり、ダーリンと同じ学校に来て良かった」


食事を終えると、女はカードを店員に渡し会計を済ませ学校へ向かった。


「いつも、悪いな」

「ぜ~んぜん」

「俺、本当に定食屋とかで十分だから、あの店、高いだろ」

「ぜ~んぜん、ダーリン、今日の放課後は空いてないの?」

「あっ、いや、うん、ちょっと、予定がある」

「なんだぁ~つまんないの、明日は?」

「いや、それは、明日になってみないとな」

「なんでよぉ~それなら、空けておいてよ、デートしようよ」

「デートってどこに行くんだよ、今度の日曜日で良いだろ」

「うぅ~ん、だってぇ~せっかくダーリンと同じ学校なんだから、毎日、デートしたいじゃん」

「そんな、毎日、デートなんてしたら、俺の小遣いが無くなちまうよ」

「それなら、心配しないで、私がぜーんぶ、払うから、それなら、いい?」

「だから、それが嫌なんだよ、昼飯を奢ってもらって、放課後もおまえに奢ってもらう訳にはいかないだろ」

「別に、いいじゃん」

「よくねーよ、じゃーな」


俺は教室の前で女に手を振って別れ自分の机に戻った。


「ふぁ~メシ食ったら眠くなった」


午後の授業が始まっても、一番前の空席が気になって仕方なかった、気にしたところで彼女の熱が下がるわけでもないが、彼女の席に彼女の姿がないことがどうも不自然に思えて仕方なかった、休みだから居ないのは当たり前なのに、どうしてそれが不自然に思えるのか理由が分からないまま午後の授業が終わた、そして、また、あの女が纏わり付いてきた。


「だぁりん、あれーっどうしたの?深刻そうな顔して」


俺の顔をのぞき込んだ女は心配そうな素振りで笑っていた。


「なんでもねえよ」

「今日、用事があるって、私も一緒に行っちゃだめなの?」

「一緒に来るか」

「ホントっ!嬉しい、行く、行くっ!どこに行くのっ!」

「お見舞いに行こうと思ってんだけど、なんか、行きづらくて」

「お見舞いって、誰が病気なの?」


俺はゆっくりと一番前の席を指さすと、女の視線は俺の指先をなぞった。


「ふーん、あの席って、誰だっけ?」

「一緒に来れば分かるだろ」

「誰よ~」

「俺、一人で行ってくるから」


俺は机の鞄を強く握りしめ席を立った。


「ちょ、ちょっと、待ってよぉ~」

「ついて来るなよ」

「なによぉ~、ねぇ、ねぇ、ちょ、ちょっとぉー、怖い顔してどうしたのよ、ねぇ、ダーリンってばぁ~、あーん、待ってよぉ~」


俺は追いかけてくる女に構わず彼女の自宅を目指し走った、昨日、彼女と分かれた場所へ着くと周りを見渡した。


『確か、この近くだと言ってたよな』


俺は表札を確認しながら一軒、また一軒、と周囲を歩き続け、表札の文字に立ち止まり家の全体を見渡しながらつぶやいた。


『表札は合ってるけど、同じ名字で違う家って事もあるよな』


見知らぬ家の前でじっと立っている訳にもいかず歩き始めた。


『でも、この辺だったら、たぶん、でも、そうだとして、俺、なんて言えば良いんだ、同じクラスだから、心配で・・・でもな、ただの風邪だし、何日も休んでいるならまだしも、今日一日だからな』


来てはみたものの、本当に彼女の家なのかすらも分からないし、あの女が言うようにただの風邪でお見舞いっていうのも大袈裟だと、それは確かだった。

なんとなく家の周りを一周してしまい、元の位置の戻った俺は家の前で一旦立ち止まった。


『やっぱり、いいか、明日、来るよな、あいつが言うようにただの風邪だもんな、薬を飲めば治るよな、帰るか』


モヤモヤしていた気持ちがなんとなく晴れたような気がし、家の前から立ち去ろうとした時だった。

庭先の玄関のドアが開くと、出てきた女性と目が合ってしまった、俺は咄嗟に視線をそらしたが、それが不自然に見えたのか声を掛けられた。


「あらっ、何かご用ですか?」


俺に向かって近寄ってくる女性は穏やか雰囲気で、何も言わずに立ち去るのも畏れ入った。


「い、いや、あ、あのー、阿部さんのお宅ですよね」

「ええ、そうですけど?」


少し怪訝そうな表情を見せながら、ポストを覗き込み郵便物を取り出すと、軽く目を通していた。


「あ、その、俺、いや、僕その、阿部さんの・・・その、同じクラスで・・・あの、今日・・」


女性はすぐに察したのか、郵便物に落としていた視線を俺に向け笑顔を見せた。


「あらっ、エミリーのお友達だったの!誰かと思って、ごめんなさいね、エミリーに男の子のお友達だなんて、珍しいものだから、あら、そうだったの、どうぞ、入ってちょうだい」


女性は門扉を開け手招きをしていた。


「あっ、いや、その・・風邪の具合は・・・」

「もう、ピンピンしてるわよ、それにしても、男の子が心配して来てくれるなんて、あの子、いつの間にね、さっ、何もないけど、お茶くらいは飲んでいってよ、」


女性は中に招き入れようと斜に構えながら誘っていた。


「いや、元気になっているなら、それで、良いんです、失礼します」

「あらっ、だって、折角、来てくれたんだから、お茶くらい飲んでいってよ」

「ありがとうございます、でも、帰ります、それと、僕が来たこと・・・あの・・阿部さんには言わないで欲しいんです」


俺の言葉に女性の表情は急に曇り声を潜めた。


「あら、どうして?もしかして、エミリーが学校でいじめられてたりしてない?」

「い、いいや、そんな事ないですよ」

「そう、本当?それなら、エミリーに言わないでって・・・」

「いや、いや、風邪くらいでお見舞いとか大袈裟だし、それに阿部さんに嫌われてるような感じがするので」

「きっと、照れてるだけよ、内気な子だから」

「そうですか・・・なんか、俺は避けられているような気がしたので」

「そんな事を言わないで、お友達になってあげて」


彼女の母親は何か不安に満ちた表情を浮かべていた。


「ねぇ、あなた何か知らない?昨日、学校で男の子のジャージを借りて帰ってきたのよ、どうしてなのって、聞いても何も答えないのよ、埃まみれになって帰ってくるときもあるし・・・」

