八
匈奴の世界は、彼らにとってまったく初めて見るものばかりであった。まず第一に、大きいという印象が強かった冒頓単于の馬は、実際に近くに寄ってみると馬ではなかった。
首が長く、毛深い。何やら口元をもぐもぐと常に動かし、泡を吹いているようでもあった。そしてなによりも特徴的なのは、背中に大きな瘤がふたつ見受けられることである。異世界の生物を初めて目にした韓王信には、それが幻覚ではないかと思われた。
「こいつは、駱駝という。見た目はそうでもないが、実は足も速い。そして何よりも、馬より手がかからぬ」
基本的には彼らの話す言語は自分たちのそれと同じものであるかのように思われた。しかし中原の人物たちにとって、彼らの言葉はひどく訛が強いように感じられ、聞き取るのにも苦労する。結果、あまり親交は深められなかった。
「構わないさ」
彼らは彼ら、我らは我らである。中原の地を奪うという目的が一緒である以上、細かいことを気にする必要もあるまい……韓王信はそう思ったが、寒空の下、天幕だけを張って暮らすという生活様式には決して慣れることはなかった。
彼に従う兵たちも同様で、それがどうしても望郷の念を呼び起こす。さらに、食い物が違うことはそれを決定的にした。米や麦を主食とする中原人にとって、肉と乳製品ばかりの食事は馴染めないことこの上ない。彼らは故郷を思う心だけでなく、体調さえ制御できなくなった。
――なんとか早く中原の土地を得て、拠点を築かねばならぬ。
そう感じた韓王信は、幾度となく長城を越えて中原に侵入する。彼らの軍は、閼与を越え、晋陽を越え、銅鞮に至った。もう少しで邯鄲に到達するという勢いである。
当初彼らに与えられた太原郡という地は、かつて「代」と呼ばれた地であったが、彼らはそれを越えて趙へ侵入しようという凄まじさを持っていた。匈奴の協力を得た彼らの勢力が大変なものであったことを物語るものであろうが、それ以前にやはり韓王信の統率力が人並み以上のものであった、ということであろう。
しかし残念なことに銅鞮で彼らの進撃は止められた。皇帝が親征し、その軍が韓王信率いる隊を迎え撃ったのである。
この戦いに敗れた韓王信は一人の将軍を失い、自らは長城を逆に越えて匈奴の地まで後退した。
「敗兵をまとめ、様子を見よ。吾は、まだ死ぬわけにはいかぬ」
彼は戦地に残した王黄と曼丘臣という二人の将軍に命じ、再起を期した。
「匈奴兵は強いが、作戦に深みがないようだ。負けて勝つ、ということをまったく考えていない。だからその戦いはすべてが局地戦であり、ある戦いの結果が次の戦いの結果に結びつくということがない」
韓王信は冒頓を相手に話した。言葉が通じるように、ゆっくり丁寧に話す。しかし、冒頓は彼のいう言葉の音がわかっても、意味が理解できないようであった。
「どういうことかな?」
「……むこう(漢)は皇帝が親征してきている。これを討ち、捕らえれば漢は実質上、滅ぶ。皇帝は元来感情的なお方だ。勝ちが先行すれば調子に乗って深みにはまる。博打のようなものだ……いや、博打の意味は君らにはよくわかるまい。……とにかく最終的な勝利を得るために、我々は小さな敗北を何度も重ねる必要がある。五度戦って四度負ける、そのような覚悟が必要なのだ」
冒頓からすれば、韓王信の考えは素直に受け入れがたい。彼は心の中で中原に帰りたいと望み、それがゆえに我々に負けろと言っているのではないかと疑いたくなるのであった。言葉巧みに我々を誘導し、最後の最後で寝返るのではないかと……。
「疑うな。最後には必ず勝つ。吾の言う通りにせよ。いや、してほしい」
韓王信は冒頓の疑心暗鬼を打ち消すように言った。それもそのはず、彼にとってもはや皇帝は討つべき存在なのである。中原に帰りたいという感情は確かにあったが、皇帝を討たない限りそれは不可能だと彼は考えていたのであった。
「疑うなというが、やはり君の言葉を信じるための保証が欲しい」
冒頓はしかしそう言った。当然の反応だろう。
「ならば、生まれたばかりの子と孫を君に預けよう。あまりに年若いので人質とも言えぬかもしれぬが……それで吾の気持ちを斟酌してほしい」
韓王信は馬邑を捨てる際に、太子を連れて匈奴に投降した。匈奴の地に至った後、その太子に子が生まれた。これが孫であり、韓嬰である。
同時期に韓王信は自分の妻にも子を産ませている。生まれた子は地名をもとに頽当と名付けられた。子と孫を同時に得るあたり、自分はなかなかに強運の星のもとに生まれたと考える彼であったが、これはやはり由緒正しき韓王室の血を途切れさせないことに由来する。
しかし大事な血脈を持つその子や孫であっても、政争や戦略の道具にせざるを得ないのは仕方のないことだったと言えよう。