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1.非通知の告白



 今日日の高校生っていうのは、携帯電話としてスマートフォンを確実に一台は持っているものだ。

 

 俺がまだ小さかった十年以上前の人たちからすれば、その事実はまだまだ先の、近未来的な話に思えるかもしれないが、実際今の日本では、場合によっては中学生や小学生生がスマートフォン片手に道を往来しているのを目にしても、不思議に思わないことの方が多いだろう。

 

 それほどまでに、現代の技術の進歩によるスマートフォンの普及によって、まだランドセルを背負っている小学生から青春を謳歌している高校生に至るまでの子供にとって、「電話」という存在が、簡単に手が届くほどに身近なものとなった。

 

 しかし、携帯電話の「電話」やスマートフォンの「フォン」の部分というのは、逆に昔よりも馴染みが薄いものになっていたりもする。

 

 若者がスマートフォンですることと言えば、ソシャゲで新キャラを手に入れるためにガチャを引いたり、有名クリエイターの動画を見て笑ったり、SNSでアイドルがアップした写真を漁ったりなど、そんな感じだ。薄い長方形を耳にあてがって、「もしもし」と言葉を発する機会というのは、先程挙げた例よりも、断然少ないと言えるだろう。


 だからといって、全く通話機能を使用しないというわけではなく、俺が言いたいのは、電話番号を使用した通話というのをしないということだ。


 その理由としてはやはり、スマートフォンとタイミングを同じくして普及した無料通話・メールアプリの存在が大きいだろう。インターネットさえ接続できていれば、そのアプリ一つで簡単にメッセージのやりとりができて、もちろん通話も可能。どの機能にも基本的に料金は発生せず、長時間通話しても問題なし。中には友達や恋人と夜中に通話しながら寝落ちするなんてこともあるそうだ。今のところなぜか俺にはその機会が訪れてはいないが……。


 というわけで、自分の電話番号を教えることも教えてもらうこともほとんどなく、電話帳に登録されているのは家族だけ。他にあるとすれば、バイト先から連絡がくるくらいだが、それもアプリのグループチャットで済まされることの方が多い。


 だからいきなり自分のスマートフォンが震えだしたとしても、画面に表示されるのは友達の面白おかしいアイコンであることが多く、十桁や十一桁の数字が羅列されていることはほとんどないのだ。


 もし、そんなことがあったときには、滅多にないことに緊張してしまう人も多いのではないだろうか。


 少し前口上が長くなってしまい申し訳ないが、というわけで俺は、自分のケータイの画面を見ながら、心臓の鼓動を少しばかり速くしていた。


 つまり、珍しく俺の所持しているスマートフォンに着信があったのである。


 ただ、画面に表示されていたのは数字ではない。


「非通知って……。家電でしか見たことねーな……」


 ブーブーと鈍い音を立てて震えながら、俺のスマートフォンが示していたのは、「非通知」という漢字三文字だった。電話がかかってくること自体久しいのに、それに加えて非通知という未経験のオプション付き。俺は見慣れないその単語とスマホの画面に、思わず自室でボソッと独り言を呟く。そしてそのまま数秒固まってしまった。


 唸り続けているスマートフォンを見て、なんとか正気を取り戻し、心を落ち着ける。そしてひとまず、どこの誰からの電話なのかを考えた。


 思いついたパターンは二つ。九分九厘そうだろうなと思う方と、もしかすると……と思う方。


 可能性が低い後者から説明すると、これから俺が事件に巻き込まれるというパターンだ。

 ドラマとかで見たことのある凶悪犯というのは、誰かを誘拐した上で、非通知でその人と関係の深い人へと連絡し、身代金を要求したりする。もしかするとこの電話がそれに該当するものかもしれない。


 しかし普通に考えてそれはないだろう。誘拐事件に巻き込まれるなんてのは日本の治安を考慮すればまずないだろうし、そもそもうちには誘拐されるような小さい子供はいない。あるとすれば中二の妹ぐらいだと思うが、さっきリビングでスナック菓子をむさぼり食っているところを見たばかりだ。


 本当に可能性としては一パーセントに満たないと思う。そんなに人に恨まれるような家庭でもないはずだし、あるとすれば絶対にもう一方の方だ。


 というわけで可能性が高い方を説明すると、なんとなくのイメージとして、こういうのは十中八九セールス系の電話だろうというのが俺の見解。家の固定電話でも何度か非通知の状態で着信があったのを見たことがあるが、母さんが面倒くさそうに出て、一瞬で断固拒否の受け答えをしていたのを記憶している。


 この電話もそれ系の電話だと俺はほぼ確信していたが、俺は一つ疑問を抱いた。現在、高校二年でしかない俺に何を売りつけようとしているのかということだ。


 こういう営業の電話というのは、お金に余裕のある家庭を対象としてかけるものだろう。無闇矢鱈にかけているのではなく、どこかから情報を手に入れて、相手がどういう人なのかというのを把握してから、かけているはずだ。興味を持ってもらったとしても、その人に買えるお金がなければ意味が無い。だから家電にかかってくることが多いのだと俺は解釈している。