「埃まみれですか・・・」

「何か知ってる?」

「い、いや」

「そう・・・どうも、昨日は誰かに水を掛けられたみたいで、いじめられているじゃないかと」

「それは、その・・・」


昨日、起こった出来事のすべてを彼女の母親に話すと表情を少し緩めてくれたが不安そうな顔は変わらなかった。


「そう、あなたがエミリーを助けてくださって、親切にしてくれたのね、そうなの、お礼をしなくては」

「いい、いや、いいんです」

「そういう訳にはいかないでしょ、それにしても、どうして、そんな危険な場所を学校は残したままにしているのかしら」

「校内では呪われているなんていう噂も流れてて、僕はそんな呪いなんて信じてませんが、確かに、取り壊そうとすると事故が起こるらしいです、それで、残ったままになっているようです」


母親は何か思い当たる節があるような顔をしていた。


「エミリーがその旧校舎に入らないようにしてもらえないかしら」

「あんな嫌な思いをしたのですから、もう、行かないと思いますけど」

「それでも、また、行くわ」


母親の確信に満ちた発言に俺は驚いた。


「えっ、どうしてですか?」

「あの子、ちょっと変わっていて、呪いだとかなんか噂がある事に行きたがるの」

「いや、ただの噂ですよ」

「その噂が事実かどうかを調べていんじゃないかと思うのよ、こっちに転校する前の学校でも、灯台の中で人が消えた噂があって、その時もエミリーは時空が・・・」

「そう、そう、昨日も時空って言ってました、あと、ラス何とかの卵」

「ラスプーチンの卵じゃない」

「そうです、それって、なんですか?」

「分からないの、時々、寝言で言っているのよ、何か生き物の卵なのかしら・・・そう、こっちでもそんな事を言っているの・・・困ったわね・・・これじゃ、お友達が出来ない訳よね」

「それから、僕が阿部さんの夢を見るはずがないって」

「そんな事まで言っているの、本当に困った子・・・そんな事を言ってたら、誰にも相手されなくなるわね・・・」

「でも、僕、どうして、阿部さんがそんな事を言うのか、ちゃんと聞いてみたいと思って、きっと、何か理由があるのだと、どうしても、気になるんです」

「そう、ありがとう、詰まらない話しかもしれないけど、もし、良かったら聞いてあげて」


軽く会釈した母親は俺を見送ってくれた。


翌日、学校へ行くと下駄箱に彼女の運動靴が入れられている事を確認して教室へ向かった、相変わらず彼女の姿は教室にはなく、俺の机の上にはウサギのキャラクターの袋が置いてあった。

中には彼女に貸したジャージが洗濯されて丁寧に折りたたまれて入っていた。


『本当に旧校舎へ行ってるのか・・・そんな事はねえよな』


俺は母親の言葉を思い出し一抹の不安を抱きながらも、とりあえず袋からジャージを取り出し廊下にあるロッカーへジャージを入れた、その時に何かヒラヒラと舞いながら廊下に落ちた。

視線を廊下に落とすとウサギのイラストが印刷された封筒が廊下に落ていた、拾い上げた封筒から便せんを出し目を通した、女の子らしい丸みのある文字を目で追っていった。

内容は在り来たりなお礼文だったが、読み終えた時には無意識のうち便せんを握りつぶしていた。


「なんなんだよっ!」


俺の叫び声ととにも始業を告げるチャイムは鳴った、そして、いつもの通りジャージを着た彼女の姿が視界に入り、彼女は俺に気がつき会釈した、前に立ちはだかる俺の顔色をみて彼女は少し視線を落とした。


「おはよう、ジャージありがとう、机に置いておいたけど、分かった?」

「ああ、それより、これ、なんだよ」


拳で握り潰したままの手紙を彼女の前に突き出した。


「手紙・・・読んだんだ、一昨日は本当にありがとう、感謝してる、でも、そういう事だから」

「だから、なんなんだよっ!意味がわかんねーだろ、なんでだよ」

「なんでって、だから、もう、構わないで欲しいの」

「どうして、意味がわからねーって、俺が嫌いなのか、そうなのか」

「嫌いじゃないよ、親切にしてもらったし、でも、それが困るの、もう、授業が始まるよ」

「うるせー来いっ!」


彼女の腕を掴み取ると、彼女は表情を強ばらせた。


「痛いっ、止めてよ」

「俺は納得、出来ない、来いっ!」

「なんでよっ!授業が始まっちゃうでしょ」

「授業なんて知るか」


彼女の腕を引き寄せ強引に彼女を引きずり屋上へ向かった。


「痛いっ、離してよ、どうしてなの」

「俺が聞きたいよ、なんでだよ」


嫌がる彼女を屋上まで引き連れて行き、しわくちゃになった手紙を彼女に突き出すと彼女は更に表情を強ばらせた。


「もう構わないで欲しい、って、どういう事なんだよ!俺が何か嫌なことでもしたかっ!」

「してない・・・」

「そうなら、どうして、構わないで欲しいって、俺の事が嫌いなのか、嫌いなら、嫌いだと書いてくれ」

「嫌いじゃないよ・・・」

「俺、お節介か」


彼女はじっと手紙を見つめたまま黙って、頭をゆっくりと左右に振った。


「ママに話したでしょ」

「ああ、言ったよ、それで怒られたからか、それは逆恨みじゃねーかよ、俺は阿部さんが誰かにいじめられたりしてないかって、聞かれたからよ」


彼女の肩が微かに動き握りしめている手に力が籠もると同時に顔を上げた彼女は毅然と声を上げた。


「そうよ、どうして、言ったの、ラスプーチンの卵を早く見つけて破壊しないと大変な事になるの、時空も交錯しているし、時間がないの」

「まず、そのラス何とかの卵ってなんだよ、珍しい生き物の卵か?それで、破壊するってよ、可哀想じゃねーのか、卵なんだろ、育てたりすんじゃねーのか」

「育てなくても勝手に大きくなっていくの、ラスプーチンが生まれる前に破壊しないと、私の力ではどうにも出来ないの」

「その卵、どこの辺にあるんだ、一緒に探してやるからよ、可哀想だけどよ、その卵を見付ければとりあえず阿部さんは気が済むんだろ」

「うん、破壊が出来れば、私は仮想空間に戻るから、もう、変な事を言わない私になるよ」

「そうか、よし、分かった、でもな、その卵って、本当はないんだろ、夢か何かで見た奴だろ、俺もガキの頃にそういう事があったからよ、分かるよ」

「そう、現実空間に普通はないの、手伝ってくれるって言われた時はちょっと嬉しかったけど、ウソだったんだ、始めから探すつもりなんてなかったんだ、でも、良いよ、一人で探すから、だから、もう、構わないで、私は変な子だから」


