終-1
終-1.夜空に打ち上がるは告白の花火
人と人の間に体を滑り込ませながら、なんとか目的地へと向かう。グループチャットに連絡してみると、案外近くに皆いたみたいで、すぐに合流できそうだった。遅れた理由を何と言うか考えながら、皆が待っているらしいリンゴ飴の屋台の裏へと急ぐ。
打ち上げ目前ということで、河川敷には大会の主催者らしきおじさんの挨拶が響き渡っている。いつも通りならこの後カウントダウンが始まり、オープニングの花火が打ち上げられるはずだ。会場の人は各々「楽しみだね」とか「動画撮らなきゃ」とか言いながら期待に胸を膨らませている。
俺は遅れた言い訳が思いついたところで、最後に送り出してくれたときの由希の笑顔を思い出していた。あいつはあんな風に大袈裟に笑う奴だっただろうか。どこか自分に言い聞かせるように明るく振る舞っていたような気がする。無理していたのではないだろうか。
俺は心配しそうになったところで思考を遮った。あいつは「頑張ってね!」と言って背中を押してくれた。俺はそれに応えることを考えなければならない。
それに心配しなきゃいけないのは自分の方だった。正直合流してからのことなんて何一つ考えていなかった。頭の中にある台本には何一つ文字が書かれておらず、綺麗な白紙。こんなんで大丈夫だろうかと一人溜息を吐く。
情けないお兄ちゃんでごめんなさいと、心の中で由希に土下座していると、俺は目的地に到着したことに気がついた。ただそれはリンゴ飴の甘い匂いがしたからとか、花火大会で浮かれている豪の声が聞こえたからとかではない。
見覚えのある白い浴衣が視界に入ったからだった。夜空と正反対の綺麗な白色が、屋台の明かりに照らされて映えている。カラフルなガーベラの花も純白な生地のおかげで際立っている。
そこまで確認したところで俺は自分の足が止まっていることに気がついた。止まった足とは逆に心臓の鼓動はどんどん速くなっていく。
原因は分かっている。浴衣姿の紗月に見入っていたからだ。
紗月は自分には合わないと言っていたあの浴衣を着こなし、そこに佇んでいた。身長がある大人っぽい彼女が可愛らしい浴衣を着ることで、うまく双方の印象が喧嘩せずに残っている。普段下ろしている髪の毛は纏められ、後頭部でお団子を作り、その隣で浴衣の柄に似た菊の髪飾りが彩りを添えている。
なんて綺麗な人なんだろう。出てきたのは心底シンプルな感想だった。
試着では見せてもらえなかったので、初めてちゃんと浴衣を着ている紗月を見た。今思えばあのとき見せてもらわなくて良かったと思う。多分まともにリアクションできなかったと思う。ただただ今みたいに見とれてしまっていたはずだ。
しばらくその場から動けずに、彼女に視線を送り続ける。
物憂げな表情で川の方を眺めている彼女の横顔を独り占めしている。そう思うとなんだか顔の温度が一気に上がった。
「あ! 律希だ! やっと来た」
そんなところに元気な豪の声が割り込んできて、俺の意識は現実に戻ってきた。慌てて足を動かして皆の元へと向かう。人の流れから外れて、屋台の裏へとはじき出されるように俺は飛び出た。
「大丈夫か? なんか顔赤いけど、体調悪かったのか?」
「いや大丈夫だ。多分走って来たからだと思う」
「そうか。でもさっき見たとき立ち止まって――」
「いいからいいから」
心配して駆け寄ってきてくれた豪を無理やり押し退けながら皆の元に合流する。
「もう。遅いよ律希。」
「何かあったんじゃないかって心配したんだよー?」
「すまん。ちょっと野暮用でな」
しかめっ面の綾乃と不安そうな表情の悠那が迎え入れてくれる。二人とも浴衣を着ていていつもと雰囲気が違う。綾乃は赤色、悠那は紺色の浴衣。髪飾りをしていたり、髪型もアレンジされていて、学校で見ている彼女らと同一人物とはとても思えない変わりっぷりだった。
「あっおえんいんおおっあな(やっと全員揃ったな)」
迅が二人の後ろから、何かを頬張りながらそう言った。右手には焼きトウモロコシ、左手にはフランクフルトを持っている。トウモロコシに一カ所だけ実がないところがあったので、トウモロコシを囓ったあとにしゃべっているのだろう。綾乃に「飲み込んでからしゃべりなさい」と怒られながら口をティッシュで拭かれていた。
