第18話 幕間:町の声(1)
この町では、雨はただの気象現象ではない。それは記憶であり、予兆であり、そして人々の会話を支配する目に見えない主役だった。
■町の食堂、昼時
食堂の女将が、客に出した水の入ったコップを指さす。
「あんた、この水、飲んでみな。他の町の水と違うだろ?」
常連客の老人は、水を一口飲むと、懐かしそうに目を細めた。
「ああ、違うな。この町の水は、昔からちょっと鉄錆の匂いがするんだ。でも、それがいい」
「そうだろう?山からの湧き水だからね。町の人たちはみんな、この味に慣れてるのさ。でも、よそから来た人は、最初はちょっと嫌がるんだよねえ」
女将は、そう言って笑った。しかし、その笑顔の奥には、どこか諦めにも似た影が差しているように見えた。 山の水は、町の命。誰もがその恵みを享受しながらも、その水の源流が、町の人々が口にしたくない「禁忌の山」であることを知っていた。
■スーパーマーケットの鮮魚コーナーにて
「あら奥さん、今日も雨で嫌になっちゃうわねえ」
「ほんと。どうせまた、田辺さんとこの娘さんがお年頃なんでしょ」
カートを押す主婦二人の声は、ひそひそと、しかし確信に満ちている。
「うちのおばあちゃんが言ってたわ。あそこの娘が十八になる年は、決まって梅雨が長引くんだって。昔から、ずーっと」
「こわいこわい。だから、あのお屋敷の周りは、うちの子にも絶対近づくなって言ってるのよ」
「それがいいわよ。障らぬ神に祟りなし、だもの」
■駅前の古道具屋の店先にて
店の軒下で雨宿りをしていた老店主が、重い口を開いた。客は、歴史研究家を名乗る旅行者だ。
「五十年前の失踪事件、ですか。……ああ、田中さんとこの、亮介さんのことですな」
店主は、遠い目をして煙草の煙を吐き出した。
「警察もずいぶん捜しましたが見つからずじまい。まあ、このへんじゃあ『神隠し』だってことになってますよ。山には、人をさらう神様がおりますからな」
「神様、ですか」
「ええ。特に、よそから来て昔のことを嗅ぎまわるような人間は、好かれやせん」
店主の視線が、旅行者から、町の外れにある田中源三郎の家の方角へ一瞬だけ向けられた。
「田中さんとこのご隠居も、もう五十年も弟さんのことを調べておられる。……執念深いのも、考えもんですな。忘れるのが、この町でうまくやっていくコツってもんです」




