妹
お前は、その、俺の妹じゃないんだ、というか、そもそも人間じゃないんだよね、と目玉をきょろきょろさせてクソ兄貴が言うもんだから、あたしは一口も飲んでいないホワイトモカをずぞぞぞっ! と半分ほど一気に飲み干してから言った。死ね。
半分冗談、半分本気で言ったんだ。どうしても話したいことがあるんだ、って兄貴が玄関の三和土に額をこすらせながら土下座をした。朝っぱらから頭を下げてきたから、これはきっととんでもなくインポータントなことを伝えてくれるんだろうと思った。だからえっちゃんと一緒に映画を観る約束をドタキャンしてまで店に来たのに、ええい、もう、どうしてくれるのよ? 今からでもえっちゃんに侘びのメールを送って、仲良く『猿のしゃらく星』を観に行ったほうがいいんじゃないのかしら。
そう思って席を立ったらお願いだから話を聞いてくれって、アホ兄貴が言う。鼻水をすすりながら必死になって声を張り上げるもんだから、周りに客の視線がレーザー光線のように、ズビビビとこっちのテーブルに飛んでくる。あたしの顔をかすめて飛び交う光線を俊敏な動作で避けながらしぶしぶ席につくと、兄貴のやつ、スマートフォンを手にして、いきなり口早に説明し始めた。
で、その内容がまた噴飯物なんだけどさ。兄貴のスマートフォンには「妹と過ごす新しいエデンを、あなたに」という有料アプリが入ってる。思わずずっこけちゃいそうな名前だけど、会員数はうなぎ登りで増えているらしくって、通称『IAEA』と呼ばれてる、ってバカ兄貴が大真面目に言ってたけど、本当? まあこれに会員登録すると、まずどんな妹が欲しいか入力する欄があるんだって。項目はいっぱいあって、年齢や身長、血液型なんかは序の口で、たとえば右の掌の生命線の長さとか、手首に付いたカッターの刃の傷跡の数とか、左足の爪を全て陥入爪に罹患させてほしいとか言いたい放題で、もう、世の男一人一人にぶーっ! と唾を吹きつけてやりたいわよ。ほんと、さげぽよでホワイトキックって感じ。
己の欲望に忠実に従って妹を注文したら、あとは決定ボタンを押して届くのを待つだけ。二、三日したらコンコン、ちわー、宅配便でーす、ってな具合で自宅に届いたそれは縦横六十センチほどの大きさのダンボールで、「ナマモノ」という注意書きがあるけど商品名はパソコン部品になってる。ワイセツな品物にはそういう表記をして、ご近所や身内に中身を暴かれないようにするらしいんだけど、なに。あたしって、北海道のカニ問屋から直接取り寄せたズワイガニと夜の夫婦生活のお供になる玩具の亜種なのかしら。
届いた品物を開封すると、子宮から出てきたばかりの赤ん坊くらいのサイズのパン生地みたいなのが入ってるんだって。クリーム色したその固形物を箱から出して、それで、これがまた傑作なんだけど、この塊をどうするかっていうとね。お湯の張った風呂に放り込むんだって。ザブーンっと湯を巻き上げながら。なにそれ、ギャグ? と思ってると、パン生地は浴槽の中でうねうねと蠢いて形を変えていく。うねうねうねうねうねうねうねうねってクラゲのダンスみたいに揺れながら、きっかり三分、カップラーメンみたいに、へいお待ち、とお風呂から妹が登場するってわけ。ほんとにもう、アホすぎて気が変になりそうだわ、まったく。
そんな説明を一気にまくし立てて、アホ兄貴はガムシロップを七個投入したアイスコーヒーをすすって鼻をかんだ。先週からずっと風邪をひいてて今もまだ完治してないみたい、ってそんなことはサハラ砂漠の隅にでも置いておいて、あたしは兄貴に質問を浴びせる。
「で、あたしがその、IAEAだっけ? そいつによって作られた妹だっていうわけ? インスタントラーメンみたいにお湯で戻して身体から湯気を発しながら出来上がったのが、あたし?」
そういうと、いかにも申し訳なさそうな顔をしながら、頷いたんだ、このへっぽこ兄貴は。あらら、あっさり首肯しちゃった。
「へえ。でも、あたしのこの脳みその収納棚にはちゃんとあるんだなあ。中学校の運動会で、兄貴と鬼の形相でタコさんウインナーを奪い合った記憶、逆上がりができないあたしを近所の緑化公園でフレフレガンバレー! と応援された記憶、あたしの誕生日にモアイ像のペンダントを買ってきて大笑いした記憶。ラベル付きできちんと保存されてるけど、これはなんなのさ?」
「ぜんぶプログラムされたものなんだ。俺がIAEAでぽちぽちと打ちこんで、あらかじめお前の頭にインプットさせておいたんだ」鼻水をすすり上げながら、兄貴が言う。
「ふうん、じゃあなに、あたしもそのうち消えるわけ? この手足も髪も洋服も、全部パン生地に戻っちゃうんだ」
洋服は別だけど、と言って兄貴がずぞぞぞっ! とアイスコーヒーを音を立てて飲む。そして、ちらと時計を見たかと思えば、あと三分、と独り言みたいに呟いた。
なにが三分なんだろう、神妙な顔して、このバカ兄貴は。今日ってエイプリルフールだったっけ? 鼻水を拭いすぎて鼻の頭が真っ赤になってるのがほんと滑稽な感じになってる。なかなか面白い物語だったけど、嘘をつくならもうちょっと上手くやりなさいよ、もう。
でも、どうして急にこんな妄想を語り始めたんだろう。もしかして……いやいや、そんなはずないじゃない。だってあたしのこの脳内フォルダにはちゃんと兄貴との思い出が収められているもの。そう思って自分の頭をさすろうとしたら、水気の抜けたこんにゃくみたいな感触が頭部に当たってビックリした。なんだろう、と思って手をみたら、なにこれ、あたしの手、こんなに妙なクリーム色だったかしら?
どうして、ねえどうしてよ、なんでもっと早く言ってくれなかったのアホ兄貴。あれよあれよという間に、あたしの身体はドロドロに溶けていく。それを真正面で見ている兄貴の目は、いやだ、なんでそんな悲しそうな目をしてるの。やめてよ、そんな目をしないで。えっちゃんとの映画とかどうでもいいわ。バカとかアホとか死ねとかも言わない。誕生日に変なプレゼントを貰っても笑わないから、そんな目をしないでよ。手を伸ばそうとしたけど、あたしの手はすごいスピードでパン生地になっていって、霧がかかったみたいに視界もぼやけてくる。
IAEAで作られたこととか、こんな風に身体がパン生地になることとかは怖くない。怖いのは消えていくことじゃないの。あたしはただ、兄貴に裏切られるのが怖くて、そして悲しいんだ。ねえ、どうしてこんな悲しいことをするの。あたしの頭に嘘の記憶を入れて、兄貴はあたしにどうしてほしかったの。風邪をひいてる兄貴におじやを食べさせたときの、ありがとう、っていう笑顔は嘘だったの。ねえお願いだから、普段どおりの優しい顔を見せてよ。お願いよ、おにいちゃ
<了>