彼女は背中を見せた。


「おいっ、待てよ、ない物は探せないだろ、本当にあるのか」


彼女の肩がわずかに震えたかと思うと、振り向きざまに声を上げた。


「ラスプーチンの卵はこの学校のどこかにあるはず、だから、私は仮想空間から探しに来たの」

「旧校舎で探してたのは、それか?」

「うん、そう」

「また、行くつもりじゃないよな」

「行くよ、もう、あそこしかないの、あの人達はラスプーチンが集めたんだと思うから」

「旧校舎に入るのは止めとけよ、あいつらが何をしてくるか、分かっただろ、鉄パイプで俺をぶん殴ろうとしたんだぜ、阿部さんだって同じような目に遭うかもしれないんだぜ、それでも行くのか」

「うん、ラスプーチンの卵を探さないと、それに、あの時みたいに私は掴まったりしないから」

「バカ、あんな大勢に囲まれたら、逃げられねーって」

「パワーが戻れば平気なのっ!」



背を向け歩き始めた彼女の肩を掴んだ。


「なによっ!放っておいてよ」


彼女は激しく俺のを手を振り払うと背を向けた、俺は優しい口調で彼女の背中に問いかけた。


「分かった、分かった、そのラス何とかの卵を一緒に探そうぜ」

「手伝ってくれないていい、どうせ、信じてないんでしょ、別に信じても欲しくないけど」

「阿部さんがあるって言うなら、どこかにあるんだろ、信じるから」

「そんな事を言って本当は信じてないでしょ」

「いや、だから、何か、あるっていう証拠みたいなのはないのかよ、何でも良いよ、本に書いてるとか、要するにツチノコみたいなものんだろ」


彼女は下を向いたまま、何かを考え込むようにしばらく黙っていた。


「どうして、私と関わろうとするの?」

「それはよ・・・なんか、放っておけないっていうか、同じクラスじゃないか、普通に話すくらいはしても良いだろ」


彼女は一つ、ため息をついた。


「普通に話すか・・・そうだよね、夢は夢のまま、現実とは違うんだもんね」

「まぁ、夢は夢で良いけど、現実も大切だよな」

「そう言う意味じゃないけど、ラスプーチンの卵がある証拠ね、そんなに言うなら見せてあげる」

「マジか」

「えいっ」

急に彼女は手のひらを俺にかざした、目の前には彼女の手のひらと目を見開いて唖然としている彼女の顔があった・

「どうした?」

「出ない・・・どうして出ないの」

「えいっ!」

「分かった、分かった、証拠はそれだけか」

「違うの、なんで、どうして、パワーが出ないなんて・・・これじゃ、ラスプーチンの卵を破壊する事が出来ないよ、どうしよ、どうしよ」


訳が分からないが彼女はとても慌てている様子だった、その姿が俺には哀れに見えてきた。


「いいよ、分かったから、一緒に卵を探してやるから、安心しろ」

「安心している場合じゃないの、パワーが出なかったら、ラスプーチンの卵を探しても意味がないの」

「そっか、それじゃ、別の卵にするか、でも、破壊するのは可哀想だから止めような」


しかし、俺の冗談じみた言葉にも反応が出来ない程に彼女は本気で焦っている様子だった、焦っていると言うよりもこの世の終わりが来たかの様な絶望的な顔をしていた。


「そんなに悩むなよ、普通な手のひらからは何も出ないんだよ」

「お気楽な事を言っていられるのも今のうちだよ、ラスプーチンに現実空間を支配されたら、全て夢は悪夢に変わるの、楽しい夢なんて見られない、毎晩のように悪夢を見て、それが現実になるの、悪夢は夢のままで終わるから、ああ、良かった夢で、それで終わりでしょ」

「分かったから、大丈夫だよ、夢が現実になる事なんて滅多にないだろ」

「私が旧校舎に居る夢、あれ、現実に起こったでしょ、夢の通りじゃないかった」

「ああ、まぁ、偶然って事はあるだろ」

「偶然じゃないの、空間交錯が起こっているって事は、ラスプーチンが夢を現実にしたのよ、卵でもその位の力は出せるはず」

「それじゃ、良い奴じゃないか、夢のお陰で俺は阿部さんと話す機会が出来た、俺にとっては悪夢じゃないからな」

「そうか・・・それじゃ、ラスプーチンの影響じゃ・・・ないのかな・・・違う、その夢には・・・続きがあるんだ」

「いや、俺、途中で起きちゃったから、もう、続きはないぜ」

「どうして最後まで見なかったの、ラスプーチンのは私とあなたを会わせる事で何を企んでいるに違いないの、おそらく、私があの旧校舎にたどり着いた事でラスプーチンも焦っているのよ」

「なぁ、そのラス何とかって、生き物なのか、卵じゃないかったのか」

「卵と言っても鶏の卵みたいなものじゃなくて、その、未熟な人の事を何とかの卵っていうでしょ」

「ああ、モデルの卵とか芸能人の卵みたいな、目指している的な」

「そう、そう、だから、ラスプーチンの卵も同じ」

「ほぉ、なるほど、なるほど、どんな奴なんだ、あの旧校舎に隠れているような奴だから、相当の悪だろうけど、まぁ、卵とか言われている奴じゃ、大したことはないな、あー、なんとなく話しが読めたぞ、阿部さんはそいつに仕返しがしたいのか、何かされたのか、そんな奴ならよ、俺が誰か適当な奴をとっ捕まえてよ、吐かせればすぐに見付かるよ、まぁ、俺は暴力は好きじゃないけど、阿部さんがそれで気が済むなら、俺が力になってやるよ、うーん、すっきりした、そういう事か、なんだ」

「ぜーんぜん、違う、ラスプーチンは実態は殆どないから、言ってみれば暗黒の空間だから、必ず、どこかにその空間を展開しているはずなのよ」

「おっと、また、ややこしい話しになったな、実態がないってよ、その闇の組織みたいな所の奴なのか、いわゆる、ヤクザかよ、それは、阿部さん、手を出さない方が良いぜ、ってか、阿部さんって結構勇気があるんだな、ヤクザを探しているのかよ」

