第47話 地下第四層:沈む石室 - 身体と魂の分離
横穴を抜けると、石室に出た。十メートル四方の、正方形の部屋。壁一面に、血で書かれた『助けて』という文字と、無数の爪痕。床には、人骨が散らばっている。
そして、壁には古びた大きな時計が埋め込まれていた。しかし、針は止まっている。
香織が部屋の中央に立った瞬間、轟音と共に石の扉が落ち、退路が断たれた。同時に、壁の古時計の秒針が、痙攣するように動き出した。
カチ、カチ、カチカチカチカチ……!
やがて、猛スピードで逆回転を始める。その狂ったリズムに呼応するように、香織の体に変化が始まった。
最初から、香織はこの変化を予感していた。鏡に映る自分の顔が、ガラス玉のように透けて見えるようになった時から。
それは、まるで外科手術のようだった。
指先から、爪が剥がれ落ちる。その下から、水晶のような透明な爪が生えてくる。痛みはあったが、その痛みは遠いことのように感じられた。
次に、髪が抜け始めた。黒い髪がはらはらと床に落ち、水草のような青緑色の髪が生えてくる。体感時間は引き伸ばされ、一秒の変化がまるで一時間のように感じられる。皮膚が剥がれ、ゼリー状の肌が現れる激痛が、永遠に続くかのように思えた。
この激痛は、過去の巫女たちが経験した痛みなのだ。真紀が、美しい肌を手に入れるために耐えた痛み。和子が、亮介を捧げた時に感じた、身体と魂が分離していくような苦痛。
「ああ……ああああ……!」
香織の口から、苦悶の声が漏れる。
「香織ちゃん、しっかりしろ!」
翔太は、狂っていく時間と変わり果てていく恋人の姿に、精神が崩壊しそうになるのを必死でこらえていた。彼の体にも、変化が加速していた。手の甲に浮かび上がる青い筋は、もう血管ではない。それは、水が彼の中を流れていることを示していた。
水位が胸まで来た時、香織はポケットに錆びた鍵を見つけた。いつの間にか、そこにあった。まるで、水が運んできたかのように。その鍵は、かつて巫女たちが儀式の前に身につけていたものだった。それは、呪いを受け入れた者たちからの、最後の希望の贈り物だった。壁の鍵穴に差し込むと、壁の一部が開き、さらに深い闇へと続く道が現れた。
「一緒に行くよ」
翔太は、人間ではない何かに変わり果てた香織の手を、それでも離さなかった。青く光る、ぬめりのある、水かきのついた手を。
「君がどんな姿になっても、香織は香織だ」
その言葉に、香織の目から一筋の水が流れた。涙ではない。もっと純粋な、感情の結晶のような水。




