第一章(全四章)
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「出た!」
少し喜びを含んだ驚きを幡野栄は発していた。
ーーのっぺらぼうの女ーー
レジデンス南の駐車場にて、その姿を彼は、捕えている。
女は遠のき、幡野は車をすんなり下車していた。
女は建て屋の階段とは反対側の狭い外壁沿いの植え込みの陰に消えてゆく。
中古だが一応、自動ロック式の車の扉に全て鍵を掛け幡野はレジデンス南の、立ち退いて誰も住んでいない建て屋を独り見つめていた。
引っ越しの際に敢えて置きざりにしたであろう子供用の自転車が数台、補助輪付で放置されている。
*****
”立ち退き荘の女”
地元では都市伝説的に、そう広まり始めていた。
「噂では二階の角部屋に出る・・」
幡野はひとり言を呟きアパートの階段を昇る。角部屋と云っても階段脇と廊下の突き当たりと、二通りある。
「当然、この手の角部屋は突き当たりだ!」
勘ぐる幡野は筋肉質の身体を少し震わせながら二階の廊下を進んでいった。
時は午前三時・・
大手メーカーの下請業務の部品製造工場の、頂度、深夜23時から24時頃、彼の勤務はほどなく終了する。
(メシを取ったら、この時間にドン・ピシャだ・・)
立ち退き荘の女に会う為に、彼は平日でありながら此処へやって来た。
疲れなんて微塵も感じていない。
*****
”貼紙・1
これをクチコミで広めて下さい。
浸透すればするほど、お安くチャージして差し上げれます・・
アナタの友達がやがて信頼の源となり我々は世界一、強固な組織となるでしょう。
会員制クラブ・スペクタル”
ペン型のライトを廊下の突き当たりの掲示板に当てながら幡野は、それを目読し、携帯電話のカメラ部を作動し撮影していた。
会社の同僚である紀代子と五月に見せたいが為だ。
幡野の血筋は地元の大地主の家系で、どうしても子供が欲しい状況にあった。
本家の長男である彼は社内に居る彼女達どちらかに可能性が無いか探っている。
そんな折、立ち退き荘の女にふたりが興味を示した為、明日、此処へ連れてくる運びとなっていた。
そして徐ろに角部屋を覗き込むと・・
*****
「出た!」
今度は強く短く発してしまった。
そんな趣でありながらも、覗いた台所の窓や厚い鉄製の玄関のドアノブをやや慌てながら開けてみようと動作してゆく。
(開かない)
当然、立ち退いて誰も居ないアパートなので開くべきでない鍵は、全てロックしてある。
(逃げろ!)
角部屋に居る・のっぺらぼうの女は幡野を、追い掛け始めていた。
そんな息も荒くなる環境でありながら幡野は紀代子と、五月を抱く幻想を頭に描いている。実は幡野は一度、離縁していた。
子供は産まれたが関係した日取りから自分の子でない事は判っていた。
そんな後ろ目たさもあってか元ー妻は敢えて多額の金を使い続け離婚へと持ち込んでゆく。それでも彼女の子を幡野家の跡取りにーーとせがんだが前妻と幼子は去っていった。
*****
”のっぺらぼうの女”
元々は、私立の中、高の教員が流行のプチ整形などに歯止めを掛けようと広めたデマが始まりであった。それが噂だけが、いつの間にひとり歩きをし、東京西部の立ち退いたアパートの取り壊し前の建て屋にて、丑三つ時になると、のっぺらぼうの女を見たという情報が複数・出て遂に都市伝説化となってしまった。
事実は小説よりも奇なりと云うが飽くまでも噂の中の噂ではあるのが・・
幡野はアパートから自宅までの帰宅ルートを思案していた。
この市は裏道を理解すると物凄く近い距離で目的地まで到達できる。
(市役所とは逆の方面から帰れるな・・)
彼の家は一丁目一番地にある屋敷ーーという表現に近い旧家だ。
電車が走らない珍しい都下の市町村で、車が無いと手も足も出ない不便な土地柄が宿命か。
*****
本来はプチ整形などの外見にこだわり過ぎる理念を正す為に広めたはずが・・
"学生達が深夜、出歩いて風紀上、如何がなものか” とか ”肝試しに、のっぺらぼうの女は転用された” などのクレームが出て、全く教育上、手に追えない伝説と生まれ変わってしまった。
「来ないか?」
一階の各部屋の郵便受けの陰で幡野は一旦、のっぺらぼうが降りるのを待ち続けている。
「元より月10万(円)のバイトなど、意味は無いのだ」
幡野は独り言を吐いた。
財産はあるので世間体と近所に対しての信頼、更には後妻と後継ぎの問題さえ片付けば、彼にとって仕事とは、真剣に参加するサークルの様なモノでしかなかった。
貧しく生まれた人間には重税より憎い存在だ。
「む?」
掲示板に目をやると更にメッセージがある!
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”貼紙・2ーー
物音がした時、それは其処に本当に霊が居る時・・
嘘だと思うなら、これから静けさ漂う全ての瞬間に耳を澄まして御覧なさい。
この内容に偽りが無い事が必ず証明されますから・・
会員制クラブ・スペクタル”
ーーガタッーー
置き捨てられた幼児用の自転車の補助輪が、廃棄口の溝に塡まる音が建て屋・一杯に響いていた。
(親父が死んだら納税、二百万円もする男だゾ・・)
幡野はこの時、訳の判らない事柄を心に叫んでいた。相続税の額を勝手に計算し、自身の存在意義を高めようと、心掛けていたのだ。
(真に醜い)
実際は、本人の心の底で自身の心根を、そう評していたのだが・・
*****
「やべェ・・」
幡野は息も荒く車の運転席にて慌ててエンジンを点火した。
「はっ!」
とっととズラかろうとバックしたく、ミラーを覗くと、のっぺらぼうの女が車外の後部に佇んでいる。
「ひぇ」
なるだけ小回わをし、バックせずにその駐車場を夢中で後にした。
明日は中華人民共和国に依頼して ”難しくて出来ない” と云われて返された仕事の部品が入荷される。
「やっぱり、まだ日が早かったかな・・」
幡野は他人の助言を聞かない癖がある。
難しい仕事は紀代子や他の男性が全て行う。
素直に従えば出来るんだろうが・・おそらく、地主系のプライドの高い幡野には時間の都合上、その任務は回さないだろう。どの道、情けない己を強く感じてしまう瞬間となった。
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