第28話:雪女の正体と、真夜中の台所
「……おい、小娘。断言するが、この屋敷の廊下は、時空が歪んでいる。……歩いても歩いても、目的地である『台所』に辿り着かんのだ。……これは上級の空間遮断魔術に違いない」
真夜中の三時。
アルマの実家、ミスト村の古い家屋は、シンシンと降り積もる雪の音さえ飲み込むような静寂に包まれていた。
ノアはアルマの枕元から這い出し、空腹に耐えかねて(夕飯の牡丹鍋をあんなに食べたというのに)単独行動を開始していた。
「(……クッ。……あの、アルマの父とかいう男が言っていた『雪女』。……我のような魔導の王が、そんな迷信に屈するはずが……。……ひっ!? ――今、天井で『ピシッ』と音がしたぞ! ――刺客か!? 雪女の刺客か!?)」
ノアは廊下の隅で丸まり、激しく震えた。
古い木造建築特有の「家鳴り」なのだが、暗闇に慣れないノアにとっては、伝説の魔獣の咆哮よりも恐ろしく聞こえる。
だが、台所から漂ってくる「吊るし肉」の熟成された香りが、彼の恐怖心をわずかに上回った。
「(……真理は、闇の先にある。……我は行く。……胃袋という名の羅針盤に従って……)」
ノアは抜き足差し足で、暗い廊下を進んだ。
ようやく台所の入り口に辿り着き、中を覗き込んだ、その時。
「…………あら」
月明かりが差し込む窓辺に、真っ白な着物を羽織り、長い髪を垂らした人影が立っていた。
その人物は、手にした包丁を月光に反射させ、無心に「何か」を切り刻んでいる。
「(――ギ、ギニャァァァァッ!! ――出た! 本物だ! ――雪女だ! ――あの包丁で、我を猫のタタキにする気だぁぁ!)」
ノアは全力で脱兎のごとく逃げ出そうとした。
だが、その背後から、ひんやりとした、しかし聞き覚えのある声が響いた。
「……待ちなさい、ノア。……そんなに騒いでは、アルマたちが起きてしまいますわよ?」
「(………………え?)」
ノアが恐る恐る振り返ると、そこには雪女――ではなく、白い寝巻き姿のキャスカが、真剣な表情でまな板に向かっていた。
「……キャスカ? ――貴様、こんな夜中に何をしている。……その、手に持っている肉片は何だ」
「……ふっ。……私の剣……いえ、包丁が、夜食を求めていたのよ。……見て、ノア。……この、一ミリの狂いもない『生ハムの極薄スライス』を」
キャスカは、修行で培った(?)驚異的な集中力で、保存食の肉を芸術的な薄さに切り分けていた。
「……雪山での狩猟で悟ったわ。……剣は、肉を切るためにある。……私は今、この包丁で『究極の一切れ』を追求しているの」
「(……おのれ、なまくら剣士。……我をあんなに驚かせておいて、一人で宴の続きをしていたのか。……不届き千万だ)」
「……食べる?」
「(………………あむっ)」
ノアはキャスカから差し出された、透けるような肉を一口で飲み込んだ。
熟成された塩気と、脂の甘みが、夜の冷えた体に染み渡る。
「(……合格だ。……貴様の包丁捌き、もはや初心者レベルではない。……『夜食の騎士』の称号を授けてやろう)」
二人が暗闇の中で仲良くつまみ食いをしていると、さらに台所の奥から「……ズルズルッ」という奇妙な音が聞こえてきた。
「(――なっ!? ――まだ何かいるぞ!)」
「……見つけたですわっ! ――隠れても無駄ですわ! ――ヒール・ジャム注入!」
「ひえええっ! 降参ですわ!」
床下収納の扉が開き、そこからジャムとアリスが、大量の「干し柿」を抱えて現れた。
ジャムは、固くなった干し柿を自分の治癒魔法(という名の糖分操作)で、プルプルの半生状態に戻して食べていたのだ。
「(……貴様ら……。……全員、寝静まった後に、この台所に集結していたというのか……)」
「……ノア先生こそ。……お腹の音が、廊下まで響いていましたわよ?」
結局、アルマの実家の台所は、夜な夜な集まった「食いしん坊カルテット」による、秘密の深夜食堂と化した。
雪女の恐怖はどこへやら、囲炉裏の残り火で肉を炙り、干し柿をデザートに、彼女たちは王都の学園では決して許されない「背徳の味」を堪能したのである。
翌朝。
台所に降りてきたアルマと彼女の両親は、テーブルの上で雑魚寝をしている三人の少女と、その中心で幸せそうに「柿のヘタ」を枕にして寝ている黒猫を発見した。
「……あらあら。……みんな、夜更かしして何をしてたのかしら?」
アルマの母の優しい問いかけに、ノアは寝言でこう答えた。
「(……ふふふ……。……雪女……。……あやつの、首を……生ハムに……して……やる……ゴロゴロ……)」
文明の利器はなくとも、食欲さえあればそこは楽園。
ポンコツ四重奏の冬休みは、体重計の針が右に振り切れる未来を予感させながら、賑やかに続いていくのであった。