「だから、ヤクザでも不良でもないの、もっと、怖いんだって」

「ヤクザより怖いってよ、お化けか?」

「お化けも怖いけど、ラスプーチンはもっと怖いの」

「それは強敵だな・・・って、だから、なんなんだよ、そのラス何とかって」

「ラスプーチン、だから、さっき、言ったでしょ、悪夢を現実にするって」

「ああ、分かった、その占い的な奴か、俺はあんなの信じないけどな」

「それも違う、ちょっと、私についてきて」

「ああ」


彼女は黙ったまま商店街を抜け外れの脇道の路地に入り、旧校舎の裏にある雑木林の中へ入っていった。


「おい、授業サボっていいのか、それにこの雑木林なら旧校舎を抜ければ来られたぜ」

「こっちから行かないとダメなの、空間が開いている向きが違うから、それに、もう、授業どころの話しじゃないから」


彼女は理解し難い言葉を発しながら、生い茂る雑草を掻き分けて雑木林の奥へ進んでいった。

覆い被さる木々の葉に太陽の日差しが遮られ、昼間とは思えない程に薄暗く、不気味な雰囲気を漂わせている、その中を彼女は黙々と進んでいき、草を掻き分け始め身の丈以上あるような藪の中へ入っていった。


「おい、おい、そんな藪の中に入ったら虫に刺されるぞ!」

「虫なんていないから、ついて来てよ」

「えーっ、なんでだよ、こんな所に入るの嫌だな」


俺は仕方なく藪の草に手を掛けた。

すると、その草は不思議な感覚で、まるで空気を掻き分けているような感じで手が空を切る、見た目には藪はもっと奥まであると思えたが、空気の様な草を掻き分けるとすぐ開けた場所へ出た。

