人形のうで
荒涼とした街を見回すと廃棄場が目についた。廃棄場といってもそう形式張ったものではなく、ゴミが山積みになっているだけの、鉄柵で覆われた小さな区画だ。
ゴミ山の中には腕や頭、脚から胴まで、人体を模したパーツも含まれていた。
持って帰ろうか。そろそろ彼女にも整備が必要だ。私は彼女を大切に思っている。だからあんな見窄らしい姿で捨てられて欲しくはないのである。それに、正式に整備を依頼するとなると、かかる費用も馬鹿にならない。とにかく私には金がない。まあ、金がないのは私に限ったことではないが。
そこまで考えたが、私はパーツをあそこから拝借するという案を棄却した。
そもそもあれらは使い物にならないからこそ、あそこに積まれているのである。粗悪なパーツを彼女の体に組み込むのは気が引ける。やはり整備士に依頼すべきだ。使えるパーツは整備士しか所有していない。一般人に造れるものではないし、素人が無理に整備をしようとすれば、それこそ継ぎ接ぎだらけの見窄らしい姿になってしまう。
私は諦めて武蔵小山のアーケード街付近にある自宅へ向かって歩き始めた。
東京も静かになったものである。最近では皆あまり出歩かない。その内迎える最期の時をゆったりと自宅で待っているのだろう。しかし、疎らではあるが開いている店もある。私が歩いている方向から見て右側の路地の手前にある小さなタバコ屋がそれだ。人形が店番をしている。随分ガタが来ているようだ。私を追うその目にあわせてギクシャクとぎこちなく首が動く。
「お一つどうでしょう」
人形が細く呟いた。
無駄遣いは出来ないがタバコなんて今の時代、タダ同然で手に入る。タバコは流行らない。誰も吸わない。皆、健康志向だから。皆、自分が彼女たちに相応しい人間でありたいと願っているから。きっと儲からない商売であろう。私はこの侘しい形をした人形の為にも、同情の気持ちで一箱くらい買ってやってもいいのではないかと考えた。
「じゃあ、キャメルメンソールを」
「はい。一円になります」
小銭を取り出し、人形に渡す。人形はぎこちない動きで棚からタバコを取り出し、レジの前に差し出した。
「ありがとうございました」
私は会釈をしてタバコ屋を後にした。
歩きながら考える。世界中の人間が疑問に思っているであろうことを。それは一体彼女たちは何者なのかということだ。
人形。
人間の形をした何か。
フランスのガール県にあるニームという都市で最初の一体が確認されたらしい。最初の彼女は国に保護され、報道機関を通してこう言った。
「私たちはアナタたちと共にあります」
最初の彼女はそれ以上、何も言わなかった。静かに微笑みながら司会席に着席していた。
そしてそれを皮切りに、世界各地で次々と人形の存在が確認されるようになった。日本では福岡県福岡市にて最初の一体が確認されたという報告が上がっているらしい。とはいうものの、北海道、宮城県、東京都、愛媛県でもほぼ同時に数体の人形が確認されている。つまり、その頃から既に人形たちは人間の世界にほぼ溶け込んでいたと言っていい。そして一ヶ月も経つと、彼女たちは人間の生活にまで溶け込み始める。その早さは映画やテレビゲームでお馴染みのゾンビウィルスを彷彿とさせた。
人形たちは皆一様に美しい女性の姿をしていた。そして、外見は整備を欠かさなければ何時までも美しいままだった。それがよくなかった。それが終末の始まりだった。
それだけ美しい彼女たちである。必然、人間はパートナーに人形を選ぶようになった。それも男性だけではない。人形は女性たちさえも虜にした。性欲の発散には事欠かない。パーツを付け加えればいいだけなのだから。
そういった事実が露見し始めると、人形は男性でも女性でもない、人形という性別を持つ者として認識され始める。しかし人形は人形だ。生殖能力はない。だから今この惨状があるのだ。人口は減り続け、現在に至っては小さな子供の姿など見ることも叶わない。政府も対策を講じたが、それは合理に基づき過ぎていて誰の心も動かすことが出来なかった。まあ政府の人間ですら人形に心を奪われていたのだからそれも当然だ。始めっから彼らは人形によってもたらされた人口の減少を食い止める気などなかったのである。
皆が心を奪われた人形。全く正体不明の彼女たち。幾ら考えても事実と現実の他を見渡すことは出来ない。
彼女たちの存在について考えたところで、それは不毛以外の何でもない。
私は自宅への到着を機に思考を停止した。
アパートの石階段を登り、一番奥にある二〇一号室の鍵を開けて自室へと入り込む。
「お帰りなさい」
玄関で千枝が迎えてくれた。
「ただいま」
靴を脱いで部屋へ上がる。
「夕食の準備が出来ていますよ」
美しい仕草で私を案内する千枝。実に人形らしい。彼女は人形の中でも一等人形らしい人形である。自慢の配偶者だ。
私は整備の話を持ち出す前に夕飯を片付けた。実に美味であった。このご時世であるから手に入れられる食料は少ない。しかし、千枝はその少ない食料でこれだけ美味しい料理を作ることが出来る。やはり彼女は優秀だ。私なんかには勿体ないほどに。
「千枝、明日整備士のところへ行こう。髪の毛が跳ねてきているし、腕もそろそろ寿命だ」
「大丈夫ですヨ。ワタクシ、これくらいなら我慢が利きますからね」
千枝は笑顔を作って応えた。
「君には美しくあって欲しいんだ」
私が言うと、千枝は顔を赤らめて困ったように顔を伏せた。
「蓄えもそれほどありません。ワタクシは食べずとも生きられますけれど、アナタは違うでしょう? ですからね、お気遣いはいらないのですヨ」
「私が我慢ならないんだ」
私は困ったヤツなのだろう。我が侭で、ネズミの爪のように貪欲な人間なのだ。
そんな私の性格をよく知る千枝だから諦めも早かった。一つ息を吐いて、判りましたと承諾した。
「明日ですね。行きましょう。では、一つワタクシからアナタに贈りモノを致しましょう。アナタの我が侭とは言え、お世話になるのはワタクシですからね。与えられるばかりではいけないのです」
千枝はそう言うと、自分の左手を外して私の前に差し出した。
「受け取って。これはワタクシの命でしてヨ」
「ありがとう。大事にするよ」
正直、彼女の言っていることはよく判らなかった。しかし、私は彼女の好意をただ単純に受け取った。何を訊くこともしなかった。