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まん・いーたー  作者: 符村しじみ
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プロローグ

 とある町の小高い丘の上に建てられたその病院は、地元では有名だった。

 むき出しの木材で組まれた古めかしい建物であり、戦後すぐに建築されたのだという。おまけに周囲は手入れのされない小さな森に囲まれているので、おどろおどろしさを感じさせた。

 オカルト雑誌が、心霊スポットとして取り上げられたこともあるらしい。

 そんな場所だからか、昔から、その手の噂も絶えなかった。

 この世のものではないものが出没するという定番のものや、戦時中には捕虜への人体実験を行っていた跡地であるというもの。国家転覆を目論む反政府組織の秘密基地、院長は悪魔信仰の司祭で看護師はその信者たち・・・・・・。

 どれも与太話の域を出ないけれど、もともと刺激の少ない町だったので、語る本人たちですら数え切れないくらいの様々な噂が、さも本当のことであるかのように飛び交っていた。

 けれど、そのなかでただ一つだけ、誰もが知っている噂があった。

 それはおそらく一番昔から広まっている話であり、そういうことに興味がない人でも一度は耳にしたことがあるものだった。

 誰かが言うには、入院した患者たちが生み出した願望なのだという。

 しかし、真実は誰も知らない。

 ひどく曖昧で、内容はたった一言だけ。

 ――曰く、『本当に助けを求める相手にのみ、その病院は秘密の救いを教える』



「すまないけれど、ここに君を助ける手段は無いんだよ」

 日下部有志が病院を訪れた最初の日、診察室で対面した院長先生は、はっきりとそう言った。

 縮れた白髪に、室内だというのにサングラスを掛けている。胸元に付けられたプラスチックの名札には『雪島光一郎』と書かれていた。

「君の病気は治る見込みが非常に少ないし、そもそも症例自体が少ないせいで病名すらも決まっていないんだ。いまの医学ではせいぜい進行を遅らせるのが精一杯で、そのための設備や薬もここには存在しない」

