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幕間 呑み交わす魔女と執事



 行きつけのバーのカウンターで、いつもより安い酒をチビチビと口に含んだ。

 ……不味い。

 喉を焼く薬臭い安酒にげんなりして、未だ来ない待ち人への愚痴をこぼしそうになる。


 甘めのカクテルでも頼んで口直ししたいところだが、これからの会話はどんないい酒も不味くするような苦い話になるだろう。

 美味い酒は気兼ねなく呑める時に限る。今はこのくっせぇ酒が相応しい。



 二口目を口にする気にもなれずに足を組んで座っていると、バーの扉から鈴を鳴らす音が聞こえた。

 入ってきた客は、初老の男性。

 マスターに軽く会釈してから隣の席へと腰掛け、口を開いた。



「済まない、遅れたな」


「……マスター、このジジイにも一杯頼む。同じヤツな」


「畏まりました」



 隣の客へ顔も合わせず、マスターへ駆けつけの一杯を頼んだ。

 謝罪の返事がないことに少し困ったように眉を顰め、なんとも言えない表情を浮かべている。


 コイツは、ラインをアタシの店へと匿うように企てた男。

 レオポルド公爵家執事長、クラウスだ。



「言い訳になるが、近ごろますます業務が忙しくなっていてな。こうやってここへ来るのにも少し無理をしている状況なんだ。機嫌を損ねる気も分かるが、どうか勘弁してくれないか」


「んなことにいちいち怒るほど了見狭かねぇよ。……久々に会って早々なんだが、一発殴っていいか?」


「店の中では止めておくといい。出入りを禁じられると不便だろう」


「殴ることにゃ文句ねぇのか」


「仕方のないことだと理解しているさ」


「何に対して言ってやがる」


「……これまで坊ちゃまを見殺しにしていた薄情者が、君へ彼の世話を押し付けたことにだよ」



 そう言いながら不味い安酒を煽り、その薬臭さからかラインに対する罪悪感からか、苦々しく顔を顰めている。

 酒精を含んだ溜息を吐き、しばし無言で天を仰いだ。



「クラウス、お前はラインを助けるつもりがなかったのか? それとも……助けられない理由でもあったのか?」


「助けられるほどの能力と権力が私にはなかった。それだけの話だ」


「お前の声なら公爵にも届くだろうが。お前が居なきゃ、公爵家がどれほど痛手を負うか分からねぇほど公爵もバカじゃねぇだろ?」


「届かないさ。……公爵様は、公爵家への利害を度外視してでも、ライン坊ちゃまを否定したがっている」


「……なんでだよ。実の息子がそんなに憎いか? アイツがいったいなにしたってんだ……!」


「あくまで私の予測だが、公爵様は―――」








 クラウスの口から語られた話の内容に、怒るのを通り越して呆れの感情さえ湧いてきた。

 なんだそりゃ。

 なんだよ、そりゃあ。


 そんなクソみてぇな理由でラインを虐待してやがったってのか、公爵のゴミ野郎は。



「……今すぐにでも公爵家の連中を皆殺しにしてやりたいよ」


「止せ。君がそんなことをしてなんになる」


「テメェも例外じゃねぇぞクソジジイ。ラインが虐待され始めたのは1年前からだっつってたよな? その間、テメェは何してやがった。自分から薄情者とでも言えばツッコまれないと思ってんのか? ああ?」


「返す言葉もない。公爵様の意向に従い、ライン坊ちゃまへの仕打ちに対して見て見ぬふりをしていた。殴りたければ店の外で好きなだけ殴ればいい。その件で訴えを起こしたいのであれば、私は全ての証言を肯定すると誓おう」


