第5話:魔力の味は、錆びた鉄か、あるいは……
「……いいか、アルマ。魔力とは、単なるエネルギーではない。それは世界という巨大なタペストリーを織り成す、無数の『糸』だ」
放課後の旧校舎。
ノアはアルマの肩の上に陣取り、彼女の耳元で偉そうに(実際偉いのだが)講釈を垂れていた。
アルマは机に向かい、目の前に置かれた「十枚の硬貨」を見つめている。
「……糸……? でも、教科書には『魔力は体内の魔力炉で生成され、回路を通じて放出される物理的な力』って……」
「フン。教科書など、凡人が凡人のために書いた、文字の羅列に過ぎん。貴様、その硬貨を一枚、魔力で浮かせてみろ」
アルマは溜息をつき、杖を構えた。
集中し、体内の魔力を練り上げる。
指先から放たれた魔力が、硬貨を包み込む。
ガタッ、と硬貨が音を立てて浮き上がった。
けれど、それは数センチ浮いたところで激しく振動し、すぐに床へと落下した。
「……あーあ。やっぱり、難しいなぁ。『浮遊』は、魔力の継続的な制御が必要なんだもん」
「……違う。今の貴様は、魔力を『押し付けて』浮かそうとした。それでは、硬貨は魔力の圧力に潰されるだけだ」
ノアはアルマの肩から机へと飛び移り、前脚で硬貨をちょいちょいと突いた。
「いいか、小娘。魔力とは『味』だ。貴様、自分の魔力を味わったことがあるか?」
「……え? 魔力の……味?」
アルマは首を傾げた。魔法使いが魔力を感知することはあっても、「味わう」なんて聞いたことがない。
「……五感の全てを使え。魔力を練るとき、貴様の喉の奥に、どんな感覚が残る? 錆びた鉄のような苦味か? それとも、澄んだ水のような清涼感か?」
「……えーと、そう言われても……。いつも、必死すぎて……」
「そこが、貴様の無能たる所以だ。魔力とは、自分自身の投影だ。貴様の魔力が『錆びた鉄』なら、貴様の魔法は鈍く、脆い。……だが、貴様の魔力は……」
ノアは金色の瞳を細め、アルマの周囲に漂う微かな魔力の残滓を嗅いだ。
「……貴様の魔力は、意外にも……『甘い』」
「……え!? 私の魔力が……甘い?」
アルマは思わず自分の手を舐めてみたが、もちろん味などしない。
「……馬鹿め。物理的な味ではない。精神的な『甘さ』だ。……それは、優しさであり、脆さであり、そして……無限の受容性だ。……だからこそ、貴様の魔法は、形を持たずに霧散しやすい」
ノアの言葉は、アルマの心の奥底に深く沈み込んだ。
自分は無能ではなく、ただ、魔力の『性質』が違っていただけ。
その甘さが、魔法を不安定にさせていた。
「……アルマ。その『甘さ』を、溶かせ。硬貨の中に。硬貨を『浮かせる』のではなく、硬貨という『味』を、貴様の魔力という『甘いスープ』に、馴染ませるのだ」
「……スープ……」
アルマはまたしてもノアの突飛な例えに困惑したが、不思議とそのイメージは彼女の心に馴染んだ。
(……甘い、スープ……)
アルマは杖を置き、両手を硬貨にかざした。
目を閉じ、体内の魔力を感じる。
それは、確かに温かく、どこか蜂蜜のような甘い香りがする(ような気がした)。
その甘い魔力を、指先からそっと染み出させる。
押し出すのではなく、溶かし出す。
魔力が硬貨に触れた。
硬貨は、魔力のスープの中に静かに沈み込む。
そして、そのスープの温度が上がるように、魔力の流れが硬貨を優しく包み、持ち上げた。
スーッ、と。
硬貨が、音もなく空中に浮かび上がった。
振動も、揺らぎもない。
それは、まるで重力が存在しないかのように、完全に静止していた。
「……できた。……できたよ、ノア!」
アルマは目を見開き、歓喜の声を上げた。
浮かび上がった硬貨は、彼女の意志のままに、空中で円を描き、八の字を描き、そして、十枚の硬貨が連なって、小さな龍のように舞った。
「……ほう。意外と、飲み込みが良いではないか。……まあ、我の指導が完璧だったからだがな」
ノアはフンと鼻を鳴らした。が、その尻尾は、嬉しそうにパタパタと床を叩いていた。
(……甘い、魔力。……それが、私の魔法……)
アルマは浮かび上がった硬貨を見つめながら、自分の名前に、新しい意味が灯ったような気がした。
自分はもう、落ちこぼれなんかじゃない。
自分だけの魔法を、自分だけの『味』を、この世界に織り込んでいける。
「……さて。小娘、調子に乗るのはそこまでだ。……次は、その硬貨を浮かしたまま、この部屋の埃を全て集めろ。……魔力の多重操作だ。一刻以内に終わらなければ、今日の晩餐は抜きだぞ」
「……ええー!? 厳しすぎるよ、ノア先生!」
「先生と呼ぶな! 主神と呼べ! ……あと、あそこに『動く紐』があるな……。我の野生が、あれを討たねばならぬと……」
「あああっ! それはカーテンの紐だからダメだってば!」
夕闇の旧校舎に、またしても少女の悲鳴と猫の鳴き声が響く。
アルマの「成長」は、まだまだ平穏な道ではなさそうだったが、その心は、今日までよりもずっと、甘く、温かい希望に満ち溢れていた。
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