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熊の来し方

 イザベルが砦にやってきてから一ヶ月が過ぎた。

 冬はますます厳しさを増したが、負傷にもディミトリの恫喝にも負けず、彼女は相変わらずちょこまかと動き回っていた。


 デュノールの居館は、貯蔵庫も井戸もひと繋がりの屋根の下にある。北国の屋敷特有の構造のおかげで普段の家事は屋内のみで事足りたが、一歩外へ出ると、すでに大人の膝の高さくらいまで雪が降り積もっていた。玄関扉が高い位置にあるとはいえ、放っておけばすぐに雪に埋もれてしまう。毎日の雪掻きは、城塞内の住人総出の大仕事だった。

 城門から家々の周囲、居館へ至る通路を、男たちが大汗を掻きながら除雪する。足腰が鍛えられるはずだ、とイザベルは彼らの頑健さの理由を知った。


 イザベルの担当は、居館の勝手口周辺である。(ひさし)と城壁の狭間なのでそれほど積雪は多くないが、日当たりが悪いためすぐに凍結してしまう。雪篦(ゆきべら)や鋤を片手に、彼女は固い雪と格闘していた。

 肉体的な疲労はむしろありがたい。自分は何のためにここに連れて来られたのか、これからどうなってしまうのか――体を動かしている間は、頭の中で不安を育てずにすんだ。ディミトリの本意はいまだに明かされぬままだ。


「よう、精が出るね」


 陽気な声で呼びかけられた時、イザベルはあらかた仕事を終えて、山盛りの雪を積んだ手押し車を押しているところだった。

 城壁沿いに歩いて来たのは二人の男。意外な取り合わせにイザベルは少々驚いた。

 もう初老と言っていい年齢のパスカル――荷馬車の御者を勤めていた男と、最年少組のエンゾである、どちらも丈の短い外套を着て、弓と矢筒を背負っている。狩りから帰ってきたところらしい。


「おかえりなさい」

「これだけ積もると遠出が難しくなってきたよ。いよいよ冬籠もりの季節だなあ」


 パスカルがだるそうに肩を叩いた。腰にぶら下げた獲物を外すと、数羽のウサギがひと纏めに縛られていた。


(半分は今夜のシチューに、半分は塩漬けにして……)


 さっそく献立の算段を始めるイザベルの前で、パスカルは獲物を相棒に渡した。エンゾの方もウサギと水鳥を吊り下げていた。


「エンゾよ、悪ぃけど厨房に持ってってくれ。俺ぁ腰が痛ぇわ」

「狡ぃぞ爺さん。俺だってイザベルちゃんとお喋りしたい」


 エンゾは厚かましくイザベルの隣に体を滑り込ませた。身長はトリスと同じくらいだが肩幅や胸板ががっしりしている。以前はその圧を苦手に思っていたイザベルだが、さすがにもう慣れた。


「俺もパスカル爺さんも豪雪地帯の出身でさ、冬場の狩りは慣れてんだ。今度一緒に行ってみない? 弓の引き方を教えてあげるよ」


 聞かれもしないのにペラペラ喋って、ついでに口説こうとする手口もいつものことだった。


「トリスの野郎よりはだいぶ上手く教えられると思うぜ、俺」

「やあよ。エンゾ、あたしに怪我でもさせたら、あなたも旦那様にぶっ飛ばされるわよ」

「そんなヘマしねえよ。ね、お頭があんたとオルガさんを両側に寝かせて楽しんでるって噂、ほんとなの?」

「は?」


 顔を引き攣らせるイザベルより先に、パスカルがエンゾの頭をはたいた。


「てめえ、若い娘さんに何てこと言いやがる! さっさと厨房に持ってけ!」

「へいへい」


 エンゾは悪びれもせず、ぺろりと舌を出してウサギと水鳥を抱えた。小さくイザベルに手を振って勝手口から屋内に消えていく。

 パスカルはやれやれと腰を叩いた。


「まったく……最近の若いもんはご婦人に対する敬意が足りん。イザベルさん、気にしちゃいかんよ」

「はい、もう慣れました」

「そりゃ頼もしい。仕事にも慣れたかね?」


 パスカルは入口の段の所に腰を下ろした。

 もっさりした眉毛と口髭を蓄えた四角い顔は、屈託のない笑みを浮かべている。ディミトリの手下の中では温厚で気さくで、イザベルはこの男に好感を持っていた。


「どうでしょうか。あまり役に立ててるとは思わないけど……」

「ずっとここの女中をするのかい?」

「よく……分からないんです。旦那様がどうお考えなのか」

「俺ぁてっきり、お頭のご側室になるのかと思ってたぜ。あんた別嬪さんだし、体も丈夫そうだし。オルガ姐さんがいつまで経っても孕まねえからよ。やっぱりあの怪我のせいなのかねえ」


 エンゾの軽口を叱りつけたわりに、そこそこ不躾な物言いをする。悪気がなさそうなのが、なおさらイザベルの胸をざわめかせた。


(オルガさんの怪我って、あの火傷のことよね……)


