クズの終着駅は絶望世界の境界線~半端者の俺が世界で一番大好きな人の手を握るまで~
──ゴロゴロ、ピッシャーァアアンッ!!
鼓膜をぶち破らんばかりの爆音が漆黒の夜空を切り裂いた。
視界を真っ白に染める稲光と同時に、目の前にそびえ立ったのは、ビルを優に超える「水の壁」だ。
「う、嘘だろ……? うわぁああああッ!!」
叫び声は、吹き荒れる暴風と狂ったように吠えるドス黒い波の音に一瞬でかき消される。
船はすでに木っ端微塵に砕け散っていた。自分が今、何につかまっているのかさえ分からない。
ただ、生きるために指がちぎれんばかりの力で、木切れにしがみついているだけだ。
冷たい海水が容赦なく目と鼻、そして肺に怒涛のように流れこんでくる。
「ゴッ、ゴホッ」
い、息が、で、出来ない……
息が詰まり、激しい嘔吐感に今度は襲われた。
──次の瞬間視界が飛んだ。
それは一瞬の出来事だった。
押し寄せた岩のような荒波が、容赦なく体を空中へと放り投げた。
──クルクルと超高速で目が回る感じがしたと思った瞬間、内蔵が浮き上がるような得体の知れない感覚が襲ってくる。
直後、叩きつけられたのは冷徹な海の底だった。
上下の感覚が完全に消し去られ、ただ真っ黒の世界が広がる。
どちらが空で、どちらが深海かも分からない。
──ガツンッ!!!
頭部に鋭い衝撃が走った。
視界の端で花火が散ったような気がした。
冷たい、苦しい、痛い、寒い……
あらゆる感覚が、急速に遠ざかっていく。
激しい嵐の轟音さえも、まるで分厚いガラスを隔てたかのように、こもった音へと変わっていく。
(ああ、俺……ここで、死ぬのか……)
意識の糸が、プツリと断ち切られた──
◇
「……ぅ………、ぁ、あ………」
口の中に広がる強烈な砂のザラつきと、塩辛さで意識が強制的に引き戻された。
「ゲ、ゲホゲホッ……グッ、ゲッ、ゲホ、グホッ」
激しく咳込み、肺に溜まっていた海水を吐き出した。
全身を襲うのは、筋肉が引きちぎれそうなほどの激痛だった。
「い、生きて……い、いる、の、か……?」
重い瞼をこじ開けると、そこにあったのは荒れ狂う海ではなく、見知らぬ静かな海岸だった。
嵐は去ったのか?
空は低く垂れこめた灰色の雲に覆われ、不気味なほどに静まり返っている。
「ど、どこ? ここ……」
よろよろと上体をお越し、何とか立ち上がり周囲を見渡す。
「な、何これ? ど、どこ? え?」
波打ち際のすぐ先には見たこともない奇妙な形をした巨木や、ねじくれた原生林が、まるで生き物のように不気味にうごめいている。
なんとも形容し難い様相に、自然と身体が硬直していた。
どこからか? 聞いたこともないような軋んだ鳴き声? が音が風に乗って聞こえてきた。
「ちょ、な、何、え? 何?! 今のは気のせいか?」
空耳であって欲しい。いや、何でもない。何もない……
お……俺は……助かったのか?
自分の足がちゃんと二本あり、腕もちぎれていないことを再確認する。
「一体ここは、どこなんだ?」
助かったのか? それとも、もっと恐ろしい場所へ迷い込んでしまったのか?