 とても高価なもので、とても手が出せないのだと雪島は肩をすくめた。

「かまいません、最初からそう聞いてきましたから」

 有志は、そう答えた。

「・・・・・・だと思った。君が前に入院していたところの院長は僕の教え子のような男でね、こうやって時々、僕のところに患者を紹介してくれるんだよ」

 おかげで、今日までなんとか潰れないでやってこれている。

 机に置かれたコーヒーカップの中身を光一郎は一口すすった。

「それでも、一応確認させてもらうけれど後悔はしていないんだね」

「していません。自分で決めたことですから」

 有志は間を置かずに返事をした。

 病気を治すことから、和らげることに変える。

 それがどういう意味なのか、十六歳の有志にもよく分かっていた。

「残された時間を、ここで過ごさせてください」

「・・・・・・・・・・・・」

 光一郎はしばらく黙ったままで、有志を見つめた。

「・・・・・・よく分かった。それじゃあ、さっそく準備をしよう」

 光一郎は受付にいた看護師さんを呼び出した。短いやり取りをいくつかした後、準備をするために出ていく。

「暇だろうけれど、もう少しだけ我慢してくれ」

 そう言って、今度は軽く声を出して笑った。

 お願いしますと言って、有志は頭を下げる。小学生の頃から学校よりも病院にいる時間のほうが長かった有志にとって、こういう時間はどうしても持て余してしまう。

 居心地の悪くなるような沈黙が、しばらく流れた。

「ああ、ところで」

 そんな有志の内面を察してくれたのか、光一郎はさも思い出したかのように話しはじめた。

「君はうちの病院に来る前に、何か噂話を聞かされなかったかな」

「噂話、ですか」

 そうだよと言って、光一郎は再びコーヒーカップの中身を一口飲んだ。

「君も知っているとおり、ここでは治すことよりも残りの人生を有意義に過ごしてもらうことを重要にしているからね。おかげで、変な噂が絶えないんだ」

 墓場、地獄、姥捨て山。秘密組織に人体実験場、黒魔術の教会。

「最近のなかで傑作だったのは、他の惑星の宇宙人と密かに交信していて、なんて言ったかな、ほら、あの、キャト・・・・・・キャトラなんとか」

「キャトルミューティレーション、ですか」

「それだ、その手伝いをしているとかね。もちろん、根も葉もない話だが」

 まあ、老いぼれのささやかな楽しみとでも思ってくれ。

「それで、気になったんだ。ここに入院する人たちは、ほとんどが一つくらいそういう話を聞かされて来る。君もひょっとして、そうなんじゃないかとね」

 よかったら教えてくれないかと、光一郎は言った。

 有志は悩んだ。実は、光一郎の言う通りだったのだ。この病院に移ることを決めたのも、半分はその噂話を聞かされたからだった。

 けれど、こんな話を信じて来たのかと思われるのも、なんだか恥ずかしかった。

「・・・・・・が、あると」

「ん、なんだって」

 蚊の鳴くような声で答える有志に、光一郎は聞き返した。

「『救い』があると、聞いてきました」

 この病院には、誰も救えない、救われない人を『救う』方法が隠されている。

 そう聞かされていた。

「でも、その、本当にあるなんて思ってませんけど」

「・・・・・・・・・・・・」

 あわてて付け加える有志を見ながら、光一郎は何も答えなかった。

 怒らせてしまったのだろうかと、不安になる。

「すいません、変な話をしてしまって」

「・・・・・・いやいや、謝ることはないよ」

 その噂もよく聞かされると、光一郎は言う。

「実は、その噂話を聞いてくる患者が一番多いんだ。いつから広まったのか、かなり昔から話されている噂なんだよ。病院のなかだけじゃない、この町では知らない人がいないというくらい、ずっと語り継がれているんだ」

 何度も言うけれど、こんな場所だからね。少しでも希望が欲しくなるんだろう。

「しかし、君はさっき本当にあるなんて信じていないと言ったけれど、実際はどうなんだい。やっぱりそれをちょっとでも信じたかったからここに来たのかな」

「・・・・・・・・・・・・」

 光一郎の言葉に、今度は有志が黙り込んでしまった。

 答えがないわけじゃない。けれど、どう説明したらいいのか分からなかった。

「・・・・・・すまない、これは余計なことを聞いてしまったね。どうも年寄りは遠慮を知らん」

 許してくれと、有志の肩を優しく叩いた。

 サングラスで表情は読めない。ただ、労わるような声だった。

「院長、失礼します」

 そのタイミングで、先ほどの看護師さんが戻ってきた。準備が整ったようだ。

「ありがとう、それじゃあ案内してあげてくれ」

 光一郎はそう言って、有志に付いていくように促した。

 有志も座っていた椅子から立ち上がって頭を下げる。

「・・・・・・日下部君」

 看護師さんの後を追いかけて診察室を出ようとする有志に、光一郎は再び声をかけた。

「もしよかったら、君も探してみるといい。時間はまだ十分ある。君にとっての『救い』がこの病院のなかで見つかるといいと、私は思っているよ」

 そう言って、光一郎は穏やかに笑いかけた。

 有志はもう一度だけ頭を下げて、今度こそ診察室から出て行った。

 夏の日差しが窓越しに注ぎ込まれる廊下を歩きながら、通り過ぎる場所を簡単に説明される。けれど、そのどれもが今の有志の頭には入ってこなかった。

 さきほど、光一郎と交わした会話のことを考える。

 有志が聞いた噂話。他の話とは違って、なぜかそれだけは否定されなかった。

 たまたまなのかもしれない。けれど、もしかしたら。

 ――君にとっての『救い』を探してみるといい。

 最後に言われたその言葉が、いつまでも耳の奥でこだましていた。

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