そして、忽然と広がる違和感のある光景が広がり目の前には古びたお堂のような建物があった。


「私が指をさしている方向に建物があるの、おそらく今はただの草むらにしか見えないと思うけど」

「いや、お堂みたいな建物が建ってるけど、こんな所にあるなんて変だな」

「えーっ!」


驚愕の声を上げた彼女は目を見開き呆然と俺を見ていた。


「どうしたんだよ、そこにあるのが見えちゃ不味いのか」

「現実空間の人には見えないはずなのに」

「阿部さんは見えるんだろ、だったら、俺に見えても変じゃないだろ」

「私は仮想空間の人間だから見えて当たり前なの」

「残念だったな、俺、見えちゃったよ、それより、ここに来たらスゲー腹減ったんだけど」


何気なく時計を見た時計の針が15時を指していた。

「ついに俺の時計、壊れちまったよ」


外した時計をポケットに押し込んだ。


「時計がどうかしたの?」

「ああ、動いちゃいるけど、完全に狂ってる、今、15時な訳がないだろ、昼飯もまだなんだし」


彼女は真剣な顔を何度も時計を見ていた。


「時空が加速してる」

「どうした、阿部さんの時計も壊れちまったのか」

「違う、あなたの時計は壊れてない、今、15時なの」

「そんな訳ないだろ、どう考えても、10時頃だよ、太陽の位置を見ろよ・・・」


さっきまで木漏れ日が零れていた樹の葉っぱが赤く染まっていた。


「どしてだ、マジかよ」


彼女の顔を見ると全く驚いている様子はなかった。


「仮想空間と現実空間に時差が生じることはよくあるの、でも、ここまでの時差は仮想空間の時空が加速してるんだ」

「マジかよ」


俺は現実として受け入れきれなく、何かのトリックか錯覚なのだと周りを見渡しても景色は夕暮れ時になっていた。


「どういう事なんだ、ただ、草むらを超えただけだぞ、それじゃ戻れば、時間も戻るのか」

「戻らないよ、あなたが現時空間に入った時点で現実空間も時空が加速して追いつくから」

「それじゃ、俺は、今日、一日が短かったってことになるのか」

「一日の概念がどこにあるかだけど、24時間が一日と考えるか、一日経ったら一日と考えるか、そもそも、時間の概念ってなに?って事にもなるけど」

「相対性理論の事を言っているのか」

「そう、分かってるなら、説明は要らないね」

「だけどよ、あれは、証明されてないだろ、証明をするための検証実験で相対性理論が成立しない事が立証されちまったんだよな」

「せーかい、ふーん、頭が良いんだね、それじゃ、もっと、説明は不要だね」

「マジか・・・空間が二つないと証明されない理論が本当は成立してたのか」

「そうだよ、相対性理論が証明されなかった理由は仮想空間と現実空間の証明が出来なかったってこと」

「おいっ、本当にこれが現実なら、ノーベル賞なんて余裕だぜ」

「ふふふん、そうかもね、きっと、アインシュタインさんもあなたと同じ体験をしたのかもね」

「そうなのか、だから、相対性理論を説いたのか、俺、スゲー場所に来たぞ」

「それじゃ、もう一つ、これで、私が別の空間から来た事が証明されるかな」


彼女はゆっくりとお堂に向かって歩き出すと彼女の姿が消え再び現れた。


「私、消えたでしょ」

「ああ、消えた、一瞬」

「これは、異空間移動による消滅現象、この辺には時空の切れ目が多いから、こんな現象が起こるの、同じ空間の人間ならこの現象は起こらないんだけど、意味が分かる?」

「ああ、それなら、阿部さんはどして俺からも他の奴からも見えるんだ、それは変じゃないか」

「現実空間に居るはずの私が仮想空間に存在しないからだよ」

「だから、あなたはこの辺を歩いても消えないの」

「阿部さんはどうやって異空間を移動したんだ、通常は出来ないよな」

「うん、この話しは長くなるんだけど、簡単に言うとね、私が空間を割ってしまったから」

「どうやってだ」

「夢の夢を見たてしまったの、それが原因」

「それって、たまにあるよな、夢の中で夢を見るって事だろ、起きて、あー夢か・・・でまた起きて、あれ、これも夢か?みたいな」

「そう、でも、その、夢か・・・で起きて、本当はそれが夢なのに、余りに長いと、現実に起こっている事かもしれないって思うでしょ、それ」

「あ、あ、って事は、今、俺は夢を見ているのかも知れないと、それなら、時間が早くなるとか、阿部さんが消えるとか、あと、その何とかの卵があるとか、あり得るな」

「そう思えば、私の言っていることも信じてもらえそう」


彼女はお堂の中へ入っていった、追いかけるように中に入ると至って普通の板張りの壁と床だった。


「中は普通なんだな」

「そうだよ、でも、ここが仮想空間と現時空間が交差している場所なの」

「ほぉ~」


板張りの壁を触ってみても何も起こりそうもない何の変哲もない壁だった。


「さてと、ここでゆっくりしている場合じゃないんだ、ラスプーチンの卵を探さなくちゃ」

「おお、それにしても腹が減ったな、何か食おうぜ」

「後で私のお弁当をあげるよ」

「良いのか」

「うん、でも、その前に旧校舎に一緒に行ってもらえる?」

「旧校舎か・・・あまり、気が乗らないけど、本当にそこにラス何とかの卵があるのか」

「ラスプーチンの卵だって、覚えてよ、絶対にあるの」

「そうなんだよな、ああ、良いよ」

「ありがとう、パワーが出ないかもしれないから、一緒だと安心する」

「出来れば、出くわしたくないけどな」


彼女はお堂から出ると学校の裏山を下り旧校舎の方へ向かっていった。

「どうして、来るときは遠回りで帰りは近道なんだ」

「さっき、言ったでしょ」

「そうだっけ、まぁ、何でも良いけどよ、どこから現実に戻るんだ」

「こっちから降りたら戻らないよ」

「どうすれば戻れるんだ」

「来た道で帰れば戻る」

「なるほど、めんどくせーな、このまま帰ったら、俺は夢の世界のままなのか」

「そうなるね」

「それで、どうなるんだ」

「普段と変わらないよ」

「どうしてだ」

「仮想空間も現実空間も全く同じだから」

「それじゃ、分からなくなるじゃないのか、自分がどっちの空間に居るのか」

「だから、お堂を教えたの、あれが見えなくなれば、仮想空間がなくなったと思って、完全に現実空間と仮想空間が分離されている状態になれば、現実空間の人は見えないから」

「なるほどね、分かった、今、俺はどっちでも良いのか」

「どっちでも存在しているから」

「分かった」


俺が返事をした瞬間だった彼女が急に目の前か消えた。


「おいっ、どこに行ったんだよ」


突然の出来事だった、見失った訳ではなく目の前で消えたまま姿を現さない。


「おーい、返事しろよ」


さっきはすぐに現れたと思って回りを見渡していると、眼下に信じがたい光景が視界に入ってきた、大勢の女達に囲まれた彼女の姿があった。


「なにをやってるんだよ、逃げろよ」

さっきまで俺の前に居たはずなのにどうして彼女はあいつらに見付かってしまったのか、訳が分からないまま一直線に駆け降りて旧校舎へ向かい中を覗いた、なぜか不気味な程に静まり返っている。

「おーい、出てこーい!」


彼女は声を上げられない状態にされているのか、それにしても静かすぎるしどうしてさっきまで居たのに急にあいつらに掴まったたりしたのか理解が出来ない。


「あいつ、どこに連れて行かれたんだ・・・うわっ!なんだこれ、眩しいっ!」


突然、目の前から強烈な光の塊が波の様に押し寄せてきた、巨大なフラッシュを連続して光らせているような閃光が押し寄せてくる、その尋常ではない明るさに手で顔を覆った。


「なっ、なんなんだ、この光は・・・目に刺さる」


目を閉じ手でガードしているのに、目を突き抜けるような強烈な光が差し込んでくる、平衡感覚が狂いその場で立っている事すらも出来なくなっていった。


「マジでやべぇー」


膝に手を置いて必死に堪えても、天と地が逆転していような感覚に膝から崩れ落ち意識が遠きうずくまった。


「今のはなんだったんだ」


しばらくすると光の波が通り過ぎていったのか、立ち上がれる状態へ戻り、ゆっくりと目を開けた。

しかし、視界は真っ白で全く前が見えなかった、手探りでゆっくりと前へ進みながら叫んだ。


「阿部さん、大丈夫かっ!」


ぼんやりとした視界の中に、彼女のシルエットが見え始めた。


「おお、無事だったのか、今のなんだ」


彼女は何事も無かったかのように平然と俺に近寄ってきた。


「ねぇ、何をしにきたの?」

「何を言ってんだよ、その、ラス・・・あれだよ、ラス何とかの卵を一緒に探してくれって言っただろ」

「私が言ったの?」

「大丈夫か、記憶喪失になったのか、さっき、言っただろ」

「言ったなら、言ったのかも・・・それより、目は大丈夫?」

「ああ、なんとかな、阿部さんは平気なのか」

「うん、私が放っから」

「あの、えっと、パワーってやつか」

「うん、良く知ってるね、私、そんな説明したっけ」

「マジで言ってるのか、手のひらから何か出るって言っただろ、それじゃないのか」

「そうだよ、もしかして、空間を超えたの?」

「超えたのって、阿部さんが俺を・・・その、お堂に連れて行ったんじゃないか」

「お堂に?あれが見えたの」

「見えたから言ってんだろ、おい、マジで大丈夫か、俺の目の前で消えただろ」

「なるほど、分かった、私が連れて行ったから」

「やっと、思い出したか、そうだよ、どういう事だ」

「意図しない空間を超えちゃったから、あの、私は私だから、記憶喪失でなくて、空間に戻れなかったんだ、やっぱり、無理があるのか、とりあえず、ここから出よう」

「ああ、そうだな」


旧校舎を出て教室に戻ると彼女のお弁当箱を食べながら、俺が意味不明な出来事に巻き込まれた理由を聞いた。


「ってことはよ、別々の時間が流れていたって事か」

「本来は同じ時間、空間が存在するんだけど、おそらく、ラスプーチンの仕業だと思う」

「そのラス何とか」

「ラスプーチンの卵、本当に何回言えば覚えるの、お堂に居た私は夢の夢に居る私だったの、正直に言えば、あなたが一緒に探してくれるって言ってくれたら本当に嬉しいなって、私は思っているの、でも、それをすれば、結果として悪い方向へ進んで行くのも分かっているの、夢は叶えられるけど、夢の中での夢は叶えられない、叶えたとしても、それは夢なんだから」

「良くわかんねーな、それじゃ、今の阿部さんは一体誰なんだよ、俺が夢を見ていたって事か」

「私は私だから、さっき、ラスプーチンの卵を探しの手伝ってくれたら嬉しいって言ったのは、聞かなかった事にして、これ以上巻き込むのはやっぱり危険だから、もう、構わないで欲しいの、近くに居ると甘えちゃうっていうか、どうしても、その・・・抑えきれないから」

「阿部さんの今の気持ちのままで良いじゃねえの、無理するなよ」

「だけど」

「一緒に探してくれたら嬉しいって言ったよな、屋上でも言った、それで良いだろ、俺もなんか楽しくなってきたぜ、そのラスプーチンの卵だっけ、探そうぜ、俺、宝探し好きなんだよな、それによ、信じられない事が良く起こるんだろ、それって、マジでスゲーぜ、頭が混乱するけどよ、これが夢だとしても面白いじゃねーか、そうだろ」

「そんな風に言わないでよ、私が困るから、それに、彼女に悪いよ、もっと、大切にしてあげて」

「彼女って、また、彩矢の話しかよ、ただの幼なじみだって、ガキの頃からの付き合いだからよ、端から見ればなんか仲が良さそうな悪そうなそんな感じだけどよ、あいつはあれで良いんだよ、あいつに惚れる男なんていっぱい居るんだしよ、俺が別にあいつと付き合わなくてもいいだろ」

