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水に取られた ―零れる刻限―  作者: 大西さん
第十五章:水時計の部屋 - 最後の六十分
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第49話 生きた装置

扉が開いた瞬間、香織と翔太は息を呑んだ。


そこは、想像を超える空間だった。 円形の巨大な部屋。直径は二十メートルはあるだろうか。天井は高く、ドーム状になっている。壁面は黒い玄武岩で覆われ、その表面には無数の水路が刻まれていた。まるで巨大な生物の血管のように、複雑に絡み合い、脈打っている。


そして、中央に鎮座する巨大な水時計。


高さ十メートル。幅五メートル。 それは、もはや単なる装置ではなかった。生き物だった。


表面は滑らかでありながら、生物の皮膚のように微かに波打っている。石とも肉とも判別できない、異質な質感。所々に浮き出た紋様は、人の顔のようにも、渦巻く水のようにも見えた。


どくん……どくん……。


巨大な心臓の鼓動のような低い音が、部屋全体を震わせていた。それは床を伝い、壁を這い上がり、天井から降り注ぐ。香織たちの体内にまで響き渡り、心拍を狂わせる。


「生きている……」


翔太の声が震えた。畏怖と恐怖が入り混じった表情で、水時計を見上げている。


上部の水瓶は、透明な水晶のように澄み切っていた。しかし、その中心には何か暗い核のようなものが蠢いている。それは時折、瞬きをするように明滅し、まるで巨大な瞳のように二人を見下ろしていた。


ぽたん……ぽたん……ぽたん……。


正確に三十秒に一滴。水が滴り落ちる。 最初は澄み切った透明な水。それが下部の水瓶に落ちる瞬間、一瞬だけ赤く染まる。血のように。涙のように。


下部の水瓶に溜まった水は、壁面の水路を通って再び上部へと戻っていく。重力に逆らい、生き物のように這い上がっていく。その循環は永遠に続き、時を刻み続ける。


水時計の表面に刻まれた無数の顔が、ゆっくりと動いていた。 苦悶の表情を浮かべた若い男たちの顔。目は虚ろで、口は何かを訴えるように開閉を繰り返している。


「助けて……」 「痛い……」 「会いたい……」 「愛してた……」


無数の声が、水の流れる音に混じって響いてくる。百五十年分の、愛に殉じた男たちの魂の叫びが。


轟音が響いた。背後で、石の扉が完全に閉まった。 退路は断たれた。 そして、床から水が湧き出してきた。


【残り60分】水位:足首


「始まった」


香織の声は、もう完全に人間のものではなかった。水の中で話しているような、反響する声。歴代の巫女たちの声が重なり合い、一つの合唱を形成している。


「ごめんね、翔太君」


振り返った香織の顔は、すでに変化を終えつつあった。肌は陶器のように白く滑らかになり、髪は海藻のように波打っている。瞳は深い湖のような青に染まり, その奥底に無数の記憶が渦巻いていた。


松姫の記憶。雪子の記憶。千代の記憶。そして、祖母・和子の記憶。 すべての記憶が、香織の中で渦を巻いていた。


「僕は、覚悟してここに来た」


翔太が、変わり果てた香織を真っ直ぐ見つめる。彼の体にも変化が現れ始めていた。手の甲に浮かび上がる青い筋。それは血管ではなく、水脈のように見えた。


「大叔父さんも、きっと同じ気持ちだったんだと思う」


でも、翔太は違う道を探したい。


「香織ちゃん、君の中にまだ『香織』はいる?」


香織の体が震えた。 巫女としての本能と、人間としての感情が激しくせめぎ合っている。 「助けたい……でも……捧げたい……」 矛盾する感情が、香織を引き裂く。愛しているから助けたい。愛しているから捧げたい。その両方が、紛れもない本心だった。

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