ただ一つだけ確かなのは、自分が文明から完全に切り離された「未知の世界」に、たった一人で放り出されたと言う事実だけだった──
◇
途方に暮れていると、不気味な鳴き声が、ねじくれた原生林の奥から響いてくる。
「どこなんだ、ここは……? 誰か、誰かいないのか!? おーーい!! 誰か。おーーい!!」
俺は震える声を振り絞って叫んだ。
しかし、返ってくるのは不気味な木々のざわめきと、自分の声の虚しい残響だけだった。
見上げれば、空は禍々しい紫色の雲に覆われ、時折、見たこともない色の雷光が走る。
波打ち際に打ち上げられた俺の体は、砂と泥にまみれ、衣服はボロボロに引き裂かれていた。
「う、嘘だろ……。俺は、本当に助かったのか?」
全く現状が理解出来ず、頭の中がパニックになりそうだ。
だが、生きていることは確かで、今度は、ゆっくり視線を自分の両手に移す。指はかろうじて動くが、感覚は麻痺したように鈍い。
あの凄まじい嵐で、船が木っ端微塵に砕け散り、漆黒の深海へと引きずり込まれたあの瞬間、俺は死を覚悟したはずなのに、目が覚めればこの未知の島だ。
文明の気配など微塵もない、まるで太古の地球、あるいは異世界にでも迷い込んでしまったかのような、圧倒的な絶望感が首筋を締め上げる。
「ちくしょう……。なんで俺が、こんな目に遭わなきゃいけないんだよ……!」
膝をつき、砂を強く握りしめる。
悔しさと恐怖で視界がにじむ。
そして、その脳裏に不意に、あの人の顔が浮かんだ。
◆
『お前、また喧嘩して仕事をクビになったのか!?』
激しい怒りを帯びた、兄ちゃんの声だ。
いつもそうだった。
双子の兄である「海太郎」は、昔から誰からも好かれる太陽のような男だった。
要領がよく優しくて、面倒見も良い。そのうえ努力家だ。
兄ちゃんの周囲にはいつも笑顔の輪ができていた。
それに比べて俺は、何をやっても中途半端。
勉強も運動も長続きせず、大人になってからも仕事を転々としては、些細な人間関係で衝突してすぐに辞めてしまう。
両親は、俺たちがまだガキの頃に事故で他界した。
身寄りのない俺たちを、いや、俺のために兄ちゃんは自分の進学をあっさりと諦めた。
俺たちの暮らす田舎町は不況の煽りを受け、中卒の若者にまともな仕事など残っていなかった。
それでも兄ちゃんは泥にまみれて働き、必死で金を貯めて、小さな小さな中古の漁船を買ったんだ。
漁師。それが兄ちゃんの選んだ道だった。
だが、現実は甘くない。そんなボロ船では遠出などできず、近海で小さな雑魚を釣るのが精一杯。
兄ちゃんは毎日、朝も明けない暗黒の時間から海へ出た。
帰ってくれば、休む間もなくその小魚をすり潰し、自家製の「ちくわ」に加工する。
そしてそれを、不格好なリヤカーに積んで近隣の集落へ行商に出るのだ。
『ちくわ、いかがですかーー! 獲れたての魚で作った美味いやつだよ!』
そうやって声を張り上げ、頭を下げて周りに煙たがれながらも、1本数百円のちくわを売って、俺を食わせてくれた。
真夏の暑い日も、雨の降る日も、真冬の凍てつく寒さの中も休むことなく、ちくわを売り続けた。
汗と塩と魚の匂いにまみれ、手はいつも傷だらけでひび割れていた。
そんな兄ちゃんを俺は本当は、世界で一番大好きで、誰よりも尊敬していた。
だからこそ……
そんな兄ちゃんの足元にも及ばない、何一つ長続きしないクズな自分が、たまらなく嫌だった。
あの日もそうだった。バイト先をクビになり夕方に帰宅した俺に、珍しく兄ちゃんが本気で怒鳴った。
『いつまでそんなことを続ける気だ、海斗! 俺はお前に普通に生きてほしいだけなんだよ!』
『うるせえな! 兄ちゃんみたいに、毎日ちくわ売って這いつくばるのが「普通」なのかよ!?』
思ってもいない毒を吐いた。
兄ちゃんの顔が悲しげに歪んだのを見たが、それよりも今の自分が許せなくて……
気まずさに耐えかねた俺は、ふて寝するフリをして部屋に閉じこもったが、夜中にどうしてもイライラが収まらなくなった。
