表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

16/17

裂かれた翼、血の誓い

ストーム・フェイの到来が決定的な“隙”を生み、フロスト・フェイは負傷者の退避を開始できた。アストラとキュラは、その撤収線を守る小さく沈痛な護衛隊の一員となり、癒し手たちと負傷者の列を押し立てて城塞背面の通路へと道をこじ開ける。やがてフロスト/ストームの見張りが立つ関門を抜け、覆いの掛かった臨時の救護所に辿り着く。そこでキュラが、見慣れた顔を見つけて悲鳴を上げた。


「カエル!」


彼女はアストラを引き連れて駆け寄る。王子を診る祈祷師は、取り乱すキサニの二人に一瞥だけくれると、すぐ施術に戻った。カエルの右肩はひどく打撲し、明らかに不自然な角度――アッシュボーンの棍棒をまともに受けたのだろう。左の眉には浅い切り傷。祈祷師が骨を正すや、カエルは鋭い悲鳴を上げる。キュラがそっと手を重ねると、彼は瞼を上げて二人を見た。


「きみたち……無事、か……」


言葉を失いかけた二人は、ただ小さく頷く。外では大地を震わす咆哮の合奏――城壁が震え、皆が思わず身を支え合った。救護所の対面にあたる外壁には、炎を吐くようにきしむ綱と、それに掛かった千の鉤。防壁が大きく崩れ、アッシュボーン本隊の、実に畏怖すべき物量が姿を現す。だがその軍勢は、まさに混乱の只中にあった。到着したパイロ・フェイが、野営中の魔物を烈しく襲撃していたのだ。伝説の火炎獣に匹敵する猛威で悪魔を蹴散らし、イグニス王自らが敵中深くまで燃え立ちながら突入し、振り抜いた大鎌の一閃で五体を薙ぎ倒す。


「……ファ、ファリン……」


咳き込みながらカエルが口を開く。アストラとキュラが向き直る。


「イグニス王に……彼のことを……伝えない、と……」


祈祷師が折れた肩を包帯で固める間、カエルは歯を食いしばって続けた。身を起こそうとするも、祈祷師に制されて再び寝かされ、悔しげな呻きが漏れる。


キュラは彼の手を強く握った。「任せて、カエル」――彼女はアストラへ視線を送る。アストラも力強く頷く。カエルは黙って目を閉じ、二人の友が天幕を飛び出し、再び戦火の只中へ戻っていくのを見送った。


二人は崩落する城塞の縁を抜け、パイロ・フェイとアッシュボーンの交戦を縫いながら、燃えさかる巨躯――イグニス王のもとへ一直線に走る。


「イグニス王! イグニス王!」近づきながら叫ぶ。王は大鎌を既に振り上げており、振り返りざま、ほとんど二人ごと断ち割りかけた――が、刹那、刃を高く逸らし、背後から迫っていた悪魔を二体、二人の頭上すれすれで刎ね飛ばす。巨器を肩に担ぎ直し、燃える翼の内炎をいっそう苛立たしげに揺らして、鋭い眼光を向けた。


「何の用だ!」


「アッシュボーンの頭領です! “ファリン”――死んだ翼のパイロ・フェイ!」キュラが叫ぶ。死んだ翼……? とアストラは一瞬戸惑う。だが脳裏に、あの骸骨めいた薄膜の翼がよみがえる。――確かに、飛べる代物ではなかった。イグニスの双眸が炎を増す。


「ファリンだと? ファリンと申したか!」怒号。白くなるほど大鎌の柄を握り締め、首を振って吠える。「確かか!」


恐るべき王を前にしても、キサニの二人は身を竦める衝動を堪える。


「は、はい……名乗りました……ファリン、と……陛下……」アストラはどもりながらも告げた。イグニス王は短いフェイ語を吐き、視線を外す。すぐに二人へ戻し、


「どこにいる」低く迫る。


「わ、分かりません……」キュラが逡巡して答える。イグニスはもう一度唸り、


「――よかろう」囁くや否や、背後から忍び寄っていた二体を、凶暴な弧で一挙に叩き斬った。



山上に設けられたファリンの指揮天幕――モルガナは、道すがらのアッシュボーンを死屍累々と横たえて帷を荒々しくはね上げ、その中へ踏み込んだ。ファリンは地図台からふと顔を上げ、怒りに燃える瞳を見て薄く笑む。


「モルガナ。――席に着くかい?」穏やかな口調。返答の代わりに、モルガナは傍らの松明を叩き倒し、幕布に火を走らせた。ファリンは骸翼を震わせ、地図へ視線を戻す。「……お断り、ということだな」


「ファリン! 茶番は終わりよ。攻勢を中止して。あとどれだけのフェイを殺すつもり?」燃える橙の瞳で睨みつける。


ファリンは地図の上で距離を測る手をわざとらしく止め、苛立たしげに嘆息した。「まったく、お前の父親そっくりだ」悔恨めいた声音。「お前には期待していたのだがね、お嬢さん」


「やめなさい!」モルガナはランプをもう一つ蹴り倒す。入口側の幕が一気に燃え上がる。


ファリンはくるりと向き直り、定規を叩きつけた。「何様のつもりだ! 誰に命令している!」怒号が返る。「フロスト・フェイを庇うとは何事だ。やつらは昔、我らパイロ・フェイを嘲ったろう! 本来ならお前も私と同じく、報復で返すべきだ! 思い知らせてやれ、その増上慢を!」