「でも、好きでしょ」

「あーっ、別に、好きでも嫌いでもなーけど、だから、ただの幼なじみなの、それ以上でも以下でもねー関係、阿部さんが気にすることでもないだろ」

「だけど、私なんかと一緒に居ても、何も良い事なんてないよ」

「あるよ」

「なに?」

「この弁当、ちょーうめーな、これ、阿部さんが作ったのか」

「うん、そうだけど」

「マジで美味いよ、俺の分も作ってくれねー」

「えっ、どうして?」

「いいじゃねーか、俺が一緒にラス何とかの卵を探すのを手伝う、その代わりにだ、弁当を阿部さんが作ってくれる、これなら、阿部さんも気が引けないだろ、どう?」

「本当に彼女はどうするの?いつも、一緒に食べてるんでしょ」

「ああ、でもよ、あいつはいつもバカみたいに高いレストランばかりだろ、飽きたんだよ、俺は始めから望んでないんだぞ、ただ、連れて行かれたから、そりゃ、美味いのよ、高いんだからな、でも、詰まんない味んだよ、いつ食っても同じだしよ、いや、それに比べて阿部さんの弁当は最高だよ、腹が減ってたってものあるけどよ、でも、美味い、なんなら、俺、買ってもいいよ、500円でどう?いや、600円でもいい」

「変な人、別にお弁当を作るくらい簡単だから良いけど、彼女に怒られない」

「ああ、すげー怒るだろうな、まぁ、良いよ、俺から言っておくから、阿部さんに文句の一つでも言ったら、彩矢とは口を利かないってな」


彼女は目を見開いて俺を見ていた。


「どうした?」

「ううん、何でもないけど・・・」

「それで、500円か600円、どっちだ」

「お金は要らないけど・・・あのさ・・・お弁当を一緒に食べてくれたりしないよね・・・」

「なに言ってんだよ、当然だろ、弁当だけ作ってもらうなんて事を俺がすると思ってんのか」

「本当にっ!」


俺は彼女の笑顔を初めて見た。


「笑うと可愛いな」

「優しいんだね、他の女の人にも言うの」

「言わねーよ」

「ウソだよ」


なぜか遠くから俺の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。


「なんか耳鳴りがするな」

「そろそろ、起きる時間じゃないの」

「はぁ?なにだって、俺、起きてるだろ・・・痛いっ!」


俺の頭に強烈な痛みを感じた。

「授業中に居眠りしてるなっ!」

「はっ!」


俺は信じられないものを目にした、いつもと変わらない授業風景だった。


「ウソだろ、夢じゃねえよ」

「何を言っているんだ、授業中に夢だと」

「いや、マジで・・・ウソだろ」


半ば呆れ顔で俺を見下ろしている教員が教卓へ戻っていった、俺は授業が終わると真っ先に彼女を捕まえた、俺が言いたいことが分かっていたかのようでもあった。


「お弁当でしょ、作ってきてあげるから、心配しないで」

「どうして分かるんだ」

「どうしてって?だって、私がその夢に出てたから」

「マジか」

「信じられない?」

「いや、信じるしかないだろ、今はどっちだ」

「現実空間だよ、時空も正常に流れてる」

「そうか、それじゃ、今は夢じゃないんだな」

「今はね」


翌日、彼女は本当にお弁当を俺の分まで作って来てくれた、ラスプーチンの卵なんていう物が本当にあるのかは疑問だが、彼女は俺の夢の内容を知っていた、そして、彼女はラスプーチンの卵について書いたり始めた。


「ラスプーチンの卵は、暗闇の中で人間の邪悪な心だとか、人と人の間で生まれる嫌悪など負のエネルギーを吸収して成長していく悪魔の化身のような者なの、それだけでなくてね、吸収した負のエネルギーを増悪させ放出する事で、闇黒のスパイラルを生み出して凄いエネルギーで人間を引きずり込んでいくの」