『俺だって漁ぐらいできるわ! 兄ちゃんに頼らなくたって、でかい魚の一匹でも釣ってくりゃ文句ねえだろ!』
衝動のままに部屋を飛び出し、港に繋がれた兄ちゃんの小さな中古船を勝手に動かした。
引き留める兄ちゃんの声を無視して、夜の海へと舵を切ったんだ。
――その結果が、あの未曾有の大嵐。そして、このざまだ。
「ごめん、兄ちゃん……。俺がバカだった。突っぱねて、我が儘言って……っ」
激しい後悔が胸を突き刺す。
だが、感傷に浸る時間は与えられなかった。
――ズゥウウウウ、ン
大地を揺らすような重低音が、すぐ近くの原生林から響いた。
ハッと我に返り、音がした方を振り向く。
ねじくれた巨木の影から、ゆらりと巨体が現れた。
それは、トカゲのようでありながら、全身が岩のような鱗で覆われ、頭部には歪な3本の角が生えた、体長5メートルを超える「未知の怪獣」だった。
そのギョロリとした血走った眼球が、確実に俺を捉えた──
「ひっ……、あ、あああ……っ!」
腰が抜けた。叫び声すら喉に張り付いて出ない。
(し、死ぬのか? コイツに食われて? )
「い、いやだーー!!」
怪獣は低く唸り声を上げると、地面を爆発させるような勢いで、こちらに向かって突進してきた。
「うわあああああああッ!!」
死に物狂いで立ち上がり、俺は無我夢中で走り出した。
砂浜を蹴り、目の前のジャングルへと飛び込む。背後で、バリバリと木々がへし折れる凄まじい破壊音が響く。
振り返る余裕なんてない。ただ、足をもつれさせながら、植物の絡まった蔓を掻き分け、泥を這うようにして逃げ続けた。
「はぁ、はぁ、はぁ、で、でも、こんなところで死んでたまるか……っ!」
頭上からは、見たこともない巨大な極彩色の怪鳥が、鋭い爪を剥き出しにして急降下してくる。
「く、くそっ!」
間一髪で地面に転がり、それを避ける。
しかし、転がった先は、底の見えない深い崖だった。
「うわああああっ!?」
斜面を激しく転がり落ちる。
全身を岩や木の根に打ち付け、悲鳴を上げる間もなく、俺は鬱蒼とした谷底へと叩きつけられた。
痛みが全身を駆け抜ける。衣服は引き裂かれ、生傷からは血が流れ落ちていた。
立ち上がろうとしたが、足に力が入らない。
周囲を見渡すと、そこは巨大な肉食植物がうごめき、毒々しい胞子を撒き散らす、まさに死の谷だった。
背後の崖の上からは、先ほどの角トカゲが俺を見下ろし、咆哮を上げている。
逃げ場なんてもうどこにもない。
「な、なんで……なんで俺がこんな目に……」
涙がボロボロと溢れ、地面を濡らした。
恐怖と、寒さと、孤独。文明から完全に切り離され、誰も俺を助けに来てくれない。
も、もうダメだ……
「絶望」その二文字が浮かぶ。
瞼を閉じ、最期の時を迎える準備をした。
──『海斗、飯だぞ。今日はちくわの磯辺揚げだ』
脳裏に、笑顔で不格好な料理を差し出す兄ちゃんの姿がフラッシュバックする。
『お前は手先が器用だからな。いつか俺の代わりに、もっと美味いちくわを作ってくれよ』
あの時、俺は「誰がちくわなんか」と鼻で笑った。
兄ちゃんは、いつだって俺の可能性を信じてくれていたのに。
俺がどれだけ中途半端でも、決して見捨てなかったのに。
「兄ちゃん……っ、会いたいよ、兄ちゃん……!」
怪獣が崖を滑り降りてくる音が聞こえる。肉食植物の蔓が、俺の足元へとじわじわと伸びてくる。
死が、すぐそこに迫っていた。
「嫌だ……! 兄ちゃんに、謝ってない……! まだ、何も返せてないんだよ……っ!!」
俺は涙を流しながら、残ったすべての力を振り絞って叫んだ。
「ごめん、兄ちゃん! 俺、生まれ変わるから! 真面目に働くから! だから……助けてくれぇえええええッ!!」
迫り来る怪獣の巨大な顎が、俺の視界を完全に覆い尽くした――
◆◇◆
「海斗! 海斗、しっかりしろ!!」
強い力で肩を揺さぶられ、俺は勢いよく跳ね起きた。
「うわあああああッ!!」
