第7話:魔導王、はじめての「自動洗浄」
「……おい、小娘。この部屋にある『白い陶器の玉座』は何だ」
ある日の早朝。
アルマが寝ぼけ眼をこすりながら起き出すと、ノアがトイレのドアの前で、見たこともないような神妙な面持ちで固まっていた。
「……トイレのこと? 昨日の夜も使ってたじゃない」
「昨夜は暗闇の中で、我の野生の勘を頼りに用を足したに過ぎん。だが今、明るいところで直視して確信した。……これは、時空を歪める魔導具の一種だな?」
「ただの自動洗浄トイレだよ……。ほら、近づくと蓋が開くの」
アルマがトボトボと近づくと、ウィーン……という小さな機械音とともに、トイレの蓋がうやうやしく持ち上がった。
「――ヌオオオッ!?」
ノアは毛を逆立て、一回転してアルマの頭の上に飛び乗った。
「動いた! 意志を持っている! 貴様、この我を……魔導の王を、この白い怪物に飲み込ませる気か!」
「……ノア、声が大きいって。ただの感知センサーだってば。ほら、座ってみてよ。便座も温かいんだから」
「温かいだと? 禁忌の炎を宿しているというのか……。おのれ、文明の利器を装った罠め。我は騙されんぞ!」
ノアはアルマの頭にしがみついたまま、震える前脚でトイレを指差した。
だが、好奇心には勝てないのか、その瞳はキラキラと輝いている。
「……フン。まあ、貴様がそこまで言うなら、我の魔力で浄化してやらんこともない。……どけ、小娘」
ノアはアルマの頭から降りると、恐る恐る便座の縁に飛び乗った。
陶器のひんやりとした感触。そして、下から伝わる絶妙な温かさ。
「……ほう。これは……。……悪くない。……いや、むしろ、王宮の羽毛クッションに匹敵する心地よさだ」
ノアは満足げに座り直し、喉をゴロゴロと鳴らし始めた。
もはや用を足すという本来の目的を忘れ、ただの「温かい場所」として堪能し始めている。
「……ノア、そこ寝る場所じゃないからね?」
「黙れ。我は今、この白い聖域と精神を同調させているのだ。……おお、このボタンは何だ? 『おしり』……? 我の弱点を突こうというのか?」
「あ、それは押しちゃダメ――」
ポチッ。
ノアが興味本位で前脚を伸ばした瞬間。
トイレの奥から、シュバッ! と鋭い水流が飛び出した。
「ニャフゥゥゥゥン!!」
真っ直ぐにノアの顔面を直撃した水流に、彼は文字通り「飛び上がった」。
空中で三回転半し、濡れ鼠……ならぬ濡れ猫となったノアは、壁にペタリと張り付いて震えていた。
「……攻撃……! 奇襲だ! 卑劣な……! 顔面に聖水を浴びせるとは、どのような高等魔術だ!」
「だから言ったじゃない……。もう、ビショビショだよ、ノア」
アルマは溜息をつき、タオルでノアを包んで拭き始めた。
伝説の魔導王(自称)は、今やタオルの塊の中で、情けなく耳を伏せている。
「……我は……我は、屈辱に耐えられぬ……。あの白い陶器を、今すぐ次元の彼方へ消し去ってくれる……」
「はいはい。その前に、朝ごはん食べよ? 今日は昨日のお魚の残りを焼いてあげるから」
「…………。……多めに焼け。三枚だ。精神的苦痛の賠償としてな」
朝食後、アルマはノアをマントに隠して教室へ向かった。
今日の授業は「薬草学」。
アルマにとっては得意分野だが、ノアにとっては退屈な時間のようだ。
「(……小娘。何だこの授業は。植物の分類など、根っこから引き抜いて魔力で分解すれば一瞬で分かることだろう)」
「(シーッ! 先生に聞こえるよ。……ねえ、ノア。それより、あの窓辺に置いてある赤い花、知ってる? 『火炎草』って言って、触ると熱いんだって)」
「(フン。火炎草だと? そんな低俗な名で呼ぶな。それは『紅蓮の溜息』。かつて我の庭園で、ドラゴンのブレスを肥料にして育てていたものだ)」
ノアは自慢げに語り始めたが、その時。
クラスの女子たちが、キャーキャーと騒ぎ始めた。
「見て! 先生が持ってきた薬草、すっごく可愛い!」
先生が持ってきたのは、小さな白い花を咲かせた『猫じゃらし(魔法改良版)』だった。
普通の猫じゃらしよりもキラキラと光り、意志を持っているかのようにユラユラと動く。
「(……っ!?)」
マントの中で、ノアが硬直した。
彼の金色の瞳が、窓からの光を反射して怪しく光る。
「(……小娘。あれは……何だ。あの、不敵な動きをする棒の先についた、ふわふわした物体は……)」
「(あ、あれは『魔導猫じゃらし』。魔力を感知して、一番遊びたそうな相手に向かって動くんだって)」
「(……我を愚弄している。……あのふわふわ、我の首を狙っているぞ。……討たねばならぬ。……我が最強の魔導をもって、あのふざけた毛玉を塵にしてくれる……!)」
「(ノア! 動いちゃダメだよ! 授業中なんだから!)」
アルマは必死にマントの上からノアを抑え込む。
だが、魔導猫じゃらしが「シュッ!」と素早く動くたび、ノアの尻尾がアルマのお腹をペシペシと叩く。
「(……うう、我慢だ。我は王だ。王は……毛玉などには……!)」
ガサガサッ!
ついに耐えきれなくなったノアが、マントの隙間から前脚だけを突き出し、空中の何かを捕まえようと素早く動かした。
「あら、アルマさん? そのマント、動いてないかしら?」
先生が不審そうにアルマを見た。
クラス中の視線が集中する。
「えっ!? あ、これは……その、腹筋です! お腹が空きすぎて、筋肉が痙攣してるんです!」
「腹筋……? まあ、お大事にね」
なんとか誤魔化したものの、アルマの脇汗は止まらない。
マントの中では、ノアが「(……あの毛玉……次こそは仕留める……!)」と、ハァハァと荒い息をついていた。
「……ねえ、ノア。お願いだから、もっとゆるく過ごそうよ……」
「(……フン。貴様の修行不足だ。……ところでアルマ。……放課後、あの猫じゃらしを強奪する作戦を立てるぞ)」
「(返してきなさいよ!)」
こうして、アルマの「成長」よりも、ノアの「猫化」が加速する一日が過ぎていく。
伝説の魔導王への道は、まだまだ遠く、そして非常に騒がしい。
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