彼女は自分の話しに怖々と身体を縮めながら話しを続けた。


「でもね、それだけならまだ可愛いものなのよ、さらに成長したラスプーチンの卵は人の邪悪な心に取り憑いて、負のエネルギーでその身体まで支配していくの」


話しを終えた彼女はスッと肩の力を抜きながら息を吐いた。


「なるほどな、旧校舎にファンキーな連中が集まってくるのは、ラスプーチンの卵にとっても好都合だと」

「そう、だけど、旧校舎の中を片っ端から探したんだけど、どこにもないの、でも、やっぱり旧校舎が一番可能性として高いと思うでしょ」

「それじゃ、やっぱり、ないとか」

「絶対にある」

「なぁ、その探した場所が分かる様なものないのか」

「ない」

「探すならもう少し効率よく探そうぜ」

「どういうこと」

「なんか、図面とか書いてよ、ここは探したとか、しないと、同じ場所を探したりするだろ」

「そんなの書いている時間があったら探した方が良くない?」

「そうかもしれないけど、隠し部屋みたいのがあっても分からないだろ」

「隠し部屋なんてあるの?どこ?」

「仮にあったとしたらだよ」

「そんなのどうやって探すの」

「だから、図面を書けば不自然な場所がある事が分かるだろ」

「そっか、でも、私はそんなの書けないけど」

「俺が書くよ」

「書けるの?」

「まぁ、何となくだけどな」

「器用なんだね」


俺たちは休み時間や放課後に旧校舎を調査をする事にした、半信半疑の俺も旧校舎の怪しい雰囲気に得体の知れない物があっても不思議ではないようにも思い始めた頃だった。


「ねぇ、今日は学校サボちゃおうよ、ねっ」

「俺は良いけど、先生に呼び出されても良いのか」

「いいよ、ラスプーチンの卵を一緒に探してくれるんだから」

「急にどうしたんだよ」

「ハンバーガーショップに行きたいの」

「腹が減ったのか、弁当はどうするんだよ」

「実は作る時間がなかったから、今日はないの」

「なんだよ、」

「違うの!ねぇ、良いでしょ、行こうよ!」

「そんなに行きたいなら付き合うよ」

「やったぁ~!」


彼女は子供のように跳ね回って喜びを表現していた。


「ねぇ、着替えても良い?」

「ああ、良いけど・・・着替えなんてどこにあるんだよ」

「お堂の中に置いてあるの」

「どうして、そんな所に制服を置いてるんだよ」

「どうして制服って分かったの?」

「そうじゃねーのかよ」


学校を抜け出すのもなかなか難しいのだが、今日はあっさりと抜け出す事が出来た、今日は裏山をお堂に向かって登っていった。


「なぁ、どうして、今日は逆なんだ」

「なにが?」

「こっちから登ると空間の向きがどうのこうのって言ってなかったか」

「そうだよ」

「それなら、今日はどうしてなんだ」

「別に大きな意味はないけど」


斜面を登り切った彼女は平然と草むらを歩いていった、その後を追っていくとお堂が見えた。


「なんだ、こっちからでも見えるじゃないか、あれは仮想空間の物なんだろ、それじゃ、俺はまた夢を見ているって事じゃないよな」

「分からない、あなたの場合は仮想空間と現実空間を行き来きする事が出来るみたいだから」

「俺にそんな能力があるのか」

「能力っていうか、無意識に移動しているみたいだから、この間みたいな事がこれからも起こらないとも言えないよ」

「あれは厄介だな、今、俺が夢を見ているのか、起きているのか、分からねーっていうのがよ」

「そうだね」


彼女は他人事の様に言うとお堂の中に入っていった。


「俺、外で待ってるから」


彼女が扉から顔だけを出していた。


「覗かないでよ」

「覗かなねぇーよ!早く、着替えろ!」


着替えを待っている間になんとなくお堂の周りを一廻りしながら、彼女の言葉を思い出していた、この建物が現実には存在しないから、他の人には見えないと言われても俺のの目には間違いなく存在していて触ることも出来る、あの時はどこまでが現実でどこからが夢だったのか、朝、起きて手紙を見て彼女を屋上に連れ出し、そこからこの場所へ来て旧校舎へ行く途中で彼女が消えて、再会して弁当を食った、あの味はリアルだと思っていたけどあの辺からは夢だったと言われても未だに納得が出来なかった。


「お待たせー」


声の方へ振り向いた俺は言葉を失った。


「・・・」

「どうしたの?」

「なに、それ?」

「これ、バイト先の制服」

「バイト・・先・・」

「うん、仮想空間だって大変なのよ、バイトしてお小遣いを貯めないと」

「どんな所でバイトしてんだよ!」

「喫茶店だよ」

「あー、確かに喫茶店だけど、ちょっと、違うよな」

「違う?って、普通の喫茶店だと思ってるけど」

「その制服を着せられた時点で普通じゃないって分からないか?」


黒いワンピースのレースを指先でヒラヒラと揺らしていた。


「そう言われてみれば、お客さんは男の人ばかりだね」

「だろうな」

「なんで、なんで!」

「そういう喫茶店なんだよ!」

「そうなんだ・・他の喫茶店より時給が高かったから決めたんだけど・・辞めた方がいいかな?」

「いや、別に辞めなくてもいいけどよ、変な事させられないか」

「変な事って・・・猫のものまねとか・・・じゃんけんして負けたらお口にあ~んって」

「うゎーつ!その先は言うな!」


彼女は両手を猫の手のように丸めポーズをとった。


「にゃん、にゃん」

「なにしてんだ」

「これやったらお客さんが500円くれたの、お金持ちなのかな?」

「違うって・・・金の使い道を間違ってるだけだ」

「やっぱり、でもさぁ~この制服って可愛くない?気に入ったから、バイト先から借りてきたの」

「気に入ったからって、普段着にするなよ、変なやつらが集まってくるぞ」

「うっそ、それ、嫌だ、やっぱ、ジャージに着替えてくる」

「もう、いいって、面倒くさいから、変なのが来たら俺が追っ払ってやるよ」

「うん、それなら安心だ」

「夢であって欲しいと願いたいね」

「願いたいってさ、夢で願ってたでしょ」

「バカ言うなよ、俺がなんでメイド服なんだよ」

「そうなの?そんなに嫌なら、着替えてこようか」

「着替えなくていい、まぁ、世の中にはそういう格好で出歩く奴らもいるだろうし」

「これって、お手伝いさんの服なんだ、こんなヒラヒラなのに・・・」

「いや、そのなぁー、実用性とかじゃないんだよ」

「でも、これって、よく見たらエプロンみたいだね」

「そうだろうけど、もう、何でもいいから、行くぞ」


奇しくもメイド服の彼女と駅前のハンバーガーショップで昼メシを食う事になり、当然の如くすれ違う人達からは数奇な目で見られたが、彼女は全く気にとめること無く堂々と歩いている姿に感服し、バーガーショップでは、ビックバーガーを精一杯の口を広げて豪快に頬張っていた。


「服にソースを零すなよ」

「エプロンがあるから平気だよ」


彼女が口の周りに付いたソースをエプロンで拭おうとするのを咄嗟に阻止しテーブルの上に置いてある紙ナプキンを素早く差し出した。


「いや、そういうものじゃないから、ほら、紙ナプキンがあるんだから、これを使え」

「えっ、なんでよ、どうせ、バイト先の制服だから汚れてもいいんだよ」

「借り物だからって汚すな」

「ねぇ、そう、そう、バイト先の店長って吉田っていうのに、お客さんはみんな『神』って呼ぶの、どうしてか分かる?」

「それは、マニアの世界で頂点を極めた人間の称号」

「そうなんだ、店長って凄いんだね」

「そのバイトは今もやってるのか」

「現実空間ではやってないよ」


彼女はそう言いながら最後の一口を頬張っていた。


「食うの早いな」

「だって、早く食べないと、夜のご飯が食べられなくなっちゃうよ」

「はぁ?だって、まだ、昼だろ・・・うぷっ!」


飲み込もうとしたハンバーガーを喉に詰まらせ、手にした飲み物を一気に飲み干した、俺の感覚では30分も経過してないのに、ショップのガラス窓越しに見える景色はすっかり夕方の日差しになり、学校の生徒達が帰宅の途についていた。


