第12話:眼鏡の追跡者と、禁断の「魔力飴」
「……おい、小娘。背後から、ひどく湿り気を帯びた嫌な魔力が這い寄ってきているぞ。……例えるなら、三日放置した雑巾に、魔力のカビが生えたような味だ」
放課後の渡り廊下。
アルマの肩の上で、ノアが不機嫌そうに耳を伏せた。
彼はここ数日、学園内の「特定の気配」に過敏になっていた。
「……また? 最近、視線を感じるなとは思ってたけど……」
アルマがさりげなく振り返ると、そこには噴水の陰に隠れるようにして、あの眼鏡の上級生が立っていた。
手帳にペンを走らせ、じっとアルマ――正確には、彼女の肩に乗る「黒い塊」を観察している。
「(……あ、あの人! 演習の時にいた……)」
「(フン、ストーカーか。あるいは我の美しさに魅了された信奉者か。……どちらにせよ、無礼極まりないな。……アルマ、あやつを『迷宮』に誘い込め。……教育してやる)」
「(迷宮って、ただの図書室の裏庭でしょ!? 行かないよ!)」
アルマは早足で立ち去ろうとしたが、眼鏡の男は音もなく距離を詰めてきた。
「……お待ちなさい、ベルンさん。……いえ、そこの『特級検体』と言うべきかな?」
男が声をかけた。
近くで見ると、その眼鏡の奥の瞳は、好奇心という名の狂気に濁っている。
「……え、エドワード先輩。……何か、御用ですか?」
「君のことはいい。……興味があるのは、その肩に乗っている……『それ』だ。……先日の演習で見せた、あの構造解析能力。……そして、今もなお私の魔力走査を無意識に弾いている、その不可視の領域……」
エドワードは、懐から一粒の「真っ赤な飴」を取り出した。
「(……っ!? 小娘、見ろ。……あれは……)」
ノアがゴクリと喉を鳴らした。
「(……ただの飴じゃない。……魔力の凝縮体が、極限まで精製されている。……あれ一粒で、我の魔力タンクが半分は回復するぞ……!)」
「これは、私が研究室で開発した『魔導増幅糖』だ。……もし、君の使い魔が、私の簡単な『テスト』に協力してくれるなら、これを差し上げよう」
「(……乗った! アルマ、今すぐ承諾しろ! 我は今、猛烈に腹が減っているのだ!)」
「(ノア、ダメだって! 怪しすぎるよ!)」
アルマの制止も聞かず、ノアはアルマの肩から地面に飛び降りた。
そして、これ以上ないほど「可愛い猫」を装い、首を傾げて「ニャ〜ン」と甘い声を出した。
「(……フン、チョロいものだ。……さあ、その甘露をこちらへ寄越せ、眼鏡の凡夫め)」
「……素晴らしい。知性があるだけでなく、演技力まで。……では、テストだ。……この魔方陣の中に入り、三秒以内に『解除』してみせたまえ」
エドワードが指を鳴らすと、地面に複雑な、幾何学模様の光が浮かび上がった。
それは、対象を物理的に固定しつつ、精神を揺さぶる『拘束と攪乱の混合魔法』だった。
「(……ふん。こんな子供騙しの術式……。……瞬きをする間に、内部から喰い破ってくれるわ!)」
ノアが意気揚々と魔方陣に足を踏み入れた、その瞬間。
ピカァァァッ!
「(……ヌオオオッ!?)」
魔方陣から、強烈な「またたびの香り」が噴出した。
それは、ノアがかつて経験したことのないほど、濃厚で、破壊的な香気だった。
「(……こ、これは……。……魔力の……暴力……。……思考が……溶ける……。……あ、ああ……柱が……柱が、美味しそうに見える……)」
ノアの瞳孔が限界まで開き、足元がフラフラと千鳥足になった。
伝説の魔導王(自称)は、地面に転がり、必死に自分の尻尾を追いかけて回転し始めた。
「……ほう。……やはり、精神構造はネコ科のそれに強く依存しているようだな。……非常に興味深い」
エドワードは冷徹に、その無様な姿を手帳に記録し始めた。
「ノ、ノア! しっかりして! 猫になっちゃダメだよ!」
アルマが駆け寄り、ノアを魔方陣から引き剥がした。
ノアはアルマの腕の中で、「(……おのれ……。……卑劣な……。……またたび……聖なる……またたび…………ぐう)」と、幸せそうな顔で寝落ちしてしまった。
「……ベルンさん。今日のデータは、非常に有意義だった。……これは約束の報酬だ」
エドワードは飴をアルマの手に握らせると、満足げに去っていった。
「……また、後日。……次は『動く紐』への反応を調べさせてもらうよ」
「……絶対、来ないでください!」
アルマは、腕の中でヨダレを垂らして眠る「魔導の王」を見つめ、深いため息をついた。
「……ねえ、ノア。……あなた、本当はただの猫なんじゃないの?」
「(……むにゃ……。……ササミ……。……またたびの……海で、泳いでる……)」
夕暮れの学園。
最強の使い魔(候補)の秘密は、眼鏡の先輩によって「またたびに弱い」という致命的な弱点として記録されてしまった。
アルマの苦労は、また一段とレベルアップしそうであった。




