四
匈奴は毎日のように国境を襲い、彼らを苦しめた。
匈奴の軍隊は中原のそれとは違い、軍旗などを持たない。兵はどれも騎兵であり、各々が単独に行動する。進軍に際して合図などを必要とせず、優勢だと見ると死した獣に群がる烏や蝿のように、どこからともなく現れた。
しかし、ひとたび敗勢だと見ると無秩序に背を向けて逃亡した。各々が勝手な方向に、誰が誰を守って戦う、誰かの敗走を救うということをまるで考えなかった。よって、彼らを殲滅することは非常に難しかったのである。
そして、そのことを恥と感じる文化を持たなかった。
匈奴の社会では、父親が死ぬと子がその財産のすべてを受け継ぐ。その財産とは単なる所有物にとどまらず、父親の妻、つまり自分の母親も含まれた。部族の血脈の維持のために匈奴の男たちは自分の母親を妻とし、子でありながら兄弟にあたる赤ん坊を産ませたのである。
また、戦場で死んだ者の遺体を担いで家族に届けると、死者が家長であった場合、やはりすべてが担いできた者の所有になった。
ひと口に善悪を判別することはできない。彼らにとってこれらの決めごとは、絶えない戦乱のなかで未亡人やみなしごをうまないために必要なことだったのである。
「だったら、彼らは戦いをやめればいい。それですべてが解決するじゃないか」
韓王信は側近の展開する匈奴論にそう口を挟んだ。善悪を論じるつもりはなくても、矛盾を感じるのである。要するに、そこまでして戦う理由はなんだ、と言いたいのである。
彼が心の奥底で戦いたくないと望んでいるからこそ、提起したくなる矛盾である。
「彼らは常に……草と水のある地を求めて北の地を放浪します。家畜に餌を与えるために……。これは想像以上に過酷な環境といえましょう」
匈奴の事情に通じた側近の一人はそう説明した。しかし、韓王信にはその真意がよくわからない。
「つまり……どういうことだ?」
「彼らの生活環境は厳しいことこの上ありません。気候は冷涼で乾燥しており、土地は痩せ、生産に向きません。つまり、彼らは常に飢えの危険を感じながら生きております。彼らの生業とする狩猟や牧畜だけでは自分たちの栄養を満たせず、それでいながら他者と交易するという文化も持ちません。したがって、彼らの生活の中では他者から物を奪う、という行為が日常のものなのです」
「戦って、略奪するという行為が日常生活の一部だというのか? では彼らは大げさに首領などをたてたりしているが、その実は山賊と変わらない、そうに違いないな?」
自分を安心させたい、という感情からだろうか。このときの韓王信の発言は敵を過小評価するものであった。
「そうに違いありませんが、だからこそ我々は、油断すべきではありません。彼らは……戦うことに何の感情も持ち合わせておりません。敵が憎いから戦うのではなく、略奪することに罪悪感を持ったりしません。彼らの中ではそれは善人がすることであり、略奪できない人物は、悪人なのです。よって、なまなかの覚悟では、彼らに対抗することは出来ませぬぞ」
農耕民族が春に種を蒔き、夏に水を与え、秋に収穫する……そのことに関して善悪を論じることは、通常考えられない。匈奴の侵略行為がそれと同じだとはどうしても彼には考えられなかったが、世の中には思いの通じない相手というものはよくいるものである。まして国外の異民族ともなれば……。
そう考えた韓王信は、決断を下した。
「現在の都である晋陽は国境から遠く、匈奴の侵犯に対抗できない。よって我々は、馬邑に遷都し、軍事上の拠点とする」