 古株で、しかも口の軽そうなパスカルなら事情を喋ってくれそうだった。だが、オルガの極めて繊細な領域について他人から聞き出すなんて、あまりに非礼に思える。

 迷っていると、パスカルは手袋を外して手拭いで首筋を拭った。イザベルは、彼の右手の中指と薬指が欠損しているのを見て取った。人が好さそうなこの男もまた、平穏とは程遠い半生を送ってきたのだ。


「じゃああんた、自分がここに囲われる理由に心当たりはねえんだ?」

「え、ええ、さっぱり」

「まあアレだ、お頭はたまに行き場のない奴らを拾って来たりするからよ。趣味みたいなもんなのかもしれねえ。ここの使用人なんかみんなそうだ」


 やっぱり自分もそうだったからかねえ、と呟いたのを、イザベルは聞き逃さなかった。


「どういう意味ですか?」

「ああ、お頭のことだよ。あの人も拾われたんだ。先代のディミトリ・デュノールに」


 今度こそイザベルは驚いた。

 これまでディミトリの素性を聞いたことはなかったが、北の荒くれ者たちを捻じ伏せて自らの王国を築いたのだと、何となくそう思い込んでいた。先代がいたとは意外すぎる事実だ。


(あの男のことなら訊いたって構わないだろう。何も教えてくれないのが悪いんだから)


 イザベルはそう割り切って、パスカルの隣に座った。


「へえ、知りませんでした。ずっと昔からここを仕切ってる人なんだとばかり」

「いやいや、国中の密売人どもを纏め上げて蛮族との交易路を開いたのは先代だよ。今のお頭は余所から来た流れもんだ。そうさなあ、二十年くらい前だったか、山ん中で行き倒れてたのを助けられたんだ」


 流れ者――イザベルは唇に手を当てて考え込む。ディミトリの訛りのないアルボレダ語は、やはりこの土地の人間のものではなかった。いったいどこからやって来たのか。


「えらく(すさ)んだ目をした若造でなあ……自分の生き死にになんざ興味がないといった風情だったな。先代はどういうわけか奴を気に入って、傍で使うようになったんだ。腕っぷしはそこそこだったがとにかく頭が切れたから、あっという間にのし上がってきやがった。いや、あれは凄まじかったぜ」


 パスカルは外套の胸ポケットから小さい油紙の包みを取り出した。中身は乾燥した香草で、口に放り込んでクチャクチャやり始める。イザベルも勧められたが、首を振り、話の続きを促した。

 

「それから三、四年経って、先代が急におっ()んだ。山を越える最中に、その辺の盗賊に襲われてな。護衛を引き連れてたのに、運悪くここに矢が刺さったんだ。呆気ないもんだ」


 パスカルは自分の左胸に触れた。口調は軽やかだが表情は神妙だった。


「今のお頭はその盗賊どもを追撃して、全員討ち取った。(ねぐら)にいた奴らも皆殺しさ。こないだと同じにな。でもってその後の内輪揉めにも勝ち残って、首領の座と名前を引き継いだってわけだ」


(本名じゃなかったのね……『ディミトリ』なんて異国風の名前だし、『デュ・ノール(北の方)』も妙な姓だと思ったわ)


 イザベルは納得して、それから興味を引かれた。


「旦那様の本当のお名前は何というんですか?」

「うん? そういや知らねえなあ……あの頃はみんな『ウルソン(小熊ちゃん)』なんて呼んでたわ。本人は気に入らねえみたいだったがな」


 パスカルはそう答えてイザベルを微笑ませ、


「跡目争いで殺された奴や追い払われた奴が大勢いる。皆が皆、納得して下についたわけじゃねえ。けど結局、お頭は立派に先代の仕事を引き継いで、北の国境を仕切ってる。俺ぁ大したもんだと思うよ。せっかく買ってきた娘っこに床磨きばかりさせてたって、文句言う奴ぁいねえよ」


 信頼と、少しばかりの皮肉が籠もった言葉だった。素行が良いとは言い難い男ばかりに囲まれて、今日までイザベルが無事に過ごせているのは、ひとえにディミトリの統率力が揺るがないからだ。その点は彼女も感謝している。

 に、してもだ。


(自分が助けられたことがあるからって、偶然出会った縁もゆかりもない小娘を救うかしら。あの人……ほんとに何者なの?)


 ディミトリの過去の片鱗が見えても、イザベルの疑問は深まるばかりだった。


「いけねえ、長話してたらすっかり冷えちまった」


 パスカルは立ち上がって、股間の辺りをもぞもぞさせた。


「じゃな、お嬢ちゃん、美味いシチューを作ってくれよ」

「あ、はい、パスカルさんも腰をお大事に」


 話し好きな中年男は、気さくな笑みを浮かべて(かわや)へ急いだ。

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― 新着の感想 ―
章のおわりの感想を書こうと思ったら、早くも次がはじまり嬉しい悲鳴です(^ ^)   前のほうの感想でも触れた気がしますが、ディミトリ、やっぱり結構若いですね!? これももっと年長かと思ってたパスカル…
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