第26話:魔導王、はじめてのド田舎
「……おい、小娘。断言するが、この乗り物は欠陥品だ。……我の三半規管が、時空の歪みに耐えきれず、胃袋の中のササミを逆流させようとしているぞ」
冬休み初日。
学園から魔導列車で数時間、さらにそこからガタゴトと揺れる魔導馬車に揺られること三時間。
ノアはアルマの膝の上で、かつてないほど真っ青な顔(毛色で見えないが)をして、ぐったりと横たわっていた。
「……我慢して、ノア。……私の実家、山の奥のそのまた奥なんだから。……あ、ほら! みんなは元気だよ?」
馬車の向かいの席では、キャスカ、ジャム、アリスの三人が、窓の外に広がる雪景色に目を輝かせていた。
「すごいわ、アルマ! ……あんなに大きなツララ、王都じゃ見られないわ! ――斬り応えがありそうだわ……!」
「キャスカさん、危ないですよっ! ……でも、本当に空気が美味しいです。……治癒魔法の効き目も良くなりそうな清々しさですわ!」
「見てくださいまし! あの雪だるま、魔力で動いてますわ! ――応援してあげますわ! ――滑れ、雪の残響!」
アリスが無駄に雪だるまにバフをかけ、雪だるまが猛スピードで崖下へ滑り落ちていく。
「(……やかましい。……おのれ、小娘どもめ。……我のこの繊細な苦しみを余所に、観光気分か。……アルマ、まだ着かんのか。……我は今すぐ、あの自動洗浄トイレの温もりに抱かれたいのだ……)」
「……ノア。言いにくいんだけど……。……うち、自動洗浄トイレなんてないよ?」
「(………………は?)」
ノアが目を見開いた、その瞬間。
馬車が急停車した。
「着いたよ! ここが私の故郷、ミスト村だよ!」
アルマが元気に飛び降りた先には、腰まで届きそうな積雪と、古びた藁葺き屋根の家々が並ぶ、あまりにも「素朴」な風景が広がっていた。
「(……嘘だ。……幻覚だ。……我は、魔導の極致を極めたはず。……なぜ、目の前に、牛の糞の匂いと、薪を割る乾いた音が漂う『中世の遺物』があるのだ)」
ノアは震える前脚で雪を踏み締めた。
冷たい。あまりにも冷たい。
そして、アルマの実家の玄関先には、彼女の両親と、巨大なモフモフの塊が待ち構えていた。
「おかえり、アルマ! ……お友達もよく来てくれたねぇ」
「……あ、お父さん、お母さん! ……紹介するね、こっちが学校の友達の――」
アルマが紹介を終える前に、巨大な塊が動き出した。
それは、アルマの実家で飼われている番犬――魔導猟犬の『ゴンゾウ』だった。
「(――なっ!? ――貴様、何だその巨大な鼻面は! ――近寄るな! 我の、我の気高い香りを嗅ぐなあああ!)」
「ワンッ!!」
ゴンゾウのひと鳴きで、ノアの小さな体は雪の中にスポッとはまり込んだ。
魔導王の威厳は、田舎の番犬の圧倒的な「親愛の情(よだれ付き)」の前に、一瞬で消え去ったのである。
「まあ、可愛い黒猫ちゃん! ……アルマ、この子もお客様?」
「……ええ、お母さん。……この子はノア。……ちょっと、態度は大きいけど、私の大事なパートナーだよ」
「(……パートナーだと!? ――助けろ、小娘! ――この、毛むくじゃらの巨獣が、我を『噛み応えのある玩具』だと思っているぞ!)」
ゴンゾウに甘噛みされ、振り回されるノア。
それを見て、キャスカたちは大爆笑している。
「あはは! ノア先生、人気者ですわね!」
「(……笑うな! ――死刑だ! ――帰ったら全員、ササミ抜きの刑に処してやるぅぅぅ!)」
その日の夜。
アルマの実家の囲炉裏を囲んで、夕食が始まった。
並んでいるのは、採れたての山菜や、大きな川魚の塩焼き。
そして、自家製の保存食たちだ。
「(……ふむ。……。……文明レベルは最低だが……。……この、炭火で焼かれた魚の香りは……悪くない)」
ノアは、アルマの母親から「特別よ」と与えられた、一番大きな川魚の頭をバキバキと齧りながら、少しだけ機嫌を直していた。
自動洗浄トイレはないが、ここには王都では味わえない「野生の真理」がある。
だが、問題は寝る前だった。
「……ノア、トイレは外の離れだよ。……寒いから、気をつけてね」
「(………………外?)」
「うん。……あ、夜は『雪女の影』が出るって噂があるから、一人で行かない方がいいかも」
「(……ゆ、雪女だと!? ――馬鹿な。……そんな低級な霊体、我の魔力で一瞬……一瞬……)」
ノアは、真っ暗な窓の外から聞こえる、ヒュゥゥゥという風の音を聞いて、ガタガタと震え出した。
王都の暖かな寮生活で、彼の精神はいつの間にか「温室育ちの猫」へと退化していたのだ。
「(……アルマ。……小娘。……貴様に、名誉ある任務を与えてやる。……我の、トイレの護衛を……全力で行うのだ)」
「(……ただの、連れションでしょ? ……もう、しょうがないなぁ)」
結局、魔導王(自称)は、アルマに抱えられながら、雪の降る暗闇の中を、恐怖に怯えながらトイレへと向かうのであった。
最弱パーティの冬休み。
それは、ノアにとっての「プライド崩壊の帰省」として、波乱の幕を開けた。
第27話では、雪山での「幻の魔導ジビエ」を巡り、キャスカたちが田舎の洗礼を受けることになる。