「うおっ!? びっくりした……。なんだよ、急に大声出して」
目の前にいたのは、怪獣でも肉食植物でもなかった。
少し日に焼けた自分とそっくりの、だけどどこか頼もしい、兄ちゃんの顔だった。
「え……? 兄、ちゃん……? な、何で?」
あたりを見回す。
そこは、見慣れた狭くて古い、俺たちの家の和室だった。
「お、俺? 何で?」
窓の外からは、まだ夜が明ける前の静かな波の音が心地よく聞こえてくる。
不気味な雷鳴も、狂った波の音も、何もかもがない。
「ど、どういうこと?!」
兄ちゃんの顔をまじまじと見上げた。
「お前、うなされてたぞ。『兄ちゃんごめん』って泣きながら暴れるから、心配したんだよ」
兄ちゃんは苦笑しながら、俺の額に手を当てた。
「熱はないな。……昨日は、俺も言い過ぎた。悪かったよ。お前はお前なりに焦ってたんだよな」
優しく微笑む兄ちゃんの手を見る。
そこには網で擦れた跡や、ちくわを加工する時、包丁で切った小さな傷が無数に刻まれていた。
すべては夢だったのだ──
あの凄まじい嵐も、ボロ船の難破も、怪獣のいる無人島も。
何一つ長続きせず、ふてくされて眠りについた俺が見た、長くて壮大な恐ろしい夢。
だが、胸の奥に残る激しい鼓動と、頬を伝う涙の温かさは、間違いなく本物だった。
もし、あのまま本当に死んでいたら?
兄ちゃんに謝ることもできず、独りぼっちで消えていたら……
そう思うと、勝手に涙が溢れて止まらなくなった。
「おいおい、どうしたんだよ海斗。どこか痛むのか?」
慌てる兄ちゃんの服の袖を、俺は子供のようにギュッと握りしめた。
「ううん……どこも痛くない。痛くないよ、兄ちゃん……」
兄ちゃんが、無け無しの金で買ってくれた誕生日プレゼントの服。
同じ日なのに……俺のだけを買った兄ちゃん。
薄くなってきた袖口で涙を拭い、俺は真っ直ぐに兄ちゃんの目を見つめた。
兄ちゃんが驚くほど、強い意志を込めて。
「兄ちゃん……ごめん。本当に、ごめん。俺、今までずっと自分のことばっかりで、兄ちゃんの気持ち、何も考えてなかった」
「海斗……?」
「明日から……いや、今から、俺も手伝うよ! 船の乗り方も、ちくわの作り方も、全部一から教えてくれ。もう中途半端なことはしない。俺、兄ちゃんと一緒に、この街で生きていきたいんだ!」
一気に捲し立てた俺を、兄ちゃんはきょとんとした目で見つめていた。
だが、すぐにその顔が、今まで見たこともないような心からの嬉しそうな笑顔に変わった。
「……そっか。手伝ってくれるか」
兄ちゃんは俺の頭を、大きな手でガシガシと撫でた。
「よし! じゃあ早速、着替えろ。漁師の朝は早いぞ。まずは、極上のちくわの作り方から仕込んでやるからな!」
「おう! 任せとけよ!」
まだ星の残る紺碧の空の下、ゴツゴツでカサカサした兄ちゃんの大きな手に引かれ、俺たちは家を出た。
懐かしい潮の香りが、優しく鼻腔をくすぐる。
あの日、父ちゃんと母ちゃんが死んだ夜、不安で震え泣いていた俺に、兄ちゃんが「大丈夫だから、お前は絶対に俺が守るから」と言って握ってくれた手の温もりと、何一つ変わってなかった。
もう迷わない。
俺の本当の航海は、この大好きな兄ちゃんと共に、ここから始まるんだ──
「お忙しい中、最後までお読み頂き大変ありがとう御座います」
※今作は某所でじわじわ広まりつつある「ちくわ推し企画」への参加作品となります。
突然でてきた「ちくわ」に対し違和感を感じた方も、おられるかとは思いますが「ちくわ」がお題のため、少々無理やり感が生じたことをご理解くださいませ。
各所で聞こえてくる昨今の「ライトノベル、異世界ファンタジー」終末期の声の中、こういった企画によって再び盛り上がっていくようになればと思っております。
人の輪によって繋がる「人の温もり」を感じれる世界へ願いを込めて。
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