第6話 桜の下の告白と影
三月二十五日、土曜日。終業式の後、亮介は和子を誘った。
「桜、見に行かない?」
学校の裏山には、樹齢百年を超える桜の大木がある。まだ五分咲きだが、淡いピンクの花が春の訪れを告げていた。二人は並んで、桜の木の下に座った。ひんやりとした土の感触と、微かに甘い花の香りが、現実感を希薄にさせる。花びらが、はらはらと舞い落ちる。
「和子」
亮介が、真剣な顔で和子を見つめた。その瞳は、いつになく深い色をしていた。
「俺、四月から本格的に甲子園を目指す。夏の大会で優勝して、スカウトの目に留まりたい。そして、東京の大学に行く」
「頑張って。亮介君ならできるわ」
和子は微笑んだ。心の底からの応援だった。しかしその笑顔の裏で、心臓は氷水に浸されたように冷えていく。「東京」という言葉が、自分とは決して交わることのない未来を突きつけてくる。
「それで、その……」
亮介が言いにくそうに言葉を続ける。頬が桜色に染まっていた。
「もし、俺が甲子園に行けたら、和子に伝えたいことがあるんだ」
「伝えたいこと?」
「今は言えない。でも、絶対に甲子園に行く。そして、和子に……」
亮介の顔が、真っ赤になった。和子には、亮介が言いたいことが分かった。でも、それを聞いてはいけない。聞いてしまったら、もう後戻りできなくなる。この太陽のように温かい人を、あの家の冷たくて暗い水の底へ引きずり込むことになる。
「亮介君」
「なに?」
「私、亮介君の夢を応援してる」
それだけ言って、和子は立ち上がった。これ以上、彼の優しさに触れていたら、すべてを話してしまいそうだったから。
「待って」
亮介が和子の手を掴んだ。その手は熱く、力強かった。そして、微かに震えていた。
「俺、和子のことが……」
「言わないで」
和子は、振り返らずに言った。声が震えるのを必死でこらえて。
「甲子園に行けたら、その時に聞くから」
そして、小走りに山を下りていった。振り返れば、亮介が桜の木の下で立ち尽くしている。花びらが、亮介の頭や肩に降り積もっていく。まるで、雪のように。いや、それは灰のようにも見えた。すべてが燃え尽きた後の、白い灰のように。
和子の目から、涙が一筋流れた。この恋が、悲劇で終わることを予感しながら。
家に帰ると、祖母が待っていた。いつもの暗い和室で、線香の煙に包まれながら。
「始まったね」 祖母の声は、水底から響くような、奇妙な反響を伴っていた。
「何がですか」
「運命の歯車が、動き出した音が聞こえる」
祖母の目が、一瞬、水のように揺らめいた。その奥に、深い悲しみと、諦観と、そして微かな羨望が見えた。
「お前も、私と同じ道を歩むのかい」
「違います。私は……」
「違わないさ。田辺家の女に、選択の自由なんてありはしない」 祖母が立ち上がると、畳から水が滲み出た。一歩、また一歩。足跡から、水が湧き出ている。 「六月二十日まで、あと三ヶ月。準備を始めなさい」