「全員気合い入ってんな」
俺はふと独り言を漏らす。よく見たら豪も迅も紺色の甚平を着ていて、ちゃんと花火大会仕様になっている。半袖半パンで来ているのは俺だけだった。
「じゃあ移動するか」
俺の独り言は無視されて、豪が全員に声をかけた。
「移動するって、ここで見るんじゃないのか?」
「綾乃と迅が場所取っててくれたみたいでさ。まあすぐそこなんだけど」
なるほど。仕事ができるカップルがいたもんだ。二人の方を見ると綾乃は笑顔で親指を立て、迅はもぐもぐしながら頷いてくれた。俺も適当に頷いて反応を返しておく。
歩き出した豪に連れられて、悠那、綾乃、迅の順番で移動を始める。俺もトウモロコシとフランクフルトの匂いを追って歩き出した。
そこに柑橘系の爽やかな匂いが割り込んでくる。隣を見ると、ムスッとした表情の紗月が歩いていた。
胸の中で心臓が飛び跳ねている。間近で見る浴衣姿の紗月は、言葉では表すことができない美しさを纏っていた。
「逃げられたのかと思った……」
「逃げるって何から?」
「私」
「そんなわけないだろ。浴衣選び付き合ってやったのに」
「……良かった」
なんとか平静を装って答える。紗月は俺の回答を聞いて満足したのか、表情を和らげて笑顔を見せてくれた。
そのまま軽く腕を広げて、浴衣全体を見せてくれる。
「そういえば感想聞いてなかったわね。どう? かわいい?」
そんな聞き方をされたら、どう答えるかなんて一つに絞られてしまう。俺はなるべく自分が恥ずかしくない答え方を探しながら、紗月から目を逸らした。
「前も同じようなこと言ったけど、お前は何着ても似合うよ」
「私はかわいいか聞いたんだけど」
「言ったようなもんだろ」
「似合うとかわいいは違うわよ。どう? かわいい?」
俺の顔を覗きながらもう一度問うてくる紗月。観念した俺は溜息を吐いてから、絞り出すような声で答えた。
「はい……。かわいいです……」
「そう。良かった」
紗月は満足そうに笑うと、鼻歌でも聞こえてきそうな軽やかな足取りで前を行った。良いように遊ばれている気がする。別に悪い気はしないので、俺は文句を口にせず、黙って追いかけて紗月の隣に並んだ。
「今まで何してたの? 何か急な用事でも入ったの・」
「別に。ちょっと勇気もらってただけだ」
「勇気? 何それ?」
そんなやりとりをしていると、前を歩いていた迅の足が止まった。どうやら取っていた場所に到着したようで、下を見ると大きなブルーシートが目に入った。
周りの人に迷惑の掛からない端っこの場所が取れていたようで、前にいた豪から順に下駄やらサンダルやらを脱ぎながらシートの上に腰を下ろしていく。最後に俺は靴を脱いで紗月の隣に座った。
「よし。間に合ったな」
豪が額に浮かんだ汗を拭いながら言った。
「ギリギリセーフだね。もうカウントダウン始まりそうだし」
綾乃が言った通り、間もなく花火打ち上げまでのカウントダウンが始まるというアナウンスが会場に流れた。それに合わせて歓声と拍手が巻き起こる。
「楽しみだねー」
「なんかドキドキしてきたな……」
「そうだ! 動画撮る準備しないと」
「おいえいいあうあっえいあ(トイレ行きたくなってきた)」
各々そう言って、慌ただしく動いたり動かなかったりしながら、心の準備を始める。紗月は悠那と綾乃と相談しながら、どの角度で撮影するのが良いか決めていた。
そんな様子を見ていると、カウントダウン開始の合図が会場に流れた。何万人いるか分からない人たちが声を合わせて、十から順番に一ずつ数字を減らしていく。
その大合唱を聞きながら、俺はこの波瀾万丈だったと言える一週間を思い出していた。
多分この先絶対に忘れない一週間になったと思う。いきなり電話が掛かってきて、いきなり告白されて、いきなりとんでもないミッションを課され。何度思い返しても悪い夢にしか思えない。
