第20話:魔導王、はじめての「シャンプー」
学園祭という激闘(主にツナ缶争奪戦)を終えた翌週。
アルマの女子寮の部屋には、かつてないほどの緊張感が漂っていた。
「……おい、小娘。その手に持っている、泡の出る奇妙な液体は何だ。……そして、なぜそんな『処刑人』のような悲痛な顔で我を見つめている」
ベッドの隅で、ノアが野生の勘をフル稼動させて後退りしていた。
アルマの手には、学園指定の「魔導防虫・除菌シャンプー(ローズの香り)」が握られている。
「……ノア。言いたくないけど、今のあなた、すっごく『地下迷宮のネズミ』と『ハタハタの脂』が混ざったような、複雑な匂いがするの。……もう限界。今日こそ、洗うからね」
「(……っ!? ――貴様、我のこの誇り高き『戦士の香り』を、花びらの汁で上書きするつもりか! 恥を知れ!)」
「恥より衛生だよ! ……おいで、ノア!」
「(――断る! 我は水という名の魔を退ける者! 逃げろ、我の右脚よ!)」
ノアは脱兎のごとく部屋を駆け回った。
だが、連日の飽食で丸くなった体は、かつての敏捷性を失っている。
ドタバタ、ドスッ、という鈍い音と共に、ノアはアルマに「確保」された。
舞台は寮の共同バスルーム。
アルマは撥水魔法をかけたエプロンを装着し、浴室のドアを閉めた。
「(……開けろ! ここから出せ! 密室殺人だ! 冤罪だ!)」
ノアは浴室のタイルを必死に引っ掻くが、石鹸の泡で足元が滑り、その場で高速足踏みをするだけになっている。
「……諦めて、ノア。……まずは、ぬるま湯からいくよ」
シャワーがシュワーッと音を立てて起動した。
「(――ヌオオオッ!? 天から降り注ぐ無数の水の矢! 迎撃しろ、アルマ! これは上級魔術『豪雨の審判』だ!)」
「ただのシャワーだってば!」
ザパーッ、と温水がノアの背中を濡らす。
その瞬間、衝撃的な光景が広がった。
あんなにモコモコと膨らんでいた「黒い毛玉」が、水を含んだことで一気に萎み、そこには……。
驚くほど細長い、ヒョロヒョロとした「黒い謎の生物」が現れたのだ。
「……えっ。……ノア、あなた、脱いだらそんなに細かったの?」
「(……黙れ! 我のボリュームの八割は、魔力の奔流……ではなく、ただの毛だ! 見るな! この情けない姿を直視するな!)」
濡れそぼって棒のようになったノアは、怒りと恥ずかしさで震えている。
だが、アルマの手は容赦ない。
「次はシャンプーだよ。……いい匂いになるからね」
アルマがシャンプーを泡立て、ノアの頭から背中にかけて揉み込み始めた。
「(……あ、ああ……。……おのれ、小娘。……我の……我の高貴な頭頂部を、そんな……ヌチャヌチャとした感触で……。……あ、……あ、そこ……耳の後ろ……)」
「……気持ちいい?」
「(……気持ちよくなどない! ……断じてないが、その……左側の指の動き……。……魔力の循環を……促進している……ような……。……ゴロゴロ……ニャア……)」
伝説の魔導王は、あまりの指圧の心地よさに、プライドを泡と共に排水溝へ流し始めた。
「(……もっとだ。……もっと、その……うなじのあたりを……重点的に……錬成しろ……。……ふはぁ、世界が……ピンク色に見える……)」
数分後。
全身が真っ白な泡に包まれ、まるで「歩くソフトクリーム」のようになったノアが、鏡の前で自分の姿を目撃した。
「(………………)」
「どう? ノア。可愛いよ」
「(……小娘。……今すぐ、時空の狭間を開け。……我は、過去に戻って、このシャンプーを提案した貴様の口を封じねばならぬ。……なんだこの、頭の上の『ツノ』のような泡は! 貴様、我を弄んでいるな!?)」
「あはは! 面白いから、ちょっとこのままケットルちゃんに見せに行こうか」
「(――死んでも断る!!)」
ノアは泡を撒き散らしながら、浴室中を暴れ回った。
石鹸で滑る床。
必死に追いかけるアルマ。
ノアがジャンプした瞬間、彼はアルマの頭に着地し、そのまま二人で浴槽へとダイブした。
「(――ニ、ニャヴァアアアッ!?)」
「きゃああああ!」
ドッポーン!!
冷たい水(アルマが火力を設定し忘れた)が二人を直撃した。
一時間後。
部屋に戻った一人と一匹は、魔法の乾燥機(ケットル製・爆風仕様)の前で、ボサボサになりながら座っていた。
「……ふぅ。……お疲れ様、ノア」
アルマがバスタオルでノアを包み込む。
そこからは、これまでの「ツナと泥」の匂いではなく、お上品な「摘みたてローズ」の香りが漂っていた。
「(…………最悪だ。……我の、戦士としての荒々しいオーラが、この乙女チックな香りに駆逐されてしまった……)」
ノアの毛は、乾燥機の爆風で通常の1.5倍に膨らみ、もはや「黒いアフロ」のようになっていた。
「(……見てみろ、アルマ。……我のこの姿を。……もはや王ではない。……ただの、タンポポの綿毛だ)」
「……可愛いよ、ノア。ふわふわで、いい匂い」
アルマがぎゅっとノアを抱きしめると、ノアは「(……重い、放せ。……香りに酔う……)」と毒づきながらも、その温かさに目を細めた。
その時、コンコン、とドアを叩く音がした。
「ベルンさん。……新しい『魔力解析シャンプー』の試供品を持ってきたんだが……。……おや? その、爆発したような毛玉は……?」
眼鏡を光らせたエドワード先輩が、いつの間にか部屋に入ってきていた。
「(――眼鏡ッ! 見るな! 我を見るなあああ!)」
ノアはマントの中に音速で隠れたが、あまりの膨らみっぷりに、マントがパツパツになっていた。
「……ほう。……洗浄による魔力抵抗の減少、および静電気による表面積の増大。……素晴らしい、新種の魔獣のようだ」
「……エドワード先輩、失礼ですよ! ……あ、でもノア、先輩が『ササミ味の歯磨きガム』持ってますよ?」
「(……なに!? ――おのれ、我を物で釣る気か。……だが、口の中のローズ味を中和するためには……致し方なし。……眼鏡! 寄れ!)」
結局、ノアの「潔癖への道」は、ササミ味のガムによって完結した。
伝説の魔導王(自称)の誇りは、泡と香りに包まれ、さらに丸く、さらにふわふわになった姿で、今日も平和に(?)学園を転がっている。
「(……アルマ。……次は、カツオ味の石鹸を作れ。……それが王の命令だ)」
「(……そんなの、余計にお腹空いちゃうでしょ!)」
新章の幕開けは、ローズの香りと共に、どこまでもゆるく幕を開けたのであった。
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