「ちっ……」



 今すぐこのジジイに殴りかかりたい衝動を覚えたが、クソ不味い酒を一気に煽り酒精を頭に流し込むことで堪えた。

 口の中が薬臭い。心中の怒りを誤魔化すにはあまりに心許ないが、どうにか少し頭が冷えた。



「そんなことしねぇって分かって言ってやがるだろ……ラインが言ってたよ。あの屋敷でささやかでも自分を助けてくれたのは、クラウスだけだったってな」


「……」


「殊勝なこと言いやがってるのも、ラインがアタシにそれを伝えたことを予測してたからだろ。こうやってそのことを指摘するのも含めてなぁ、狸ジジイめ」


「さて、な」



 気まずそうに目を逸らしつつグラスを口へ運ぶクラウスを見て少し溜飲が下がったが、コイツの老獪さを考えるとこの仕草すら計算ずくに思えてくる。

 深読みすればキリがねぇ……ネチネチと責めるのもこのへんにしておくか。




「他にも苦情があるのなら、いくらでも言ってくれ。君にはその権利がある」


「ねぇよ、テメェに言う文句はこれくらいでいい。公爵家の連中をどうするかは、アタシじゃなくてラインが決めることだ」


「……彼のほうは、どうかね」


「マシになった程度だが、ガリガリだったのも少しは肉がついてきたよ。魔法の鍛錬も順調さね」


「そうか、よかった……」



 ほんの少し表情を綻ばせ、安心した様子で呟いた。

 こいつのほうがよっぽど父親らしい顔してやがる。



「アイツはすげぇぞ。魔法を教え始めてからまだひと月ちょっとなのに、制御だけなら既に上級の魔法使いに片足突っ込んでやがる」


「ほほお、君がそこまで高く評価するとはな。やはり公爵様が見逃した鉱脈は深かったようだ」


「見逃した、というよりも『気付きたくなかった』んだろ。でなけりゃ、いくら憎かろうとも息子の魔法鑑定に下っ端魔術師なんざ呼ばねぇだろうが」


「もっとも、分かりやすい魔法だったのであれば、一応育てるつもりはあったらしいがな」


「つっても息子としてじゃなくて、魔法を使わせる奴隷か道具としてだろうがな。反吐が出るわ」



 自分で言ってて胸糞悪くなってくる。

 安酒が進むなぁクソがよぉ。



「そうなれば、例え生きていたとしても希望を持つことは難しかっただろう。ある意味、家を追放されたのは僥倖だったのかもしれない。君のところへ預けてよかったよ」


「そうでもねぇぞ」


「? なにか問題でも?」


「ああ……」



 ブチリと音を立て、つまみに出されたジャーキーを食い千切り、噛み締めるように咀嚼して安酒を流し込む。

 酒臭く深い溜息を吐いた後、クラウスの問いへ答えた。




「アタシは……アイツの童貞を捨てさせた」


「ブボッフォッ」



 アタシの返答に面食らったのか、グラスに口をつけたままクラウスが盛大に噴き出した。

 なんつーリアクションだ、そんな不意打ち気味にタチの悪いジョークでも聞いたような反応しなくても……いや、待て。違うぞ。



「ゴホゴホッ……! ぜ、ゼリアッ、なんという破廉恥な……! いくらなんでもまだそういったことは彼には早―――」


「違う違う! 言葉通りの意味じゃねぇよバカ! ……ちょっと前に、隣の領地へ向かう馬車の便が賊に襲われたって話は聞いたことがあるか?」


「あ、ああ。その便を担当していた御者は殉職してしまったが、乗客たちは全員無事だったと記憶している。確か、君も乗っていたのだろう? そのあたりにいる賊くらいなら後れを取ることはなかったと思うが、なにかあったのか?」


「賊のほとんどはアタシが片付けたが……油断した。全員仕留めたと思ったところで、隠れてた賊のボスがラインを人質に取りやがったんだ」


「なんと……」


「そのままアタシを殺そうとしたボスを……アイツが魔法で仕留めた」


「っ……そうか……」



 一瞬だけ微かに目を見開いたかと思ったらすぐに顔を逸らすクラウスの様子に、いたたまれない気持ちが湧いてしまう。

 こちらを責めず憤りもせず、ただやるせないといった面持ちで安酒を口に運び、溜息を吐いた。



「自衛のためには、誰かの命を奪うこともある。分かっていたことだが、彼が体験するにはあまりにも早すぎたな」


「……すまん」


「君が謝ることじゃない。手を汚したことは彼の決断したことであり、彼にしか背負えない業だ。まだ幼いとはいえ、それは彼自身も分かっていることだろう」



 だからこそ、だからこそだよ、クラウス。

 アイツはあんなに小さく幼いのに、人を殺すということの深刻さを理解している。

 悪夢に魘されて汗だくでうわ言を呟いているのを幾晩も見てきた。


 アイツは考えなしに命を奪うほど幼く未熟でも残酷でもない。

 命の尊さを理解したうえで、人を殺しちまったんだ。






 それからしばらく、互いに一言も発さず気まずい沈黙が続いた。

 こんなクソみたいな出来事を聞かされれば、頭を整理する時間も必要だろう。





「……彼は、やはり公爵家への報復を?」


「ああ、アンタの言ってた通りだよ」


「だろうな。今すぐには無理だろうが、研鑽を積みそれなりの地位を得られれば、あるいは……それに見合う力を備えてしまったのが、恐ろしくも喜ばしくもあり、そして哀しくもあるな」