「……愚かな侮辱のために、皆殺し?」モルガナが吠える。「復讐だけのために、全フェイ文明へ戦を仕掛けると? 自分が何をしているか分かっている? フロストだけじゃない。ストームにも、ジオにも、アクアにも――挙げ句は自分の同胞パイロにまで、刃を向けたのよ!」


「同胞?」ファリンは嗤う。口元が醜悪に吊り上がる。「私の同胞は――あいつらだよ」四方の炎を両腕で抱き取り、「破壊に喜び、私の命に這いつくばうこのけものどもだ! “強者”を気取る傲慢で、汚らわしく、独善的な連中――お前たちではない!」哄笑。「私は全フェイとの戦を望む! すべて滅ぶがいい!」



ジャレクはアッシュボーン陣の内苑に身を潜め、上位の悪魔が下位を統制する区画をやり過ごしながら進む。ここまで追って来たはずのモルガナを、いつしか見失っていた。――またしくじった、と百度目の悪態を心中で吐く。と、その先で怒号が交錯し、数張の天幕の向こうから炎が立ち上る。彼は火元へ駆ける。背後で警備の悪魔が足音を重ねるのに気づく余裕はなかった。


「皆殺しだ! “高貴”を気取るフェイどもは、身内すら辱める! 忠誠は自分だけ!」――炎が骨組みを舐め尽くす中、ファリンの声はもはや半ば錯乱していた。


「何を言ってるの? 家を辱めたのは、あなたよ」モルガナが返す。


嘲笑が止む。ファリンは燭台を投げつけるが、モルガナは刃で弾く。「答える資格などない! 王座に就くべきはこの私だ! イグニスではない! 私は長子だ! すべての試練を果たし、障害を排した!」


「狂ってる!」モルガナが叫ぶ。「あなたは冷酷な、自己しか見ない独裁者よ! 昔は優しかったのに! 王冠に取り憑かれさえしなければ、あなたは良い王になれた! 反乱を恐れるあまり、人々を家から追い立て、逆らえば圧した! 理なき猜疑をフロストへ向け、戦を開いた! 王を寝所で刺し――都市を恐怖に沈めた! 父が諫めようとすれば、父――あなたの“弟”まで殺そうとした! 私は幼かった、操ろうとしたわね、父に背を向けさせようと! そしてなお追放に背いた! 父はあなたの翼を剝いだ――フェイであることをやめさせるために! そうよ、ファリン。あなたの“同胞”はパイロじゃない! あなたはこの獣と同じ堕落者! アッシュボーンに成り下がっただけ!」


炎は二人の怒りに呼応し、さらに高く空へ噴き上がる。


ファリンは黙り、橙の眼に邪悪な光を潜ませる。「……お前も、同じことをするのか?」掠れ声。「早口で裁くな、若い姪よ」次の瞬間、彼は地図台を蹴り倒し、炭化した板をモルガナへ投げ付けた。モルガナは弾き返す――が、視界からファリンが消えていた。


『……同じだ……』


耳朶をかすめる囁き。



下腹の脇に新しい刺突の痛み――最後の衛兵を槍で貫き、ジャレクは柱にもたれた。周囲に走る電の棘で気配を読む。焼け落ちた天幕の残骸。その中心に、モルガナが立っていた。明らかに心を乱し、背後から迫る殺意に気づいていない。叫ぶ暇すら、ほとんどない。


「モルガナ!」


許嫁の声の慄きに、モルガナははっと振り向こうとする。――痛みが爆ぜ、世界が白む。ファリンが背に取りついていた。全身の力で逆に身をひねり、両手を彼女の翼根に食い込ませ――


蹴り倒す。同時に、四枚の柔い付属肢が、関節の外れる嫌な音とともに、血管を引き裂かれて毟り取られる。歪んだ悲鳴。モルガナは地に崩れ、勝ち誇る叔父は、なお震える翼を掌にぶら下げる。骸翼が痙攣し、背中の残された創口からは鮮血がどくどくと溢れ続けた。


折り畳まれた翼を投げ捨て、ファリンは茫然とするジャレクを見た。ジャレクは倒れた姫から目が離せず、肺は凍り付いたように動かない。


「も、モルガナ……」


ファリンは遠い、ねじれた表情のまま、モルガナの体を跨いでジャレクへ歩む。「……同じだ」もう一度。血塗れの掌で頬を拭い、赤い筋を残す。ジャレクは無意識に後ずさる。視線が彼女とファリンを行き来する。やがて驚愕は純粋な激怒に呑み込まれ、瞳孔が絞られ、呼吸が荒くなる。槍を両手で構え、電光を迸らせて咆哮――突進。


だがその狂奔の一撃は、かつてのパイロには届かない。ファリンは身を伏せ、火の粉と瓦礫を蹴り上げて、ジャレクの顔面へ叩き付ける。熱に顔を背けた刹那、伸ばされた足に躓き、ジャレクは仰け反って倒れ込んだ。手を離れた槍が地に転がり、霧のように消える。ファリンは自らの武器――火焔のサーベルを呼び出し、倒れた嵐の王子の上に立つ。刃を引き、必殺の突きを――。ジャレクは呻き、目を見開く。終わりが迫る。


その瞬間、ファリンの背を、黒曜の大剣が貫いた。モルガナだ。残る力のすべてを刃へ絞り、彼を脇へ弾き飛ばす。ファリンは呻いてよろめく。モルガナは剣を落とし、甲高い金属音を遠くに聞きながら、よろめく足でジャレクへ一歩――そして崩れる。立ち上がりかけたジャレクはそのまま座り込む形で彼女を抱きとめ、背に大きく裂けた四つの傷を見て、胸の底から絶望の波が押し寄せるのを感じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