第17話:学園祭当日、巨大ケーキの罠
「……おい、小娘。この甘ったるい空気、そして鼻を突くような香料の臭い……。我の神聖な嗅覚が、未知の『糖分』の脅威を察知しているぞ」
『魔導祭』当日。
学園内は、色とりどりの魔法の光と、模擬店から漂う美味しそうな匂いで満ち溢れていた。
だが、そんな浮かれた空気の中、ノアだけはアルマのマントの中で、かつてないほど真剣な(食べ物の匂いを嗅ぐ)顔で固まっていた。
「学園祭だよ、ノア。……みんな楽しそう。……あ、ノアは絶対に目立たないでね? 実行委員に見つかったら、即、展示物扱いだよ」
「展示物だと? ……フン、我を拝むための祭壇を作るというなら、考えてやらんでもないがな」
ノアはアルマの肩の上で、ふかふかと膨らんだお腹を揺らしながら、尊大に髭を整えた。
昨日の地下迷宮での敗北(煮干しに釣られた件)は、彼の記憶から都合よく消去されているらしい。
「(……それより、アルマ。……重大な局面だ。……エドワードの眼鏡が言っていた、あの『伝説の巨大ケーキ』。……我が魔力感知によれば、あの中に、我のツナ缶が……!)」
「(えっ? ツナ缶がケーキに!? ……ケットルちゃんの工作部が作った、あの『全自動デコレーション・ケーキ』の中に、ネズミたちが隠したっていうの!?)」
「(……間違いない。……我のツナ缶から放たれる、芳醇な『銀色の真理』が、生クリームの香りに紛れて漂っている……。……あやつら、我の至宝を、ケーキの飾り付けの一部にしようというのか!)」
ノアの金色の瞳が、かつてないほど(ツナ缶とケーキへの執着で)ギラギラと光った。
その日の午後。
学園祭のメインイベントである『巨大ケーキ入刀式』が行われる講堂前には、全生徒が集まっていた。
教壇の上には、工作部が総力を挙げて作り上げた、高さ五メートルを超える『全自動デコレーション・ケーキ』が、虹色の魔法の光を放ちながら鎮座している。
「……やあ、ベルンさん。……ケーキの魔力波形、観測完了だ」
エドワード先輩が、眼鏡をクイッと上げ、怪しげな「ケーキ探知レーダー」を手に、茂みからぬるりと現れた。
「(……おのれ、眼鏡! ……貴様か! 我のツナ缶を、ケーキのイチゴとすり替えたのは!)」
ノアがマントの中から飛び出し、エドワードに向かって威嚇(シャーッ!)を繰り出す。
だが、エドワードは動じず、指先で眼鏡を押し上げた。
「……ツナ缶? ……フフ、あんな塩分濃度の高いものに興味はないよ。……私が追っているのは、もっと『本質的』な暴走だ」
エドワードはレーダーの画面をアルマに見せた。
そこには、ケーキの内部から放たれる、脈動するような黒い魔力の波形が映し出されていた。
「……ケットルの作った自動デコレーション魔法が、地下から盗まれた『魔導ネズミ』たちの魔力と共鳴を始めている。……このままでは、ケーキ入刀の瞬間に、ケーキ全体が巨大な『爆発物』と化し、学園祭どころか、講堂全体が生クリームとスポンジの海に沈む可能性がある」
「(……爆発だと!? ……フン、そんな古臭い術式、我の爪にかかれば一瞬で――)」
「(ノア! それどころじゃないよ! ……ケットルちゃんが、ケーキ入刀の合図をしてる!)」
「……では、皆様! 初代学長ゆかりの聖剣……ならぬ、巨大ナイフによる、ケーキ入刀です!」
ケットルが巨大なナイフを掲げ、ケーキに向かって振り下ろそうとした、その時。
ピィィィィッ!!
ケーキの内部から、昨日聞いたのと同じ「笛」の音が響き渡った。
「(――きたぞ! 卑劣な泥棒ネズミどもめ! 我のツナ缶を、その不潔な前歯で弄んでいる報いを受けさせてくれる!)」
ノアがマントから飛び出し、教壇に向かって猛然とダッシュした。
「あ、コラ! 野良猫! ケーキに近づくなー!」
ケットルの叫びも虚しく、ノアはケーキの最上段へとジャンプした。
「(――食らえ! 次元断層!)」
ただの猫パンチである。
だが、ノアがケーキのイチゴ(実はツナ缶)を捕まえようとする姿は、講堂全体において、これ以上ないほど目立っていた。
ヒラリ、とイチゴ(ツナ缶)は器用にノアの爪をかわした。
そして、挑発するようにノアの鼻先をペシッと叩き、ケーキの裏へと消えていく。
「(……ニ、ニャッ!? 逃げるか、この薄っぺらな逆賊め!)」
ノアは着地と同時に、ケーキの上を猛スピードで駆け抜けた。
ドタバタ、ガシャーン! という音が、静まり返った講堂に響き渡る。
「……何事かしら?」
教壇の裏から、アガサ先生の冷ややかな声が聞こえた。
彼女の眼鏡が、怪しく光る。
「(――ひっ!? ノア、戻ってきて!)」
アルマは青ざめ、机の下に潜り込むようにしてノアを呼び戻そうとした。
だが、ノアは既に、ケーキの最下段――「爆発の核心」までイチゴ(ツナ缶)を追い詰めていた。
「(……追い詰めたぞ。……さあ、そのペラペラな身を晒して、我に跪け……)」
ノアが最後の一跳びをしようとした、その瞬間。
イチゴ(ツナ缶)がピタリと止まり、巨大な、重厚な革張りの魔導書(実はケーキの土台)の中に吸い込まれた。
「(勝負ありだ!)」
ノアもそのまま、その本(ケーキの土台)の中に突っ込んだ。
バタン!!
「……え?」
アルマが駆け寄った時には、そこには一冊の大きな本(ケーキの土台)が床に落ちているだけだった。
そして、その表紙には……。
『美食の魔導:究極の猫缶の作り方』
という、妙に生活感のあるタイトルが刻まれていた。
「……ノ、ノア?」
アルマがおそるおそる本(ケーキの土台)を開くと。
そこには、ページの挿絵(魚の絵)の間に挟まって「ペラペラ」の状態になったノアが、恨めしそうな顔で固まっていた。
「(……解せぬ。……この本、内部空間が、粘着質の魔力で満たされて……)」
「何をしているの、アルマ・ベルンさん」
背後に、アガサ先生が立っていた。
彼女の手には、巨大な「沈黙の杖」が握られている。
「ひえっ! あ、あの、これは……その、押し花……ならぬ、押し猫を作ろうとして……」
「……学園祭での騒音、および備品の巨大ケーキへの暴行。……罰として、今日から一週間、この図書室の全ての蔵書の埃を、魔法を使わずに、手作業ではたき落としてもらいます」
「……そんなぁ!」
「(……おい、小娘。……それより、この本の三ページ目を見ろ。……このサバの味噌煮の製法……。……魔力の配合が、天才的だぞ……)」
「(今はそれどころじゃないでしょ!)」
結局、ノアは半日ほど「本の一部」として過ごす羽目になり、アルマは連日の反省文に加え、重労働を課されることになった。
伝説の魔導王(自称)の威厳は、巨大ケーキの「物理的な甘さ」に完敗したのである。
アルマの溜息は、積み上がった古書の山に、虚しく消えていった。