「心配すんな。アイツは復讐する相手だろうといたずらに殺すような奴じゃねぇ。現にラインを1年も虐げてきた侍女への復讐も、怪我こそ負わせたが命に別状はなかった」


「メディアか。……マオルヴォル子爵に上手く協力してもらえたようだな」


「っ……どこから、誰から聞いた?」


「予測だよ。君と交流のある権力者で、かつメディアが再就職先として選びそうだと思い浮かんだのが子爵家だったというだけさ」



 こんなわずかな情報からどうやってユーリに辿り着くんだよ。怖すぎる。

 しかも特に得意げでもなく当たり前のように……。

 ラインも相当なもんだが、こいつの先読みの鋭さにゃまだまだ及ばねぇな。



「彼の次の目標についてだが、メディアの次はメリーナ様かね?」


「らしいよ」


「舞台は……学園か」


「ああ、『ラキャズカ魔法学園』で姉の鼻を明かしてやるって息巻いてたよ。しかもそれすら始まりに過ぎないって悪い顔してた」


「くくっ、随分活き活きとしているようでなによりだ」



 ここで今日初めて、クラウスが笑みを浮かべた。

 まるで悪ガキのイタズラ計画を聞いたかのような、妙に優し気な微笑のままグラスを傾けている。



「アンタはそれでいいのかい? 下手すりゃホントに公爵家を突き落としてのし上がるぞ、あのガキは」


「問題ない。私が先代公爵様より仰せつかったのは『公爵家の管理不足による没落の回避』だ。外部の者が力をつけて公爵家に対抗しうる不都合な存在となったとしても、それをどうこうするのは私の仕事ではない」


「屁理屈並べやがって。その何枚あるかも分からねぇ舌があって、どうして公爵を説得してラインの虐待を止められなかったんだか」


「先ほども言ったが、今の公爵様はライン坊ちゃまを異常なまでに憎んでいる。三十余年ともに過ごしてきた私の言葉であろうとも、坊ちゃまに関する忠告には聞く耳を持たん」



 血を分けた自分の息子を、どうしてそこまで拒絶できるんだよ。

 ……憎しみは、そこまで人を歪めちまうのか。






「……さて、そろそろ私はお暇させてもらう。支払いは多めに置いておくから、口直しが必要なら好きなものを頼むといい」


「あー、待ちな。アンタを誘ったのはラインの件だけじゃねぇんだ。ほれ、これ受け取りな」


「む? これは……転居届か。……マオルヴォルへ?」


「ああ」


「そうか。公爵様から変に勘繰りをされぬよう処理しておこう。……どうか、彼を……ライン坊ちゃまを、頼む」


「言われるまでもねぇよ。さっさと帰って公爵の靴磨きでもしてろジジイ」




 転居届の書類を受け取り、軽く会釈をしてから入口の鈴を鳴らし去っていった。


 クラウスのいなくなったカウンター席は、いやに広く感じる。



「……ちっ……言い返しもせず出ていきやがって。悪態付いてるアタシがガキみてぇじゃねぇか」


「おかわりに何か飲まれますか?」


「いやいい、アタシも帰る。釣りはいらねぇからとっとけ」


「ちょ、ちょっとちょっと、多すぎますって! おーい!」



 クラウスが残していった金貨を押し付けるようにマスターへ手渡し、さっさと帰路へとついた。

 これ以上飲んでてもつまんねぇだろうし、家に着いたらすぐに寝ちまおう。

 ……出発は三日後だしな。早く準備も進めねぇと。










~~~~~









「……坊ちゃまが……『彼』がこういった行動をすることが、あなたの望みなのですか……?」




 屋敷へ戻る前に、墓の前で一礼し、独り言ちた。

 返事など帰ってくるはずもない。死人に利ける口などないのだから。



 それでも、最期までラインハルト坊ちゃまを愛し続けた御方へ、問いかけずにはいられなかった。


 お読みいただきありがとうございます。


 クラウスは人の思考や情報・状況から先を読む力が異常に優れていて、大抵のことは想定の範囲内というチート頭脳の反面、完全に予想外の情報が耳にぶち込まれると人一倍派手なリアクションで驚いたりします。

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