十五
柴武という人物は漢の側の将軍の一人で、古くは斉の田氏につながる人物と戦い、功績をあげている。ということはあるいは当時淮陰侯韓信の配下にあったとも考えられるが、それは定かではない。また、西楚の項羽と雌雄を決した垓下の戦いにおいて、周勃とともに殿軍を担当したことで名が知れている。
皇帝は、陳豨・韓王信の叛逆による北方地域の混乱を憂慮し、自らは陳豨を討とうと親征した一方で、柴武に韓王信の討伐を命じた。
――匈奴と戦わなければならぬとは、やっかいな役目を仰せつかったものだ。
陳豨を相手にした方が気分的に楽だ、と思ったのである。しかも相手が曲がりなりにも王族であるということは、彼の気持ちを滅入らせた。今は裏切り者と成り果てたとはいえ、かつては楚を相手にともに戦った名高き男を討つ役目が自分に回って来たことが、重圧に感じられてならない。しかもその名高き男が、こともあろうに匈奴という蛮族の一員となって悪逆の限りを尽くしているという事実は、信じられなかった。
――なにが彼にそうさせたのか。
長安から出発して行軍を重ねる間、彼は常にそのことを考えていたが、答えは見つけようもなかった。柴武は王であったこともなかったし、蛮族に包囲されて敗北した経験も持たない。よって彼が韓王信の立場を理解しようとすることは根本的に無理があった。
――まあ、理解できない男の方が、討ちやすい。
柴武の思考はそこに落ち着こうとする。しかし軍を前線に近づけていくごとに、その不可解さは深まっていった。
――なんと、徹底した破壊ぶりよ……。城市には人っ子一人おらぬ。殺し尽くしたというのか。
韓王信が破壊したと思われる城市を通過するたびに、激しい死臭が漂い、それが吐き気を催す。配下の兵の中には、実際に嘔吐する者もいたようだった。
「人道に外れた行為です。これは」
柴武の副将は鼻をつまみながら、そう言った。
「うむ。君の言いたいことはわかる。しかし……韓王はすごいな。人としてはどうか知らぬが、軍人としては非常に優秀な人物だと言わざるを得ない」
このときの柴武の発言は、副将を驚かせた。
「は?」
「意外か? しかし現在の漢軍にこれだけの行為ができる者はいまい。無論私を含めて」
「それはそうですが……」
「軍人というものは敵対する者を殺さねばならぬ。しかし多くの場合、君の言う『人道』などを理由に、それをためらったりする。私の見るところ、韓王にはそのためらいがまったくない。まったく完璧な軍人だ」
「では……将軍は、これは正しい行為だと? 正義だとおっしゃるのですか?」
「そうではない。つまるところ、究極的な軍人とは、人ではないのだ。少なくとも道徳を学んだ文化的な人ではない。我々に彼の真似が出来ようか? 文明社会に生き、人としての道を学んだ我々には出来ぬ行為だ」
そう副将に語った柴武の心の中に、ある考えが浮かんだ。
――韓王は、人として生きることをやめようとしているのではなかろうか?
つまり、もう死にたいと思っているのでは……。いかにも考えられそうなことだ。
「将軍、どうかなされましたか」
副将の問いにはっとして我に帰った柴武は、あらためて自分の考えを言葉にした。
「韓王は……匈奴と行動を共にしていて、やり方も匈奴のやり方に倣っている。が、おそらく本意ではなかろう。……あの方を楽にさせてあげねばならぬ」