「ふぅ~死ぬかと思った・・・おいっ、ついさっきまで昼だったよな、また、あれか」

「どうも、二人でお堂に行くと時空の加速が起こるみたいだね」


彼女はごく当たり前のような顔をして飲み物をストローで啜っていた。


「って、事はよ、また、阿部さんが消えて、俺はまた夢を見てた事になるのか」

「そういう事もあるかもしれないね」

「またかよ、俺、この間の未だに納得が出来ないんだけどよ、どういう仕組みなんだよ」


何事も無かったような澄ました顔をしてストローの音を立てて飲み干したカップをテーブルに置いた。


「説明したじゃん」

「その説明で納得が出来ないって言ってんだろ」

「納得してもらうしかないもん」

「そのタイミングは阿部さんが消えた時点からか」

「そうだね、私が現時空間から居なくなるって事は仮想空間に戻ったって事になるから」

「そこから俺は夢を見ている事になるんだな」

「ただ、あの時は、時空の加速もあったから」

「今もそうだよな、それが予兆って事か」

「予兆か・・・そうなのかもしれないけど、私も全て分かっている訳でもないから」

「阿部さんが消えた場合、俺はどうすれば良いんだ」

「どうする事も出来ないよ、流れに任せるだけ、空間や時空を操作する事は基本的に出来ないから、厄介な事に巻き込んで・・・ごめん」

「いや、いや、そんな厄介だとは思ってないけど、バーガー食ってたら急に夕方になるなんて、普通はないじゃないか」

「それは私に関わっているから・・・だから、私は一人でラスプーチンの卵を探してたの、誰にも迷惑を掛けたくなかったから」

「迷惑だとも思ってない、後悔もしてないけど、これから、もっと、不思議な事が起こるのか」

「私に関わる事でどんな弊害があるのかそれも分からないから、嫌ならもう関わらない方が良いよ、そうすれば時空が加速したり、目の前で人が消えたりしないから」

「嫌でもない、ただ、ちょっと、正直に言うと、怖いだけだ、俺の理解を超える現象が起こったからな、でも、俺は阿部さんとそのラス何とかの卵を探す、見付ければこんな不思議な事は起こらなくなるんだろ」

「そう・・・私が仮想空間に戻れば、現実空間に影響を与える事はないから」

「阿部さんが仮想空間に戻ると、どうなるんだ」

「正常な空間に戻るだけ、私が居なくなる訳でもないから」

「その阿部さんは空間がどうのこうのって言うのか」

「言わないよ、言う必要もないでしょ、それこそ、変な子じゃない」

「そっか・・・俺は、その、ラス何とかの卵を探した事を覚えているのか」

「どうだろう、分からない、覚えてない方が良いと思うけど・・・」

「それじゃ、こうして、阿部さんとバーガー食った事も忘れちゃうのか?」

「そうじゃないのかな」

「それじゃ、その現実に居る、阿部さんも忘れているのか」

「そうだと思うよ」

「なんだよ、それじゃ、俺、嫌だな」

「どうして?」

「だってよ、そうだろ、ラス何とかの卵を探した思い出とかなくなるんだろ、嫌だろ」

「それは大丈夫、もっと、良い思い出に変わっているから、きっと、私じゃないくて、もっと、綺麗な人と一緒に楽しかった思い出になっている」

「その綺麗な奴って彩矢か」

「まぁ、その可能性が高いと思うよ」

「そうか・・・それじゃ、俺、ラス何とかの卵なんて探さないぞ、俺は、阿部さんと一緒だった思い出を残したいんだから」

「ありがとう、嬉しい、でも、ラスプーチンの卵を探さないなら、私と関わるのは止めて」

「どうして、阿部さんは俺のとの思い出なんて要らないのか」

「要らないなんて、そんな事はないよ、でも、あなたが私に関わっても、関わらなくても、結果は同じだから、本当に私との思い出が必要なら、私は必ずラスプーチンの卵を破壊するから、その時に居る私と作って欲しい、そうすれば、私も良い夢の中に居られるから」

「ああ、分かったよ、お互いに覚えてないなら、俺は必ず阿部さんと思い出を作るよ」

「ありがとう、私もそれなら嬉しけど・・・きっと、無理だね」

「無理ってないんだよ、ああ、俺なんか相手にしないって事か」

「違うよ、逆だって、私が相手にされないの、彩矢さんが居るんだから」


俺はテーブルを両手で叩き下ろした。


「彩矢、彩矢って、どうして、そんなに阿部さんはあいつを気にするんだ」

「私と彩矢さんを比べれば一目瞭然でしょ」

「ああ、一目瞭然だな」

「そうでしょ」

「ああ、圧倒的に阿部さんだろ」

「そう、ブスなのがね」

「違うよ、俺がどっちを好きかだよ」

「だから、彩矢さんでしょ」

「違うよ、阿部さんだよ、俺はあんな奴よりも、阿部さんが好きだよ、これで良いか」

「ありがとう、嬉しい・・・本当に嬉しい・・・私、ずっと、このままで居られたら良いのに」

「ずっとこのままで良いだろ」

「ダメなの、ラスプーチンの卵を破壊しなくちゃ」

「そんなの止めろよ」

「止められないよ、このまま放置すれば、ラスプーチンに現実空間を支配されちゃうもん、そうなれば、今がいくら楽しくても、そんな記憶すらなくなって、暗黒の悪夢が続く世界になっちゃう、だから、今の思い出がなくなっても、私はラスプーチンの卵を探さないといけないの」

「それじゃ、俺は、どうすれば良いんだよ」

「さっき、言った通りだよ、現実空間に居る私と仲良くしてくれたら嬉しいって、それだけ、そこからは楽しい思い出がいっぱい出来るから」

「ああ、なんか、今の阿部さんが居なくなっちゃうような気がしてよ」

「私は居るよ、必ず、居るから、私は私だよ、だから、忘れないでくれたらいいから」

「絶対に忘れねーよ、当たり前だろ」

「その言葉、私も忘れないから」

「ああ、覚えてろ」

「さてと、帰ろうっか」

「そうだな、その前に、学校に鞄を取りに行かないと」

「それなら大丈夫だよ、さっき、叔父さんから学校に電話してもらったから」

「それで?」

「私の家に届けてもらった」

「叔父さんにか?」

「違うよ、叔父さんは北海道だもん」

「それじゃ、誰が届けたんだ」

「そこまでは分からないけど、学校に行くの面倒だから、叔父さんに届けて欲しいって頼んだの」

「俺のもか?」

「うん、余計だった?」

「い、いや、そんな事はないけど・・阿部さんの親になんか言われそうで」


ゆっくりと椅子に座った彼女がエプロンで口の周りを拭おうとしたのを見てすかさずテーブルの紙ナプキンを差し出した。


「あっ、ありがと、それも大丈夫じゃない、ママはあなたの事をとても気に入っているみたいだから」


紙ナプキンを手のひらでコロコロと丸めるとサイコロを振るようにトレーの上で転がした。


「でもよ、学校をサボったのはヤバいだろ」

「その辺は叔父さんが適当になんだかんだ言い訳して、適当に話しを作ってくれているから」

「その叔父さんって何者んだよ」

「温泉宿のおやじさん」

「第一、そんなの良く理由も聞かないで引き受けてくれるよな」

「だって、叔父さんは私の言う事はなんでも聞いてくれるから」

「でもよ、そんな事情の分からない状況でよく学校に電話してくれたよな」

「もう、叔父さんの事はどうでもいいから、鞄を私の家に取りに来る?それとも、明日、私が学校に持って行こうか?」

「いや、取りに行くよ」


彼女は人差し指を頬の前に立てニコリと微笑んだ。

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