 ほぼ無一文である一般高校生の俺に何を勧めるつもりなのだろう。一瞬考えたが、すぐに俺は思考を放棄した。


 というのも、俺はこの電話に出ないからだ。別に説明しなくても分かると思うが、こういう販促の電話がかかってきたときの定石として、電話に出ないというものがある。電話に出なければ、長々と話を聞かされることもない。向こうもそこまで積極的でないことが多いので、留守電まで入れてくることはほとんどない。


 それを踏まえて俺は電話に出ないことに決めたのだ。ベッドに座っていた俺はスマホを適当に枕元へと置いて、目を瞑って寝転んだ。


 ……。


 中々鳴り止まないケータイ。俺は仰向けで寝たまま横を向いて、ケータイを視界に入れた。


 このとき、偶々すこぶる機嫌が良かった俺は思ってしまった。今日くらいは出てやるかと。


 向こうも嫌がらせではなく、会社から指示されてやっているだけで、中には無碍にされて心を痛めたりしている人もいるだろう。もしくはノルマ的なやつがあって、決まった人数に話を聞いてもらえなければ、ペナルティーがあったりするのかもしれない。特にその業界に明るいわけではないので、詳しいことは分からないが、今日の俺はそう考えてしまった。


 俺は金持ちではないので、お買い上げとはいかないが、話だけでも興味ある風に聞いてあげよう。そう思った俺は、震えるスマホを手に取り、画面に映った電話のマークに触れてスライドさせて、耳元へと持っていった。


 この選択が人生における最大の分岐点となることなど知る由もなく。


「もしもし?」


 振動し終えたスマホに向かって、電話における通例の挨拶を疑問形で口にする。当然俺は、腰の低い感じで同じ挨拶が返ってきて、自分が何者なのか、どういう用件でかけてきたのかという説明がなされると思っていた。


 しかし、耳元から聞こえてきたのは予想だにしない返答だった。



「私はあなたのことが好きです」



「……はあ。……はい?」


 唐突すぎる、今のシチュエーションに合っていない日本語。俺は躊躇いなく相手の口から放たれたそれを一旦受け取ってみたが、やはり意味が分からなさすぎて、そのまま突き返してしまった。


「あの、もう一回言ってもらって良いですか?」


 聞き間違えの可能性を考慮して、俺は確認のためにもう一度用件を言ってもらうように頼んでみる。

 すると、ごそごそというノイズが一瞬入った後、何か布っぽいもので口元を押さえているのか、先程よりもくぐもった声で、相手方は話し始めた。


「私はあなたのことが好きです」

「……」


 全く同じ内容を耳にする。俺は自分の聞き間違いでも相手の言い間違いでもないことを理解する。

そして、言葉を失った。


 俺が気まぐれで出た非通知の電話は、何かの売り込みでも身代金の要求でもなく、まさかの愛の告白であった。


 脳で理解していても、心が追いついていない。人生で初めて他人から好きだと言われた俺は、激しく動揺しながらも、状況を整理するために、瞑目しながら顎に手をやった。


 取りあえずいくつか質問してみる。


「私はあなたのことが好き……って言いましたよね?」

「はい」

「あなたって俺のことですか?」

「はい」

「私ってあなたのことですか?」

「はい」


 何だ、この意味のない薄い質問は。この状況における登場人物は俺と相手方しかいないのだから、その一人称と二人称が誰を指すかなんて分かりきったことである。


 俺は自分の冷静とはほど遠い精神状態に呆れて、溜息を吐きながら頭を抱えた。


 でもしょうがないだろ。ただでさえ初めての告白される側なのに、こんないきなりでしかも相手が誰か分からないなんて、正気でいられる方がおかしいと思う。俺は心の中で自分に対して、自分の正当性を訴えた。


 そこで俺はある一つの可能性に気付く。それはこの電話が間違い電話、つまり相手方が電話番号を間違えて、偶々俺にかけてしまったという可能性だ。


 俺に誰か他人から好かれるような人生を送ってきた自覚は一切ない。ましてや声を聞く限り、この電話の相手方は女性だ。俺が日常的に関わる女性なんて家族と、あと心当たりがあるのは仲の良い同級生三人くらいだ。今聞いている声とその三人の同級生の声はいずれも合致しないと思う。家族に関しては俺に告白してくるはずがないので、比較もしなかった。


