閑話 とある脱サラアラフォー男の最期
俺の最後の記憶は、病室のベッドの上だった。
と言っても、別に不治の病に侵されていたわけでも大怪我したわけでもない。
我ながらひじょーにしょーもない死に方をしたと思う。
俺は40過ぎまで中小企業の課長として働いていたサラリーマンで、毎日早朝から深夜まで働き詰めの社畜だった。
上司からの無茶ぶりと部下たちの寄越してくる面倒事の間に挟まれる中間管理職で、ゴミみたいな日々だった。
それでも俺なりに責任感を抱きながら仕事をこなしていたつもりだった。
継続は力なり、努力と勤労は報われる、誰かは自分の頑張りを見てくれている、なんて信じながら。
ま、全然そんなことなかったんですけどね。
仕事はこなせばこなすほど、次の仕事はよりうず高く舞い込んでくる。
多すぎる仕事量を処理するために新人を育てようとわずかな合間をみて技能伝承を試みても、忙しすぎる現状に耐え切れずすぐ辞めていく。
部下に負担をかけすぎないように自分で背負いこもうもんなら、上層部が残業申請多すぎるからサビ残扱いにしろとキレてくる。
当然、上司の次長に陳情も出したが
『じゃあお前が営業に言え』
『仕事の仕方が悪いから処理しきれないんだ』
『部下が辞める原因は直属の上司の責任だ。部下を育てられないお前が悪い。辞めた部下の分もお前が頑張れ』
と聞く耳持たない。
いやアンタがウチの課長だった時代なんか課内の人間全員辞めていったじゃないですか。俺以外は。
しかも部下にまでサビ残とサービス出勤強制してたくせによく言うわ。
ただサラリーマンとして見れば有能だったと思うよ。上司としてはクソだけど。
そんな不満も飲み込んで、いつか報われると信じてなんとか耐えていたが、ある日次長に
『自分の時間外労働時間すら管理できないお前なんかに課長は務まらない』
『お前の代わりに課長やらせるから縁故採用の中途社員に仕事の引継ぎをしろ』
『それが済んだら辞めていいぞ』
と言われた時に、我慢できずブチギレた。
言われた次の日に『辞めます』と退職願を上司に提出してやった。当然引継ぎなんかしていない。
退職時に受け取るべき書類を調べて会社に要求して、社員証やら保険証やら返却すべき物品を突き返すように総務へ提出した。
部長や専務あと社長からも『辞めないでくれ』って随分と引き止められたが退職を強行。
死んだ目で『辞めさせてください』とひたすら言い続けて、ようやく折れてくれた。
次長は最後まで『引継ぎもせず辞めるなんぞ非常識にも程がある』『だからお前はダメなんだ』『どうせ次の会社でも通用しねぇよゴミが』と俺を罵っていた。
それに対して『部下が辞めるのは直属の上司の責任なんだろ? 俺の分も頑張れよ次長』と返したら顔を真っ赤にしてチンパンジーのように喚いていたが。いや顔が赤いならニホンザルか? ウッキー。
二度とそのツラ見せんな。ハゲハゲアンドハゲ。
仕事を辞めた直後、俺は深く後悔を覚えた。
退職したことに対してじゃない。なんでもっと早く辞めなかったんだって。
やりたいことが山ほどあるってのに、なぜ仕事なんか放っておいて若いうちにやりたいことをやらなかったのかって。
随分と歳をくっちまったが、今からでも遅くない。
脱サラしたからには、これからはやりたいことをやってやると意気込んだ。
まずは手始めに退職して会社から帰宅したその足で、海にスーツのままダイブしてやった。こういったバカなことを前からやってみたかったんだ。
水を吸ったスーツの着心地は正直最悪だったが、気分は実に晴れやかだった。
ちなみにそのまま溺れ死んだとかそんなおバカな死に方はしていない。天気は快晴で海は穏やかだったし。
……ただ、秋の終わりに海水浴なんかしたせいで風邪をこじらせて肺炎に罹って、そのまま重体化してポックリ逝ったってだけだ。バカバカアンドバカである。
過労の影響で免疫力が下がってたのかねぇ……。
残った貯金は国の税金にでも使われたのかな。もったいねー。滅べ財●省。




