第29話:雪解けの予感と、王都からの急使
「……おい、小娘。断言するが、この平和は偽りだ。……我の髭が、不吉な『魔導書』のインクの匂いを、北風の合間に捉えたぞ。……これは、面倒事という名のツナ缶(中身は空)が近づいている兆候だ」
冬休みも残り三日。
アルマの実家の縁側で、ノアは冬の柔らかな日差しを浴びながら、丸くなって日向ぼっこをしていた。
その膝の上(ノア自身が膝のような丸さだが)には、実家で一番厚手の、羊毛で編まれた特製防寒着を羽織っている。
「もう、ノア。……せっかくキャスカちゃんたちが、村の子供たちと雪合戦をして遊んでるのに。……そんな不吉なこと言わないでよ」
「(……甘いぞ、アルマ。……雪合戦だと? あやつらがやっているのは、魔力で硬度を上げた氷の礫を投げ合う、ただの合法的暴力だ。……見ろ、アリスが雪玉にバフをかけたせいで、村の物置が粉砕されたぞ)」
「ああっ!? ――ごめんなさい、おじさん! 今、ジャムちゃんが直すからっ!」
アルマが慌てて駆け寄る中、村の入り口から、一台の黒塗りの魔導ソリが滑り込んできた。
それは、素朴なミスト村にはあまりにも不釣り合いな、銀の装飾が施された高級仕様。
ソリが止まると、中から現れたのは……エドワード先輩の使い魔である、機械仕掛けの「喋る伝書鴉」だった。
「――ベルンさん、および特級検体ノア君。……王都より、エドワード・フォン・ベルシュタインのメッセージを預かっております」
鴉はカチカチと嘴を鳴らし、エドワードの声を再生し始めた。
『……やあ、ベルンさん。冬休みを満喫しているかな? ……実は至急、君たちの力が必要になった。……学園の地下保管庫で、私が研究材料としていた「古代の巨大缶詰」が、冬の冷気で異常収縮を起こし、そのまま時空の歪みを発生させてしまったんだ。……今、学園は「巨大なサバの味噌煮」の異界に飲み込まれようとしている』
「(………………は?)」
「……エドワード先輩……また、何やってるの……」
アルマは頭を押さえて天を仰いだ。
『……幸い、この異界を閉じることができるのは、その缶詰の「固有魔力」を一度摂取し、胃袋に記憶している者……つまり、ノア君だけだ。……至急、王都へ戻ってきてほしい。……報酬は、私が一生かけて収集する予定だった「伝説の幻獣ツナ」の目録だ。……以上、よろしく頼むよ』
鴉はそう言い残すと、パタリと機能を停止した。
「(……おのれ、眼鏡……! ――我を、自分の不始末の掃除役に使うつもりか! ――だが、……だが、今、何と言った? ――伝説の、幻獣、ツナだと!?)」
ノアの金色の瞳が、かつてないほど激しく燃え上がった。
それは、もはや食欲を超えた、一種の信仰に近い輝きだった。
「(……アルマ! 準備しろ! ――キャスカ! ジャム! アリス! ――雪合戦は終わりだ! ――今すぐ王都へ戻るぞ! ――我らの聖地(食堂)が、サバの味噌煮に汚染されるのを防ぐのだ!)」
「(……ノア、自分が食べたいだけでしょ?)」
「(黙れ! ――これは世界の均衡を守る戦いだ! ――サバよりツナなのだ! ――それが、この世の真理だ!)」
「……もう、仕方ないわね。……せっかくお母さんの特製お餅、食べる予定だったのに」
キャスカたちが雪まみれで戻ってくると、ノアは既に、アルマの父の魔導ソリを勝手に起動し、先頭で踏んぞり返っていた。
「……アルマ。……もう行っちゃうのかい? ……まだ、お別れの会もしてないのに」
「ごめんね、お父さん。……ちょっと、学校の先輩がとんでもないことしちゃったみたいで。……また、春休みに戻ってくるから!」
「(……さらばだ、ド田舎! ――自動洗浄トイレのない不便な生活よ! ――我は、文明の輝き(と高級ツナ)の元へ還るぞ!)」
こうして、一行の冬休みは、予定を繰り上げて幕を閉じることになった。
目指すは、サバの味噌煮の異界と化した王立魔法アカデミー。
ポンコツ四重奏と一匹の魔導王による、これまでで最も「美味しそうで、最も迷惑な」戦いが始まろうとしていた。
最下層のボスを倒し、田舎の雪山を制した彼女たちの次なる相手は、エドワード先輩の「知的好奇心の暴走」そのもの。
「(……待っていろ、眼鏡。……その幻獣ツナ、我の胃袋という名のブラックホールに、一滴残らず収めてくれるわ!)」
雪解けの道を、魔導ソリが猛スピードで王都へと駆け抜けていく。
アルマの溜息と、ノアの「ゴロゴロ」という不敵な鳴き声が、冬の空に溶けていった。




