二
周苛のような死に方は美しく、どうせ死なねばならぬ運命にあるとすれば、彼もあのような死に方をしたいと望んだ。だが、確かに彼は生きながらえていることを喜んでいたし、虜囚の辱めも死ぬことに比べれば耐えられないことではなかった。だから彼の周苛の死に対する感じ方は、どちらかというと自分にないものに憧れを抱く、そういったものであった。
しかし、当然ながら生きながらえたことには罪悪感を抱く。死にきれなかったことに後悔しながら、おそらくは自分にとって後悔せずに死ぬことよりも、後悔しながら生き続けることのほうが幸せだと自覚しながら。再び人生で同じ場面に遭遇したとしても、きっと自分は死を選ぶことはない、と思っていたのである。
それでも楚軍の隙を見て脱走して漢に帰順したことは、他でもない周苛に対する贖罪の意識のあらわれであった。生前の彼の言葉に従い、彼の意思を尊重した結果の行為である。
そしてその行為は彼の望んだ結果を生んだ。漢はついに楚を撃ち破り、彼は諸侯王として広大な領土と、権力の世襲を認められたのである。
「よかった」
どちらかというと純朴な男であった彼は、周囲に素直にそう述べた。自分という男が生きているおかげで、奇跡的に韓の王家は存続しえた、とうれしがっていたのである。
確かに彼は戦国末期の韓に王の職にあった韓倉(襄王)の孫であった。しかし側室の腹をその起源としたものであり、彼自身も張良に見出されるまでは村里で農作業にいそしむ青年の一人に過ぎなかった。平民として過ごしていたのである。
だからこうして韓王として君臨していることは、どう考えてみても奇跡なのである。彼はその気持ちを隠しもしなかった。
「趙の王室は、韓信によってとり潰されて現在は張敖が君臨している。斉にしても同じだ。田家は滅ぼされ、現在は韓信自身が王を称している。魏も韓信によって滅ぼされた。魏の王家の末裔は平民におとされたが、周苛は彼を斬り殺した。楚の熊家の最後の一人は、長沙で黥布に斬られている。よって……春秋、戦国の昔から存続する王家は、この韓しかない。余は、この事実を深刻に受け止めている」
成上り者どもが支配する天下で、伝統や正当性を主張できる存在は自分だけだという自覚は確かにある。だから自分は高貴であるという認識はあまりない。しかし、軽々しく死んではならないという思いは、彼の頭の中の大部分を占めるようになっていった。
だが、その思いは皇帝にあまり伝わらなかったようである。静かに、大過なく過ごそうとした韓王信に対し、皇帝は国替えを命じた。すなわち、旧来の韓の地を捨て、太原郡を新たに韓としたのである。
「太原郡とは、もとの西魏の領地だ。淮陰侯(韓信)がかつて魏豹を破った際に得た、と聞いているが……どうして余にそんな所を?」
命じられた韓王信は言うことを聞くしかないとわかっていても、周囲に確認せざるを得ない。
「かの地は伝統的に強兵が生まれる所だ、と聞いております。皇帝陛下は、それを抑えたいのでしょう。王さまの力をもって」
宰相などはそのように答えた。しかし、彼には納得がいかない。
「強兵が生まれる地だと? 強兵など、どこでも生まれる。皇帝はこの地が欲しいだけさ。雒陽に近いからな。直轄の郡にしたいのだろう」
「では、勅命に応じないおつもりですか」
「そんなことはできない。皇帝が行けというのであれば、行くしかないだろう」
かくして韓王信は太原をその領地とした。しかし実際に行ってみて甚だ後悔するに至った。太原は常に胡の侵犯する地だったのである。
胡とは他ならぬ匈奴であり、首領に冒頓単于を抱えたこの時期は、その勢力の絶頂期であった。