第4話:放課後の秘密特訓は、マタタビの香りと共に
「……はぁ、はぁ。もう、無理……」
放課後の旧校舎、使われていない空き教室。
アルマは床に大の字になって倒れ込んでいた。
窓から差し込む夕日が、埃の舞う室内をオレンジ色に染めている。
その中心で、一匹の黒猫が優雅に毛繕いをしながら、冷ややかな視線を投げかけていた。
「情けないな、小娘。今の魔力操作、わずか三百度の円環を描くだけではないか。それだけで息を切らすとは、貴様の魔力タンクはひび割れた水瓶か?」
「……ノアは、言うだけだからいいよね。これ、普通の見習いなら三日はかかる工程なんだよ……?」
アルマが弱々しく反論すると、ノアはフンと鼻を鳴らした。
「三日だと? 我の時代なら、三秒でできぬ者は魔導士を名乗る資格などなかった。いいか、魔力とは『練る』ものではない。『溶かす』ものだ。世界というスープの中に、自分というスパイスを馴染ませる……。その感覚を忘れるな」
「スープ……スパイス……」
アルマは朦朧とする意識の中で、その言葉を反芻する。
ノアの教えはいつも突飛だ。けれど、その通りにイメージを広げると、不思議と魔力の「引っかかり」が消えるのが分かった。
「……ところで、アルマ。一つ、我の威厳に関わる重大な相談がある」
ノアが急に真剣な声を出した。
金色の瞳が、アルマの顔をじっと見つめている。
「……何? 怖い顔して。また伝説の魔具でも見つけたの?」
「……それよりも深刻だ。……先ほどから、この部屋の隅にある『あの草』。あれは一体何だ。我の防衛本能が、あれを『極めて危険な魔導物質』だと警鐘を鳴らしている」
アルマはノアが指し示す(前脚で突いている)方を見た。
そこには、前任の教師が置き忘れたのか、小さな鉢植えがあった。
中には、少し萎びた葉をつけた植物。
「……あ、これ? 『キャットミント』……いわゆるマタタビの仲間だよ。猫が好きなやつ」
「……何だと? 我を誘惑し、精神を汚染しようとする罠か! 卑劣な……! 貴様、すぐにそれを破棄しろ。我の理性が、あの香りを嗅ぐだけで霧散しそうになって――」
ノアの声が、急に震え始めた。
彼は自ら「危険だ」と言いながら、足は吸い寄せられるように鉢植えへと向かっている。
「……やめろ。来るな。我は、魔導の王……。あんな、ただの、草に……」
くんくん、と。
ノアの鼻が激しく動き、次の瞬間。
「……ふにゃああああああん」
ノアは鉢植えに顔を擦り付け、床をごろごろと転がり始めた。
瞳孔は開ききり、舌が少し出ている。
「……ノア? 大丈夫?」
「あへ……あへへ……。いい匂い……。世界が……世界が黄金に輝いている……。アルマ……お前、いい奴だな……。もっと、撫でろ……。我を、もっと……」
「威厳がマイナスに突入してるよ……!」
アルマは慌てて鉢植えを高い棚の上に避難させた。
数分後、ようやく正気に戻ったノアは、信じられないほど毛を逆立て、顔を真っ赤(に見えるほど狼狽)にしていた。
「……今のは、毒だ。致死性の魔毒だ。我の強靭な精神力をもってしても、一瞬の隙を突かれたに過ぎん」
「はいはい。じゃあ、今日の特訓はここまでにして、食堂に行こう? 今日は魚のムニエルだって」
「……ムニエルだと? ……ふん、毒消しのために摂取してやらんでもない」
寮への帰り道、二人は中庭を横切っていた。
そこで、一人の少年と数人の取り巻きが行く手を阻むように立っていた。
「おい、落ちこぼれのアルマ。今日の試験、まぐれで青い火を出したらしいじゃないか」
少年の名はカイ。
名門魔法騎士の家系で、アルマをいつも馬鹿にしているエリート候補生だ。
「……カイ君。まぐれじゃないよ。ちゃんと練習したんだから」
「ふん、杖も使わずにそんなことができるはずがない。どうせ、怪しい魔道具でも隠し持ってるんだろ? 貧乏人のくせに、卑怯な真似をするな」
カイが杖を構え、アルマに向かって小さな衝撃波を放とうとする。
それは見習い同士の喧嘩としては少し行き過ぎた威力だった。
(……あぶない!)
アルマが身構えた瞬間、マントの中からノアの鋭い声が響いた。
「(――小娘。逃げるな。右手を四十五度上に向け、親指を内側に折れ。そこで『壁』ではなく『盾』をイメージしろ。重なり合う、鋼の盾だ)」
アルマは反射的にその通りに動いた。
ノアの指示通りに魔力を指先に集め、空中に「層」を作るように展開する。
ドォォォン!
カイの放った衝撃波がアルマの目の前で弾け、火花を散らした。
けれど、アルマには傷一つない。
彼女の目の前には、薄い魔力の膜が重なり合い、六角形の結晶のような形を成していた。
「……なっ!? 『多層防壁』だと!? そんなの、上級生が使う防御魔法じゃないか!」
カイが驚愕に目を見開く。
「……アルマ、お前……一体……」
「(……追撃しろ、小娘。相手の魔力回路は、今の一撃で右側に偏っている。左足の膝裏を狙って、小さな空気の弾を弾け。……やれ!)」
(え……でも、怪我させちゃうよ……)
「(殺せとは言っていない! 礼儀を教えてやれと言っているのだ!)」
アルマは迷ったが、ノアの勢いに押され、左手をカイに向けた。
ノアの言う通り、相手の動きがスローモーションのように見える。
魔力の流れが、色のついた糸のように空中に浮き出て見えた。
(あそこだ……!)
パチン、と指を鳴らす。
それは魔法というより、単なるイタズラのような衝撃。
けれど、正確にカイの急所(魔力の結節点)を突いたその一撃は、彼のバランスを完璧に崩した。
「わ、わあああ!」
カイは無様に尻もちをつき、そのまま後ろの植え込みに突っ込んだ。
「……ひ、卑怯だぞ! 覚えてろ!」
捨て台詞を残して逃げていくカイと取り巻きたち。
中庭に、静寂が戻る。
「……やった。……また、勝っちゃった」
アルマは自分の手を見つめ、それからマントの中に隠れている「師匠」に話しかけた。
「ねえ、ノア。私、本当に強くなれるのかな」
「……フン。当たり前だ。この我の……『黒天の守護者』の弟子なのだからな。……ただ、今の魔力の使い方は雑だ。寮に戻ったら、もう一度基礎からやり直すぞ。……あと、さっきの草……キャットミントだったか。あれを捨てろ。今すぐだ」
「あはは、あれはノアが可愛いから、取っておこうかなぁ」
「貴様ぁ!!」
夕闇の中、一人の少女と、喋る猫の賑やかな言い合いが響く。
アルマの中に、小さな、けれど確かな「自信」という名の火が灯り始めていた。
だが、この時アルマはまだ知らなかった。
カイの背後に、彼女の急成長を不審に思う「学園の闇」が忍び寄っていることを――。
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