第3話:理論(りりく)なき魔力は、ただの暴発である
翌朝、アルマを叩き起こしたのは、目覚まし時計の音ではなく、顔面に突き立てられた「肉球」の感触だった。
「……う、ううん……。あと五分……」
「起きろ、小娘。太陽の運行が始まってから既に一刻は過ぎているぞ。貴様の怠惰な精神が、その貧弱な魔力回路をさらに腐らせているのが分からんのか」
「……ノア。猫なんだから、もっと丸くなって寝ててよ……」
アルマが薄目を開けると、そこには枕元に鎮座し、朝日に照らされて神々しく(自称)輝く黒猫の姿があった。
ノアは呆れたように鼻を鳴らす。
「フン。我は既に、この部屋の魔力濃度を測定し、今日の訓練メニューを構築済みだ。さあ、まずはその寝ぼけた頭に冷水を浴びせてこい。話はそれからだ」
「……はいはい。主神様、お早うございます」
アルマはふらふらと立ち上がり、共同の洗面所へと向かった。
もちろん、マントの下にノアを隠すのを忘れない。
女子寮の朝は戦場だ。他の生徒に見つかれば、一巻の終わりである。
鏡の前で顔を洗いながら、アルマはふと思った。
「ねえ、ノア。今日の授業、実技試験があるんだ。『着火』の安定性を測るんだけど……私、いつも火が消えちゃうか、逆に煤だらけになっちゃうんだよね」
「……着火だと? そんな子供騙しの芸を試験にするとは、この学園のレベルも知れたものだな」
マントの隙間からノアが毒づく。
「いいか、アルマ。貴様が失敗するのは、魔力を『押し出そう』としているからだ。それは便秘の者が力んでいるのと変わらん。醜悪極まりない」
「例えが最低だよ……!」
「真理を言っているのだ。魔力とは流体であり、意思の投影だ。火を灯そうとするな。『そこにある空気が、熱を持ちたがっている』と解釈しろ」
「熱を持ちたがっている……?」
アルマは首を傾げた。
教科書には『魔力回路に一定の負荷をかけ、摩擦によって熱量を発生させる』と書かれている。
ノアの言うことは、あまりに感覚的すぎた。
「理解できんか。まあ、貴様のその鳥並みの脳みそでは無理もない。……おい、それよりあの黄色い物体は何だ」
ノアの視線が、洗面台の隅に置かれたアヒルのおもちゃ(温度計代わり)に釘付けになった。
「あ、それ? お風呂の温度を測るやつだけど……」
「……ほう。あの無機質な瞳……。我を挑発しているな? 貴様、あれを動かしてみろ。我の爪が、あの厚顔無恥な嘴を切り裂きたがっている」
「授業に遅れるからダメ! 我慢して!」
アルマは必死にノアを抑え込み、教室へと急いだ。
王立魔法アカデミー、第三初等教室。
そこには、アルマのような「才能の芽」が出かかっている(あるいは枯れかけている)生徒たちが集まっていた。
教壇に立つのは、厳格なことで有名なカレン先生だ。
「……では、次はアルマ・ベルン。前へ」
アルマの心臓が跳ねた。
周囲からは、クスクスという忍び笑いが漏れる。
「またアルマか。昨日は火を出そうとして自分の袖を燃やしてたよな」
「今日は爆発させなきゃいいけど」
嫌味な声に、アルマは俯きながら前へ出た。
机の上には、一本のろうそくが置かれている。
これに、指先から小さな火を灯す。それが今日の試験だ。
(……落ち着いて。魔力を押し出すんじゃなくて……)
アルマが杖を構えようとした、その時。
机の下、彼女の足元から小さな声が響いた。
「(おい、小娘。杖など使うな。そんな棒切れに頼るから、イメージが固定されるのだ)」
(……ノア!? 出てきちゃダメだってば!)
アルマはパニックになりかけたが、カレン先生の鋭い視線が彼女を射抜く。
やるしかない。
「(いいか、アルマ。空気を撫でろ。そこに眠っている『熱の精霊』の背中を、優しく叩いてやるのだ。……ほら、やってみろ)」
アルマはノアの言葉を信じることにした。
杖を下ろし、そっと右手をろうそくの芯にかざす。
周囲がざわついた。
「無詠唱、しかも杖なし?」「何するつもりだ?」
アルマは目を閉じた。
今、自分の指先と、ろうそくの芯の間にある空気を感じる。
それは冷たく、静かに眠っている。
けれど、そこには小さなエネルギーが満ちている。
(……起きて。暖かくなりたいんでしょ?)
彼女が、心のなかでそっと空気を弾くようなイメージを持った、その瞬間。
シュンッ、という、これまで聞いたこともないような澄んだ音がした。
ろうそくの先に、小さく、けれど一切の揺らぎがない、真っ青な炎が灯った。
「…………え?」
アルマ自身が一番驚いた。
いつもは「ボフッ」と汚い音を立てて消えるか、煙が出るだけだったのに。
その炎は、宝石のように美しく輝いている。
「……見事です、アルマ」
カレン先生が、驚きを隠せない様子で眼鏡を押し上げた。
「魔力の純度が極めて高い。しかも、無駄な熱の拡散が一切ない……。完璧な『青の着火』です。これを杖なしで行うとは……驚きました」
教室内が、一瞬にして静まり返った。
あの「落ちこぼれのアルマ」が、特待生でも難しいとされる純粋な青炎を出したのだ。
アルマは呆然としながら、自分の手を見つめた。
(できた……。本当に、できたんだ……!)
歓喜に浸ろうとした、その時。
「(……おい、小娘。調子に乗るな。今のは我の助言の百分の一も体現できていない)」
足元から、またしても生意気な声が。
「(それより、重大な問題が発生した。至急、この場を離脱せよ)」
(え……? なに、ノア。どうしたの?)
アルマが不安になって足元を覗き込むと、机の影でノアが……
カレン先生の長いスカートの裾から垂れ下がった「装飾の紐」に、今にも飛びかからんばかりに尻尾を激しく振っていた。
「(あの紐……! 動くたびに我を愚弄している! 我の野生が、あれを捕らえずにはいられないと言っている! 早くしろ、理性が……理性が保てん……!)」
(――ちょ、ちょっと待って! 先生を襲ったら今度こそ終わりだよ!)
「アルマ? どうしましたか?」
不審そうに顔を覗き込むカレン先生。
その足元では、限界を迎えた「伝説の魔導王」が、お尻をふりふりしてジャンプの構えを取っている。
「ひ、ひえええ! 先生、気分が悪いので失礼します!」
アルマは合格の余韻に浸る間もなく、必死にノアを抱え上げて教室を飛び出した。
「放せ! 放せ小娘! あの紐を討たせろ! 我の誇りがあの紐に負けるわけにはいかんのだ!」
「大人しくしてってばー!」
廊下に響く、少女の悲鳴と猫の鳴き声。
アルマの「成長」は、まだまだ平穏な道ではなさそうだった。
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