第2節
初めて入院したのは、小学校の六年生になったばかりの頃だった。
体育のマラソンの途中で、突然息苦しさを感じると視界が真っ暗になって、気付いた時には保健室のベッドで横になっていた。
保健室の先生からは、ただの日射病か脱水症状だろうと言われた。
けれど、念のために病院に行ってみると、診察してくれた先生が両親を呼び出して、その日のうちに入院の準備をすることが決まった。
まだ、その時は体調が悪いわけではなかったし、退屈になりそうだとしか考えていなかった。
けれど、それから段々と、息苦しくなる回数は増えていった。さらに時間が経つにつれて胸が痛くなったり、足や指の先が痺れたりし始めた。感じる苦痛が増えて、それを説明するたびに飲む薬も増えた。
「きっと、すぐに治るから」
お見舞いに来てくれた両親やクラスメイトは、必ずそう言って有志を励ました。
励まして、励まして、決して病気の進行や深刻さについては触れなかった。
繰り返される診察と治療は、有志にとって果てが無く、やりきれないものだった。
治らなくてもいいから、自由になりたいと何度も考えていた。
そのうち春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来て、また春が来て・・・・・・。
気付けば有志は、元気であれば高校に通うような年齢になっていた。
学校に通えない分は、買い与えられた教科書や参考書で一通りの知識を身につけてはいたけれど、やはりどこか虚しさは消えてくれなかった。
両親もその頃にはすっかり憔悴しており、笑顔にもどこか力がなかった。
それが自分のせいであるという事実が、有志をなお一層苦しめた。
「・・・・・・先生から大事な話があるらしいから」
ある日、いつも通り病室に来た看護師が有志にそう言った。
真剣な面持ちである。有志は、だいたい話の検討はついていた。
付き添われて診察室に行くと、先生のほかに両親が居た。有志が来る前にも話し合いをしていたのだろう、母親の目元は真っ赤になっていた。
「まあ、とりあえず座って」
先生にそう促されて、有志は椅子に座った。
「君の病気について、話しておきたいことがあるんだ」
先生は、そう言って今の状態について説明した。
何度か難しい言葉が出てきたり、一時間近く話していたので途中を忘れてしまったけれど、ようするに有志が『とっくに分かっていたこと』についての内容だった。
治せない、治らない、治す方法が分からない。そういうことだった。
そして、この病院ではもう対応が出来ないのだと、先生は最後に言った。
「・・・・・・そうですか。もう僕は救われないんですね」
少し間を空けてから、有志はそう言った。
確認や嫌味で言ったわけじゃない、何となくその言葉が口を突いて出てきた。
母親のすすり泣く声が聞こえる。それを支える父親の姿が視界の端に見えた。
ごめんなさいと、謝りたい気分だった。
「これから、君はどうしたい」
ご両親も君の意見を尊重したいと仰っていたよと、先生は言う。
けれど、有志は答えが見つからなかった。
これからなんて、そんなものが自分にあるのかと思った。もっと大きな病院に移れば、治療法が見つかる可能性があると聞かされたことはあったけれど、両親にこれ以上の負担をかけるのは嫌だった。けれど、ここに残っても解決にならないだろう。
「どうしたらいいのか、分かりません」
困り果てて、正直に思ったことを口にした。
先生はそれを聞いて、しばらく黙り込んだ。
顔の前で組まれた指を、リズムを取るように叩き続ける。何かを考えているけれど、言い出しづらいというような表情をしていた。
しばらく、居心地の悪い空気が流れた。
「・・・・・・『救う』ということなら、ひとつだけ紹介出来るかもしれない」
どれくらい待っただろう、先生はそう呟いた。
「どういうことですか、僕の病気は治らないんですよね」
思わず、有志は質問する。
それに対して、先生はいたって冷静のままだった。
「そうだ、君の病気はいまのところ治す方法が見つかっていない。これは事実だよ」
治せないけれど、救える。
意味が分からないと有志は思った。先生はそれにかまわず話を続ける。
「私がいま紹介しようと思っているところは、ある噂が流れているんだ。医師の間では知らない人間はいないというくらい有名で、ずっと昔から流れてる。ただの与太話だろうと笑われても仕方ないとは思うけれど、なぜか途切れることなく語り継がれているんだ」
曰く、その病院は治らない病を抱える患者を『救う』ことが出来るのだという。
苦しみに耐え切れない者たちが、最後にたどり着く場所なのだと。
「・・・・・・治らない人間が、たどり着く場所」
「そう噂されている。本当は、私の立場でこんな根も葉もない話をするのは許されないのだけれど、君の『救われない』という言葉を聞いた時、ふと思い出してしまってね」
つまらないことを言ってしまったかもしれないなと、先生は頭をかいた。
有志は、まだ困惑していた。先生を疑うというわけではないけれど、はっきり言って、うさん臭い話だと思った。その程度の噂話なら、どこにだってある。窓から幽霊が覗いているとか、霊安室の死体が動くとか。そういうものと、たいして変わらない気がした。
けれど、同時にこれはチャンスだとも思った。この話を信じたように見せかければ、有志自身はともかく、疲れ果てた両親を安心させることくらいは出来るのではないか。
どうせ、治る希望がほとんど無いのだ。これ以上、無理をさせることはないだろう。
「・・・・・・分かりました」
有志は、先生をまっすぐに見つめたまま、その場所への紹介をお願いした。
正式に移ることが決まったのは、それから二週間ほど後のことだった。