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まん・いーたー  作者: 符村しじみ
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第1節

 新しい病院での生活が始まった。

 とは言っても、入院生活が長い有志にとって、大した変化はなかった。

 決まった時間に運ばれてくる三度の食事。後は、自分のベッドで過ごすだけだった。

 唯一変わったことは、飲む薬が増えたことだけ。

「日下部さんの病気を和らげる薬だから。かなり強いから、飲む量を間違えないでね」

 看護師は、それだけを説明した。

 実際、この薬を飲み始めてからは毎日押し寄せてきていた息苦しさや内側で疼くような痛みはほとんど感じなかった。けれど、きっと体には良くないに違いない。いつか、この薬ですら効かなくなった時が自分の死ぬ時なのだろうと考えると、不安は拭えなかった。

 病院は三階建てで、集団病室が六室と、個人病室が三室あった。

 有志はその内、二階の真ん中にある集団病室で過ごしている。

 入院している人たちは、たいてい有志よりも年上のお年寄りばかりだった。よく一階に設置された自動販売機の近くにあるベンチに座って談笑していたり、待ち合い室の椅子に座って新聞を読んでいたりする。

 この人たちも、同じような噂を聞かされてここに来たのだろうか。

 気にはなっていたけれど、正直に聞いて笑われるのも恥ずかしい。

 結局、たまに何でもない話をするくらいで、特別関わらないようにしていた。

 それに、もともと有志は入院生活が長いことも相まって人付き合いが得意ではなかった。

 参考書や教科書は持っているけれど、学校には小学生の頃からほとんど通えていない。取り立てて友達と呼べる相手もいないため、内向的な性格になってしまった。

 救いを探してみるといいと言った院長の言葉は気にかかっていたけれど、それも数日も経てば単なる気休めだろうと思うようになり、いまではほとんど忘れかけていた。

 ある日、喉が渇いたので自動販売機まで買いに行った時だった。

 いくつかの小銭を入れて、上段にあるボタンを押す。派手は音を立てて落ちてきたお茶のペットボトルを取り出しながら、今日はどうやって過ごそうかと考えていると、いつも通りベンチで談笑していた三人組の老人たちの声が、偶然聞こえたのだ。

「・・・・・・三階の藤岡さん、そろそろ退院が近いそうだよ」

 その言葉に、思わず動きが止まる。

「そうか、もうここに来て七年になるらしいからな」

「けっこうな年齢だし、ここに連れてこられた者にしては長く生きられたほうかもしれないよ」

 口々に交わされる意見。助からない人間を受け入れるこの病院では、『退院する』は意味通りではなく『死ぬ』ことの隠語として使われていることを有志は知っていた。

「家族にはもう知らせてあるんだろうか」

「分からん。でも、ひょっとしたら知らせない方がいいかもしれない」

「どういうことだい、家族だから知っとかないといけないことだろう」

 少しだけ、ばつが悪そうな沈黙が流れる。

 その後、おそるおそる呟いた。

「・・・・・・ここだけの話なんだが、どうやら藤岡さんは決めたようなんだ」

「決めたって、ひょっとしてアレかい」

「おいおい、冗談だろう」

 ――藤岡さんはまさか、『救い』を頼むつもりなのかい。

 その言葉を聞いた瞬間、有志の背筋から頭のてっぺんにかけて痺れるような感覚が走った。

 思わず手に持ったペットボトルを落としそうになる。

 気のせいじゃない、いまはっきりと彼らは『救い』と言った。

 強くなる胸の鼓動を抑えながら、出来るだけ自然に見えるように有志はさらに耳をすました。

「馬鹿なことを、自然に死ぬのを待てばいいだろうに」

「しかたないよ、誰だって死ぬのは怖いものさ」

「そうかもしれないね。私たちに許された権利は、もうそれくらいのものだから」

 口々にお互いの意見を話し続ける。

 有志は、内心苛立ちを感じていた。半分あきらめていた『救い』に関する情報だ、もっと詳しい話をここで手に入れておきたかった。

 いっそ、警戒されるのを承知で、強引に話題に入ってしまおうか。

 そう考えはじめた時、またしても不意に有志は別の声を聞いた。

「・・・・・・あの、飲み物を買いたいんですけど」

 背後からかけられたその声に、思わず驚いて振り返る。見れば、小学生くらいの女の子が困ったような顔で立っていた。

「ああ、ごめんよ」

 そう答えて、有志は邪魔にならないように動いた。

 ほかの人に気付かないくらい盗み聞きに夢中になっていたらしい。そう考えると、なんだかバツが悪くてよく分からない笑みがこぼれる。

 女の子はそれを見て警戒するように頭を下げると、投入口に手に持っていた小銭を入れた。

「・・・・・・あれ」

 思わず、女の子が呟く。最上段にあるペットボトルを買いたいのだろうが、腕がボタンまでわずかに届いていなかった。背伸びをしたり、飛び上がったりしてみるけれどやはり商品は出てこない。

「よかったら、押してあげようか」

 しばらく見ていた有志は、わずかに悩んだ後、そう声をかけた。

 それを聞いた女の子は、やはり警戒しているのか、身体の前で手を組んだまま黙り込んでいる。

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 お互いに微動だにしないまま、時間が流れる。その間に、自動販売機の時間が切れたのだろう、入れた小銭が戻ってくる音がした。

 このままでは埒があかない。有志は小銭を取ると、再び投入口に入れた。

「じゃあ、どれを買えばいいかな」

「・・・・・・」

 女の子はしゃべらないまま、真ん中にあるジュースを指差した。

 有志はそれを見てボタンを押すと、大きな音を立てて商品が落ちてきた。

「はい、どうぞ」

「・・・・・・ありがとうございます」

 女の子は差し出されたペットボトルを両手で受け取ると、小さくお礼を言った。

 そのまま、逃げるように走って去っていく。

「・・・・・・なんだかなあ」

 いつの間にか話していたお年寄り達もいなくなっていて、一人きりで有志は呟いた。

 無いと諦めていた『救い』の話を聞いたり、見知らぬ女の子に妙に距離を置かれたり。

 短い時間だったのに、なんだかひどく疲れてしまっていた。

 とりあえず、これからどうするかは病室に帰ってから考えよう。

 そう思って、最後に一口だけ飲み物を飲んで、有志はその場を後にした。

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