ロンドングランプリ
ある日のこと、ポームズと部屋でくつろいでいるとレスドレート警部が現れた。
「ポームズさん、近くで殺人事件です」
「行きましょう」
現場に着くと、そこには一人の大男が地面に仰向けに横たわっていた。近くにナイフが落ちている。血は着いていないようだ。
「こいつはロンドンで悪名高いゴロツキですね。いずれこうなると思ってましたよ。目撃者は今のところいません。目尻の当たりを切っていて出血してます。後頭部にも出血がありますが、死因はわかりません」
現場はこの男と何者かが格闘したのか、踏み荒らされていた。ポームズはまず死体を検め、足跡をレンズを取り出して調べはじめた。しばらくすると、ごみとしか思えないようなものを集めて大切そうに封筒へおさめた。
「死人の代わりに足跡やごみは多くのことを語ってくれるよ。もっとも足跡の方は途中でとぎれてしまっているが充分だ。ワトソソ君はこの事件をどう思う?」
「目尻を切っていることから誰かに殴られて、はずみで後方に倒れて打ちどころが悪かったというところかなあ」
「顎を撃ち抜かれたわけでもなさそうだし、地面が石畳というならまだしもはずみでというのは考えにくいね。それにこれほどの大男がナイフを持っているのに、パンチを目尻に当てるというのは容易ではないよ」
「ボクサーかな?」
「腹や脚に土が着いているがおそらく蹴りを喰らったのだろう。純粋なボクサーには難しいと思う」
「ステッキか何かで殴られたのかもしれない。そしてやはり後頭部を殴られたのが致命傷になったか」
「後頭部を殴られたとすると前方に倒れそうなものだがね。それにステッキを持ってたとしてわざわざ蹴るだろうか?」
「すると君がやるバリツのような総合武術かな?」
「僕もそれを考えたが、いずれにしてもナイフを持った大男相手に無傷で死に至らせるなんてことは僕にはできそうにないよ。これはもう格闘を職業的にやっているやつだと思う」
「相手は複数だったかもしれないよ」
「足跡を見る限りそれはなさそうだね。ここまで来たがこの事件を解く最大のカギはこの足跡だよ」
ポームズは被害者の足元付近に着いている足跡を示した。
「被害者と同じ向きの、この肩幅ほどの両足の足跡がこの場の中で最も深いものだ。極めて暗示的じゃないか」
「何のことだかわからないね」
「ポームズさんにはもう何もかもおわかりなんでしょうね。じらさないではっきり言ってくれたらどうです」
「では言いましょう。その男の名はカール・グッチです」
「カール・グッチ?」
「あの格闘王ですか!」
ここで予期せぬことが起きた。一人の立派な体格の大男が我々の方へと近づいて来た。
「私がやりました。大変なことになっていると聞いたもんで」
「カール・グッチさんですね?何があったか詳しく話して下さい」
「自分がたまたまここを通りかかった時にこの男に絡まれました。光り物を出してきたので手は抜けません。何とか蹴りを当ててしのいでいましたが、いよいよ距離を詰められた時にカウンターでパンチを当てて相手が怯んだ隙に組み付いて後ろを取り、スープレックスを決めました」
ベーカー街の部屋に戻るとポームズは葉巻を吸いながら語り始めた。
「君はごみとしか思っていないようだったけど、あれは煙草の灰だったんだ。これに関しては昔研究をして灰から銘柄を鑑定する内容の小論文を書いたこともある。僕はボクシングとバリツをやるように格闘技には精通しているが、カール・グッチが大変葉巻に凝っていることもその銘柄も知っていた。非常に珍しいその銘柄と、あんな芸当ができるのは彼しかいないというわけさ」
「あの足跡はスープレックスによるものだったのか。それで首をやったのかもしれないね」
「そうだろうと思う。プロレスを八百長という人もいるが、投げを頭から本気で落としたら首をやって死ぬか寝たきりになる確率が高いからね」
「正当防衛になるかな」
「さあここから先は僕の仕事じゃないからね。ワトソソ君もたまには葉巻でもどうだい?」