一番身近に犯人がいるなんて思わず、同級生が自分の事を好きなのかもしれないと疑う日々。とんでもなく恥ずかしい時間だったな。客観的に見ればものすごく滑稽に見えてくる。
まあとにかく、由希が最後に納得してくれて本当に良かったと思う。あいつが自分を否定して嫌う終わり方だけは避けたかった。ちゃんと折り合いをつけてくれたみたいで、そこはあいつの人間としての強さだと俺は思う。
別に由希は間違っていたわけではないと思うから。これから先、自分の事をもっと好きになっていってほしい。
俺より良い人なんてこの世に五万といるから。ただ、躍起になって変な男に手を出さないようにしてもらいたい。多分大丈夫だと思うけど。
まあ由希も中学生だから、すぐに彼女に合う人は現れるだろう。ちゃんとその気持ちを育んで大切にしてほしい。
これにてこの一件に関しては一件落着。
ただ俺にはまだやらなきゃいけないことが残っている。由希にも背中を押してもらったし、ちゃんとこの宿題はやり遂げなければ。
「あ、そうだ」
ちょうどカウントダウンが五まできたとき、俺はまるで何かを思い出したみたいな感じで独り言を呟いた。うっすら聞こえたであろう紗月だけが俺の方を横目でチラッと見た。
「なあ、紗月」
そんな彼女に向かってなんでもない感じで呼びかける。
「何?」
紗月も特に何も意識した様子はなく、首を傾げながらこっちを見た。
多分他の四人にも俺と紗月が何かやりとりを始めたことは伝わっている。ただこっちよりもカウントダウンの方に意識を割いていた。
そのカウントダウンが三まできたとき、俺は世間話をするかのようなテンションで口を開いた。
「好きだ。付き合ってほしい」
俺がそう口にした瞬間、俺の周囲だけが少しだけ静かになった。
紗月は無表情のまま固まっている。よく見ると紗月だけじゃなく、他四人の動きも不自然に固まっていた。
時間が止まってしまったのかと錯覚する。ただそういうわけではないことを俺はすぐに理解した。
なぜなら花火のカウントダウンは止まっておらず、会場の歓声は鳴り止むどころかどんどん大きくなっていたから。
固まって動かなくなってしまった五人を置いて、時間は進むし、数字も減っていく。
三……、二……、一……。
ゼロ。
会場が人々のどよめきと、花火が打ち上がる爆音に包まれる。
その前に五人の視線が俺の方へと集中した。
「「「ええええええええええっ!」」」
綾乃、悠那、豪の絶叫のような声が俺の耳を劈く。迅はフランクフルトをもぐもぐしながらこっちを凝視していた。
その後に地響きのような轟音とともに花火が打ち上がった。
せっかく花火が打ち上がったというのに、俺たち六人は誰一人として夜空に目を向けていなかった。
「どういうことだよ律希! さすがに急すぎだろ!」
「そうよ! あんなに頑なに告るの避けてたあんたが、どういう心変わりなの?」
「ちょっと二人とも。気持ちは分かるけど落ち着いてー」
綾乃と豪に胸ぐらを掴まれそうになるくらいに詰め寄られるが、悠那がなんとか手綱を引いてくれて、二人を抑えてくれた。ただ、悠那も驚いているようで、困惑の目を俺に向けていた。
「お前らびっくりしすぎだろ。俺がちょっと告白したぐらいで」
「いや驚くだろ。友達がこんな急に告白したら」
「しかもあんなにあっさりと。動かざること山の如しだったくせに」
各々言いたいことを言い合っている。まあこの言われようには納得するしかない。自分が意気地なしだったことは自分が一番分かっている。
ただ、今は二人に構っている暇はない。本当はいろいろ説明して答えてやりたいが、俺の意識は目の前の少女に集中している。
それを察してくれた大男が綾乃たちの後ろから声をかける。
「いろいろ聞くのは後。今は紗月の番だ」
「そ、そうだな」
「そうね。ごめん、紗月。どうぞ!」
迅から言われたことを素直に聞き入れて、二人は紗月の後ろに下がる。そうしてずっと黙っていた紗月の元に、話の主導権が回ってきた。
しかしまだ紗月は口を開かず、俺の耳には花火の大きな音とBGMとして流れている邦楽のメロディーだけが流れ込んできていた。
あれ? 聞こえていなかったか? まさかもう一度言わないとダメか?
