山向こうからのお客様
トリスを拾ったのは、南方の外国から来た傭兵団だったという。トリスはその国の名を言ったが、イザベルの知識にはなかった。
彼はそこで養われるかわりに、戦い方を叩き込まれた。
「辛気くせぇ修道院でお祈りするよりは性に合ってた。国内の領地争いに雇われたり、蛮族との攻防に加わったり……景気はよかったよ。正式に王軍に参集されたこともあるんだぜ。俺の武器、あの二本の剣な、そこの団長から貰ったんだ。かっこいいだろ」
トリスはおどけて下手くそなウィンクを投げた。
もちろん笑い返せなくて、イザベルは俯いた。彼女にはあまりにも別世界の出来事すぎて、実感が湧いてこない。ただ、これまで彼が見せてきた言動が腑に落ちた気がした。
売春宿の客が聖職者だと分かった時に見せた、あの軽蔑と加虐性。凍え死んだ方がマシだと短慮を起こしたイザベルへの怒り。そして、殺人への躊躇のなさ。
そんな身の上であって、こんなに朗らかでいられる訳だけが分からなかった。
「ふう……こんなもんかな」
除けて盛り上げた雪塊に篦を差して、トリスは息を吐いた。家の周囲の通路は何とか確保できたようだ。とはいえ、また雪が降れば最初からやり直し――冬中続く、終わりのない作業である。
イザベルから受け取った外套を羽織り、
「グズグズしてるとまたどやされるから、戻るか」
と、彼女を促した。イザベルとしては傭兵団からディミトリの一味に加わった経緯を聞きたかったが、話はそこまでになった。
雪道に慣れていない彼女のために、トリスが手を差し出す。革の手袋越しに、その掌の温かさが伝わってきた。
村の中を遠回りに歩いて、あれが子だくさんのフィリップさん家、こっちは歌の上手なトマさん家、などと帰り道がてら案内された。
世帯に分かれてはいても、基本的に城塞の中は共同体らしかった。外との往来が断絶する冬の間、資材や食糧は共有し、大工仕事や鍛冶などは得意な者が担当するという。
凶悪で野卑なケダモノの群れだと思っていた住人たちにも、様々な背景があるのかもしれない――イザベルは今さらながら思い至った。もちろんそれが彼らの生業を許容できる理由にはならないけれど。
(流れ者や逃亡者が多いと聞いたけど、どんな事情でここに辿り着いたんだろう。女の人たちは自分の意志で彼らと一緒になったのかしら)
確かにここは彼女の生きてきた世界とは違う。そして想像していたよりもずっと複雑だ。
(いいえ……あたしのいた場所も、たぶん本当は複雑だった。あたしが何も知らなかっただけ)
トリスは、いつもと変わらぬ楽しげな様子で仲間たちの為人を話して聞かせる。イザベルは肯きつつ、いきなり深度を増した環境に呆然としていた。
居館の裏口まで戻ってきて、イザベルはようやく口を開いた。
「さっき、自分は汚点扱いされてたって言ったでしょ」
いきなり切り出されて面食らうトリスに、
「あ、あたしもね……」
そう言いかけた時、屋敷周りの雪掻きを終えた下男たちがどやどやと戻ってきた。
ついでにオルガも待ち構えていて、
「今日はお葬式で忙しくなりそうだから、イザベルは大人しくしててね。トリスは準備を手伝って」
と、屋敷の中に押し込まれてしまい、話は何とも中途半端な形で打ち切りとなった。
ガストン老人の葬儀は、その日の夕刻に執り行われた。
カエデの木で作られた棺は、城塞の外側にある石室に収められた。春までここに安置し、地面を覆う雪と氷が解けたら正式に埋葬するらしい。
獣に荒らされないよう厳重に閉じられた分厚い石の扉の前で、トリスは再び葬送の祈りを捧げた。
参列者の末席でその後ろ姿を眺めて、イザベルは以前に彼に投げた問いを思い出していた。人を殺したのになぜ祈らないのか、と。
祈らないんじゃない――自分が殺した者に向ける祈りの言葉を知らないのだ。
(あんなこと言って、悪かったな)
降り始めた雪の中、寒さに身を竦ませながら、素直に反省した。
翌日から、イザベルはディミトリの居館で働き始めた。
