十一
韓王信は思う。冒頓が自分を受け入れてくれたのは、やはり自分の背の高さが原因ではなかったかと。自分がどのような人間で、どんな能力を持っており、何を愛し、何を嫌うか……彼にとってはそのようなことはどうでもよかったのではないかと。重要なのは目を引く容姿、異彩を放つ外見的特徴、そして人々の印象に残る風体……いろいろな言葉を自分に当てはめてみたが、結局これらはすべて同じ意味だった。
しかし、そんなことはどうでもいい。
匈奴は、基本的に中原からの亡命者を歓迎した。中原人の持つ文化や知識、大は強力な攻城兵器を開発する能力や、荒れ地を開墾して一大農地を作る技術と知恵、小は茂みの中に生息する薬草を見分ける能力や、虫の吐き出す糸から織物を作り出す技能など、そのどれもを有益とみなし、積極的に自分たちの国の発展のために生かそうとした。とどのつまり、自分もそれらのうちのひとつであったに過ぎない。
確かに自分は戦略眼のない匈奴に知識を授け、それを勝利に導いた。彼らはその勝利の結果に喜んだが、自分は不満を抱いた。たったそれだけのことであった。
つまり破局を導いた原因は自分の側にあり、冒頓に吐いた挑発的な台詞は、あまり自分の本意をあらわしたものとはいえない。比較的純朴な性格であった彼は、思いどおりに事態が進んでいないことを知って反発を示したのだった。自分でも驚くような子供じみた反応である。
――この土地が嫌だ。この風、雪、冬のどんよりとした空の色……すべてが嫌だ。
彼の真意はそこにあったのかもしれない。
大気中のわずかな水分が小さな氷の結晶となって空中に漂い、それが朝の日の光に反射してきらきらと輝く幻想的な風景。それは人界と自然界の境目であるかのように彼には思われた。不可侵の領域はつまり、まともな人間が暮らすべき場所ではない。
零下の低温のもとでも暖かに過ごせる匈奴の衣服は主に動物の毛皮で作られており、それが彼らの荒々しさや逞しさを象徴的に示しているようにも見える。彼は試しにそれを身に付けたことがあった。しかしその着心地はごわごわとしており、確かに温かいがお世辞にも快適とはいえない。さらに気に入らないのは、鼻が曲がるほどの不快な異臭がすることであった。文明人ならば、やはり綿を詰めた布地の衣服を身にまとうべきだ。
匈奴の女は素朴で、素直であった。しかし、肌が日にすすけているようで、一言でいうと汚い。頬はあかぎれて艶もなく、女性特有の透明感など皆無であった。また、その手のひらは見るからに硬く、握る気さえ起きない。そんな女どもが毛皮の衣服をまとい、やはり異臭を漂わせているのだった。彼はこれでも女かと思い、近づくことすらできなかった。
自分は王族という高貴な血脈を持って生まれ、それを途切れさせることのないよう生き続けてきた。そのために匈奴に身を売り、捲土重来を期して不遇な現況にも耐え続けている。しかしそれを覆すのが結局そうした世俗的な欲望であったことには、嫌悪を抱いた。
いいところに住み、きらびやかな衣服を着て、夜にはたおやかな女性を抱く……自分が求めているのは本質的にそれに過ぎず、王家の血筋などというものは生き延びるための建前に過ぎなかった。
――死んでしまった方が楽だ。
確かに死ぬことは、少し勇気を出せば済む。しかし彼には死ぬ建前がなかった。
――まさか匈奴の女が醜いことを理由に死ぬわけにはいくまい。
彼はそんな思いを抱き、ひとり、くっくと笑い声を漏らした。
「どうかなさったのですか」
このとき行動をともにした側近の一人が尋ねた。
「いや、なんでもない。しかし結局匈奴との連携もうまくいかなかったと思うと……もはや笑うしかない、と思えたまでよ」
「ですが匈奴が敵となったわけではありません。これまで我々は匈奴軍の中の一軍でありましたが、これからは匈奴は友軍になった、そういうことでしょう?」
「半ば独立した二つの軍。形ではたしかにそうだ。しかし吾の身分は相変わらず匈奴の将軍でしかない。それも実質を伴わないものだ」
「どういうことでしょう」
「本当の意味での匈奴の将軍であれば、吾が戦いに敗れれば匈奴が窮地を救いに来たり、失地を回復してくれたりする。彼らは集団で戦うからな。しかし、吾にはそれが望めぬ。だが……その方がかえって気楽だ。やはりこれでよかったのだ」
韓王信はそこで再び笑い声を漏らした。それは笑い声であったことは確かだったが、不思議なことに側近には嗚咽に聞こえたのである。
「韓王といっても吾はもとの韓王。将軍としても、もとの匈奴の将軍。いまや吾は何者でもない。その中途半端な立場の吾が求めるものは……自分にとって理想的な死に場所……これしかない。吾のこれからの戦いは、これ一点のみが主題だ」
彼は匈奴の地から長城を越え、王黄と曼丘臣の勢力範囲内となっている晋陽に向かった。孫の嬰と子の頽当は未だ匈奴に預けたままであった。