そんな風に一人焦っていると、微かに紗月の唇が震えたような気がした。
「――そい」
「え? なんて?」
「遅い」
「遅い? いやだから、今日遅れたのはさっき謝っただろ」
「違うわよ!」
花火の音に負けない彼女の叫び声が、俺を貫いて空へと伸びていく。まさか怒鳴られるなんて思っていなかったので驚いた俺は、改めて紗月の顔色を窺う。
すると彼女が今にも泣き出しそうな目で、俺のことを見ていることに今更気付いた。どうしてこんなことになっているのか分からず、俺にはあたふたすることしかできない。
取りあえず謝ろうかと思ったとき、再び紗月の口が動いた。
「ずっと……、ずっと待ってたんだから……」
紗月は泣きそうな顔のまま、涙を隠すように笑った。その笑顔は花火の光に照らされて、ライトアップされる。
その笑顔はとても儚くて、とても美しくて、俺の心を掴んで放さなかった。
改めて自分はこの人のことが好きなんだという実感が湧いた気がした。
「ごめん。俺って意気地なしなんだよ」
「知ってる。ずっと見てたもん」
紗月は零れそうになった涙を拭いながら笑った。つられて俺も笑う。こんな時間がずっと続けば良いなと思った。別に面白いとか楽しいとかではないけど、ただ目の前に彼女がいて、彼女が笑っている。こんなにも嬉しいことはないと俺は思った。
このままずっと紗月の笑顔を見ていたい気持ちもあるが、さっきから好奇心を隠せていない野次馬たちの視線が鬱陶しい。そろそろ花火に集中してもらうか。
俺は紗月を正面にして一度座り直した。
「返事、聞かせてもらっても良いか?」
俺がそう問いかけると、紗月も俺を正面にして座り直した。その後ろでごちゃごちゃ騒いでいる連中は無視して、紗月の顔だけを集中して見る。
しかしあまりにも綾乃と豪の声がうるさすぎて、どうしてもこっちのやりとりに集中できない。
注意するのは雰囲気的にどうかと思っていたが、さすがに我慢できない。俺は「空気読め」と言おうとして、二人の方を見た。
その瞬間自分の上半身に何かが乗っかった。勢いがあったので後ろに倒れそうになり、慌てて手をついて体を支える。
突然なことで一瞬何が何だか分からなかったが、柑橘系の香りが近くを漂ったことで、俺は全てを理解した。
紗月に強くも柔らかく抱きしめられているこの状況で俺の頭を過ぎったのは、案外軽いんだなんていうとても言葉にできない失礼な感想だった。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
そんなことなどつゆ知らず、紗月は俺の耳元でそう囁いた。
俺はそれを聞いて、心の底からホッとした。自分でも分かるくらいだらしない顔になる。
「ああ。よろしく」
俺がそう言った瞬間に、紗月の後ろでは阿鼻叫喚の祭りが始まった。
「きゃー! 律希と紗月がついにくっついたわよ!」
綾乃はそう叫びながら、もの凄い勢いで迅の背中をしばいている。迅は口に含んでいたであろうトウモロコシを噴き出しそうになっていた。
「なんか俺、泣けてきたよ……。全然お前ら二人がずっと思い合ってたなんて知らなかったけど……」
豪はなぜかボロボロと泣きだしていた。何も知らなかったくせに何に感動したのだろうか。悠那はハンカチで豪の涙を拭いながら優しく声をかけていた。
四者四様の振る舞いを見て笑っていると、体を包んでいた柔らかな感触が逃げるように離れていった。俺の視界には顔を赤くして俯いた紗月が移っている。彼女はすぐに顔を上げると顔色はそのままに照れ笑いを浮かべた。
「ご、ごめんね? なんか我慢できなくて、勢いで飛びついちゃって」
どうやら理性を飛ばしてしまったことを反省しているというか恥じている様子だった。確かにいきなり抱きつかれたのは驚いたし大胆だとは思ったけど、別に謝ることはない。俺は何も迷惑していない。
むしろ紗月を身近に感じられて嬉しかった。ちゃんと紗月からの思いも受け取ることができた気がして嬉しかった。
「重かったでしょ?」
「いや。案外軽かった」
「案外は余計」
結局思っていたことは明かすことになってしまった。まあ紗月のむくれた顔を拝むことができたので問題ない。
「もっと抱きついてくれて良かったのに」
「皆に見られるのは恥ずかしいから、二人っきりの時にね」
「それもそうだな」
確かにさっきは嬉しい気持ちが勝ってたから、周りからの視線なんて気にならなかったけど、冷静になった今は話が違う。こいつら四人だけでなく、関係ない他人からの視線も気になるだろう。