とりあえず屋敷の仕事をひと通りやってみなさい、とオルガに指示されて張り切ったのだが――。
結果的に言うと、ほとんど労力にならなかった。
家事はできると豪語したものの、熊の巣穴の仕事量は実家のそれとは段違いだった。ディミトリの手下の他に下働きの下男が何人もいて、それぞれ仕事を分担している。二十人以上の男所帯だ。三食を賄うだけで一日仕事なのに、汚れ物を洗い、広い屋敷を掃除し、馬の世話をし……やることは無限にあった。
芋を剥いたり水汲みをしたり外周りの雪掻きをしたり、イザベルは懸命に働いたが、大した役には立てなかった。お嬢ちゃんは座って見てればいいよと苦笑いされる始末だった。
忙しく立ち働く下男たちの言葉にはひどい訛りがあって、イザベルの耳ではほとんど聞き取れず、細かい指示はオルガが通訳をした。この辺りの方言だろうとイザベルは思っていたのだが、そうではないことが数日後に知れた。
「こんな重いの無理だろ。手伝うよ」
「俺も俺も!」
揃ってお節介を焼いてくるトリスとエンゾを、イザベルは意地になって追い払った。彼らには彼らの役目があるし、何よりも自分で言い出しておいて手助けされるなんて格好がつかない。
特にトリスには、役立たずの小娘だと思われたくはなかった。
あたしもね――あの時、あの続きを言っていれば、彼は何と答えただろう。
家族に恵まれ裕福に育った娘が、たったひとつの不幸をこの世の終わりのごとく嘆いていると嗤われただろうか。
(やっぱり言わなくてよかったかも)
エンゾと馬鹿笑いしたり、年長者から叱責されたりしているトリスの姿を見かける度、イザベルはそんなふうに思うのだった。
城塞の居館では、厩も井戸もひと続きの屋根の下にある。
ある日、調理場の近くの井戸で水を汲み、掃除のためにえっちらおっちら手桶を運んでいたイザベルは、玄関ホールで奇妙な風体の集団が入ってくるのに出食わした。
五、六人の男たちである。揃って背が高く、毛皮の外套を脱いで雪を払っていた。色鮮やかな刺繍の衣服はもちろん、尖った帽子も裾の広いズボンもイザベルの初めて見る意匠だった。そして革の腰帯には短い剣が。
ぽかんと立ち尽くすイザベルに気づいて、彼らはニッと笑った。雪焼けした髭面から白い歯が覗く。続いて何やら話しかけてきたが、イザベルにはまったく理解できない言葉だった。
対応したのはオルガである。イザベルの背後からやって来た彼女はやはり不思議な言葉で受け答えをし、男たちを中に招き入れた。
「今年最後の商談よ。もう山が閉ざされるからね」
彼女はイザベルにそう言って、彼らを館の奥へと案内して行った。
イザベルは訳が分からなかったが、好奇心に擽られて手桶を放置し、一行の後を追った。
彼らが入ったのは客間のひとつだ。そうっと扉を開けて隙間から覗くと、中にはディミトリと彼の腹心数名がいた。ずいぶん馴染んだ様子で訪問者たちを迎え、暖炉を囲むように椅子に座った。
会話はさっきの聞き慣れない言語で、ディミトリは不自由なく言葉を交わしている。時折オルガが口を挟むのは、商談とやらに絡む子細な事項を通訳しているのだろう。
そう、通訳――オルガは単なるディミトリの愛人ではなく、通事の役目を担った女なのだ。
いったい誰との?
(蛮族……)
イザベルは扉の外側で息を飲んだ。
『黒の山脈』より北方に住み、金鉱を狙って度々アルボレダに攻め入ってきた長年の敵。彼らとの交易をディミトリが取り仕切っているとは聞いていたが、まさかこんなふうに直接会談をする関係だとは。
そして――。
(オルガさんは蛮族の女性なんだわ)
彼女の話す言葉の不思議な抑揚、雪よりも白い肌は、アルボレダ人のものではなかった。彼女のみならず、カタコトのアルボレダ語を話す館の下男たちもたぶん出自は同じなのだろう。
イザベルは混乱したが、部屋の奥のディミトリと目が合って、我に返った。
音が響くのも構わずに扉を閉め、彼女は足早にその場を立ち去った。




