第6話:青い炎の残像と、不穏な視線
「……ふむ。昨日の硬貨の浮遊、あれは及第点だ。だが小娘、喜ぶのはまだ早いぞ」
翌朝、アルマの頭の上でノアが欠伸をしながら言い放った。
彼は最近、アルマの頭頂部を「特等席」として定着させている。猫の重みと温かさが、アルマにとってはもはや日常の一部になりつつあった。
「……及第点って、カレン先生にはあんなに褒められたのに」
「フン、あの程度の女の審美眼など信じるに値せん。いいか、魔法の本質は『現象』ではなく『意志』にある。昨日の貴様は、まだ現象に振り回されていた」
アルマは制服の襟を整えながら、鏡の中の自分を見た。
心なしか、数日前よりも顔つきが引き締まっているような気がする。
「……意志、か。難しいよ、ノア。私、まだ自分の魔力が『甘い』っていう感覚さえ、掴みきれてないんだもん」
「焦るな。味覚とは鋭敏なものだ。……それより、今日は『合同演習』の日だろう? 貴様のその甘いスープを、少しばかり他人の鼻先に突きつけてやるが良い」
合同演習。
それは、初等クラスの生徒たちが数人一組のパーティを組み、模擬戦や課題解決を行う授業だ。
これまでのアルマにとって、この授業は苦痛以外の何物でもなかった。
「……また、誰とも組んでもらえないんだろうなぁ」
「フン、群れる必要などない。我という至高の導き手がいれば、凡百の有象無象など背景の壁紙も同然だ」
演習場には、数十人の生徒たちが集まっていた。
その中心には、先日植え込みに突っ込んだカイが、包帯を巻いた指を大げさに動かしながら取り巻きと話している。
「おい、見ろよ。落ちこぼれのアルマが、また一人で突っ立ってるぜ」
「昨日の『多層防壁』だって、どうせ親から貰った使い捨ての魔道具か何かだろ」
心ない声が飛んでくる。
アルマは唇を噛み締め、杖を握り直した。
「(……小娘。殺気を感じるな。右斜め後方、あの眼鏡をかけた青白い男を見ろ)」
ノアがアルマの髪に隠れながら、耳元で低く囁いた。
言われた方を見ると、そこには上級生の制服を着た見慣れない男が、手帳を片手にアルマをじっと観察していた。
「(……あれは、ただの生徒ではない。魔力の波長を記録している。……貴様の『変化』に気づいた者が、動き出したようだな)」
(……え? 私、何か悪いことしたかな?)
「(バカめ。凡人が急に天才の片鱗を見せれば、疑われるのは世の常だ。……だが、隠す必要はない。むしろ、圧倒的な差を見せつけて、手出しをさせぬようにするのが策というものだ)」
今日の演習課題は、「魔導標的の破壊」だ。
演習場の各所に設置された、物理耐性を持つ魔力の人形を、いかに迅速に、かつ正確に魔法で撃破するかを競う。
「……では、演習開始!」
カレン先生の合図とともに、生徒たちが一斉に魔法を放ち始めた。
「火球!」「氷矢!」
爆音と閃光が演習場に渦巻く。
アルマの目の前にも、一体の魔導標本が現れた。
それは重厚な岩のような皮膚を持ち、並大抵の攻撃では傷一つ付かない。
「……おい、アルマ! それは『剛岩のゴーレム』だ! お前みたいな貧弱な魔力じゃ、掠り傷もつけられないぜ!」
隣のレーンで派手な炎を放っていたカイが、勝ち誇ったように笑う。
「(……アルマ。今こそ、昨日の復習だ。魔力を『溶かせ』。あの岩の隙間に、貴様の甘い毒を染み込ませるのだ)」
アルマは深く息を吸った。
周囲の喧騒が消えていく。
彼女の視界には、ゴーレムを構成する魔力の「継ぎ目」が、鮮やかな糸のように浮かび上がっていた。
(……甘く、温かく。……そして、芯まで溶かして)
アルマは杖を構えず、右手をそっとゴーレムに向けた。
彼女の指先から、目に見えないほど微細な、けれど密度の高い魔力が溢れ出す。
それは攻撃というより、抱擁に近かった。
アルマの魔力はゴーレムの岩の隙間に入り込み、その構造を内側から優しく、けれど強引に「書き換えて」いく。
「……『融解の抱擁』」
アルマが小さく呟いた瞬間。
ドォォォォン……!
爆発ではない。
巨大なゴーレムが、まるで真夏の雪だるまのように、一瞬にしてドロドロの液体へと姿を変え、床に崩れ落ちたのだ。
「…………は?」
カイの叫びが止まった。
演習場全体が、異様な静寂に包まれる。
物理耐性を持つはずのゴーレムが、一撃で、しかも「跡形もなく溶かされた」のだ。
「……アルマ……さん?」
カレン先生が、震える手で記録板を落とした。
その時、アルマは感じた。
先ほどの上級生の男から放たれた、刺すような鋭い視線を。
「(……フン。やりすぎたか。……だが、心地よいな。凡人どもの肝を冷やしてやるのは、魔導の王としての嗜みだ)」
「……ノア。私、これ、後で怒られないかな……」
「(怒られる? 滅相もない。……これからは、媚びる者が増えるだろう。……だが、気をつけろ。貴様の『甘い魔力』を、喰らおうとする獣も現れる)」
アルマは溶けたゴーレムの跡を見つめながら、自分の手が微かに震えているのに気づいた。
強くなる。
それは、これまでの平穏な「落ちこぼれ」としての生活を捨てることでもあった。
「……さて。小娘、演習は終わりだ。……我は腹が減った。……今日は食堂に『特製サーモンパイ』があるはずだ。……それを我の捧げ物として用意しろ」
「……もう、ノアったら。さっきまでカッコいいこと言ってたのに」
アルマは苦笑しながら、周囲の驚愕の視線を背に、演習場を後にした。
けれど、彼女の背後で、あの眼鏡の男が不敵な笑みを浮かべながら、通信用の魔導具を取り出していることには、まだ気づいていなかった。
「……検体番号07。……覚醒を確認。……これより、第二段階へ移行する」
青い空の下、学園に潜む暗雲が、静かにアルマを飲み込もうとしていた。