まああと、自分から言っておいてなんなんだが、二人きりでも紗月に抱きつかれるのは恥ずかしい。そんな元も子もないことを考えていると、綾乃が「あっ」と何かに気付いたかのように声を漏らした。
「これで私たち、綺麗に三組のカップルになったね!」
何気なくその一言を聞いていたが、俺はある部分に引っかかりを覚えた。
「綺麗に三組って……もしかして?」
俺はバッと悠那と豪の方を向く。すると二人は恥ずかしそうに縮こまっていた。
「悠那が集合時間に遅れるって珍しいじゃない? 何してたのかなーって思ってたら、二人だけで先に会ってたんだってー」
「私たちのところに合流するときはもうラブラブだったの!」
なるほど。あの遅れるという連絡はそういうことだったのか。悠那は皆で集まる前に宣言通り勝負を決めに行っていたらしい。
そしてその勝負に見事勝ったということか。確かに言われてみれば俺が合流してから、豪と綾乃の距離が近かったような気がする。
「別にラブラブじゃねーよ!」
「でも手繋いで来たじゃない」
「あれは、まあ付き合ってるなら別に普通のことだろ……」
「ひゅー」
「ひゅーって言うな!」
案外豪はこういういじりに耐性がないらしい。いちいち安い煽りに噛みついていた。その様子を見て綾乃が笑っている。
その綾乃を見ていると、彼女がふとこっちを見て目が合った。
「良かったな。まあ別に心配はしてなかったけど」
「ありがとー」
そう言って悠那は微笑んだ。悠那はいつもニコニコしているが、このときの笑顔は心の底から嬉しそうな笑顔だった。
「律希君も良かったねー。見てる感じだと、私との約束なんていらなかったねー」
「あ……。そういやそんな話だったな」
そう言われて思い出す。そういえば図書室の清掃のとき、悠那の告白が成功すれば俺も紗月に告白するという約束をしたんだった。彼女の言う通り、正直そのことは頭から抜け落ちていたけど、まあお互い望む通りになったということで許してもらおう。
「まあ結果良ければということで」
「そうだねー」
悠那はすんなりと受け入れてくれる。そこに豪が紗月と綾乃からのいじりに耐えかねたようで、逃げるように泣きついてきた。
「助けてくれ悠那! あいつらがいじめてくるんだ!」
「はいはーい。よしよーし」
豪が悠那に頭を撫でられている。サイズ感的には立場が逆のはずだったが、まるで親と子供を見ているようだった。
その様子を見て三人で笑っていると、高い位置から低い声が降ってきた。
「お前ら、そろそろ花火見ろよ」
迅は一人冷静な様子でそう言った。ちなみにトウモロコシは全て食い荒らされ、フランクフルトもいつのまにか姿を消していた。
「そうだね。っていうか私動画撮りっぱなしだった! ちゃんと花火映さないと……」
綾乃は慌ててケータイを夜空の方に向ける。豪と悠那もそれに合わせて上の方を向いた。
俺も手を後ろについて、くつろぎながら空に目を向ける。まだ花火大会は序盤も序盤。ただそれでも大規模で派手な花火はどんどん打ち上げられ、真っ暗なキャンバスをカラフルに華やかにダイナミックに彩っていた。
体を震わせるような大きな音を聞きながら、輝く光に目が奪われる。今年で何回目になるか分からないし、正直見慣れているはずだったが、俺は目の前の絶景を新鮮な気持ちで見ていた。
理由は分かっている。去年までは隣に由希がいた。
ただ今年は違う。隣から伝わってくる、いつもと違う体温が、見慣れたはずの光の祭典を違う景色として俺に見せていた。
そんなことを考えていると、左手に温かい何かが優しく覆い被さってきた。それはやがて俺の指の間を縫うようにして絡まってくる。
左を向くと、俺と手を繋いだ紗月がそこにいた。
目が合うと、今まで見たことのない彼女の純粋な笑顔が光に照らされる。
月並みだけど、とても幸せだと思った。
紗月がずっとこの表情でいられるようにしたい。その決意と共に俺は笑顔を返した。
あいつはこの状況を祝福してくれるだろうか。なんだか拗ねてる姿の方が想像できてしまうけど。
俺はお前に背中を押してもらった勢いで、もうちょっと前に進めそうだよ。本当に感謝してる。
本当は俺も引っ張ってやりたいけど、もう今のお前なら俺の助けはいらないだろ? 野球の練習ならいつでも助けてやるから安心しろ。
兄離れされるのは寂しいけど、これからはおとなしく見守らせてもらうよ。
そんな感じに偉そうなことを考えながら、俺は夏の空に咲く火の花を記憶に焼き付けた。