 意図的に声を変えている感じはあるし、先程も言ったように声がこもっていて聞き取りづらい部分があるので、同級生ではないと確信が持てるわけではない。


 それでも、この電話が間違い電話である可能性の方が十分高いと思う。俺は相手方の女性のためにも、早めにそのことを教えてあげた方が良いと思い、俺は一つ確認を挟んだ。


「これ、電話する相手間違ってないですか? 俺が誰だか分かってます?」

「住ヶ谷律希すみがやりつき

「……」


 ……いかにも、俺は住ヶ谷律希という名前の、地元の畝美学園高校に通う高二だ……。得意科目は化学。苦手科目は英語と国語。趣味は野球観戦です。よろしくお願いします。


 おっといかんいかん。即答で俺の本名フルネームが返ってきた衝撃で、思わず自己紹介という形で現実逃避してしまっていた。


 どうやらこの電話、明確に俺に向けてかけてきているらしい。


 そうなってくると、彼女の告白相手は俺ということで確定されてしまう。改めてそのことを認識すると、再び心臓が慌て始めるのを感じた。


「私はあなたのことが好きです」

「……は、はあ。それはどうも」


 なぜか相手方は告白を再び口にした。三度目の告白を受けて、俺は照れながら曖昧な返事を返す。

 自分で言うのもなんだが、正直言って、にやけながら頬を赤に染める自分の姿はマジでキモい。これがお互いの姿が見えない電話で良かったと、俺は勝手にホッとしていた。


 緩んだ表情筋を引き締めるために、ほっぺたを力一杯引っ張る。


「えっと、そう言ってもらえるのはこちらとしても嬉しいんですけど、結局俺はどうすれば良いので?」


 俺はただ単に好きだと言われただけで、その先を何も言われていない。普通に考えて付き合ってくださいと続くのが妥当だとは思うが、告白され慣れていない俺はどう答えて良いのか分からずに、変な質問を繰り出してしまった。


 相手方も戸惑っているのか、俺と彼女との間に気まずい沈黙が流れる。モテる男というのはこういうときどう返答するのだろう。彼女の気持ちを察して先回りするとかか?


 でも相手が誰か分からない以上、簡単に告白を受けるわけにもいかないし、何よりそんな偉そうに俺ごときが上からものを言って良いものか。そんなことをぐだぐだ考えていると、電話の向こうで、大きく息を吸う音がした。


 彼女がしゃべり始めることを察した俺は耳を澄ませる。するとまたもや俺が予想だにしないことを彼女は口にした。



「来週の花火大会で、最後に打ち上げられた花火が消えるまでに、私のことを見付け出してください」



「……はあ?」


 ただでさえ突拍子がない彼女の話の続きは、またもや突拍子のないものだった。


 何度か彼女が言ったことを脳内で繰り返してみる。来週の花火大会? 花火が消えるまで? いろいろ考えてみるが全く意味が分からない。


「その……花火大会って、淀川の花火大会のことですか?」

「はい」


 確かに大阪にある俺の家の近くを流れている淀川では、来週花火大会が行われる。全国的にも結構有名な花火大会で、毎年五十万人を超える人々が、豪快に打ち上げられる花火を見るために淀川へと足を運ぶ。地元民である俺は毎年行っているし、大阪に住んでいる人ならほとんどが行ったことがあるのではないだろうか。


「最後に打ち上げられた花火が消えるまでっていうのは、花火大会が終わるまでっていう解釈であってます?」

「はい」

「それまでにあなたが誰なのか推測して、見つけ出して、声をかけろと?」

「はい」


「……いや、無茶でしょ」


 俺は自分の解釈が相手方の考えと合致しているかを確認した末に、心の中の白旗をブンブン振り回した。


 花火大会があるのは来週の日曜日。今日はそのちょうど一週間前である。この短期間で女性という条件だけで相手が誰なのかに目星をつけて、実際会いに行って声をかけるというのは、どう考えてもただの霊長類ヒト科の俺にはできる気がしなかった。少なくとも瞬間移動とか、人の心を読める力とか、知らない女性に話しかける勇気とかは必要になってくるとは思う。


「ノーヒントで何十億っていう人たちの中から一人を見つけ出すっていうのは、さすがに無理がありますよ。ちょっとくらい手がかりをください」

「……」


 俺は無言を肯定と勝手に捉えて、いくつか質問を繰り出した。


「俺、勝手にあなたのこと女性だと思ってるんですけど、この認識はあってますか?」

「はい」

「どこに住んでるんですか? もしかしてここら辺だったりします? ここら辺っていうのは西淀川区あたりっていう意味なんですけど」

「はい」

「へー」


 俺が住んでいるのは大阪府大阪市西淀川区佃という地域。兵庫県尼崎市の隣に位置する街で大阪の中では田舎の方だと思う。まあ淀川の花火大会を認識しているから、遠くの人ではないというのは察しがついていたが、まさか同じ区内に住んでいるとは。


 場合によっては飛行機に乗ることになるのではとビクビクしていたので、この情報を聞いて俺はホッとした。


「じゃあ、俺と会ったことあります?」

「はい」

「まさか、しゃべったことも?」

「はい」

「マジか」


 電話越しに即答の肯定を聞いて俺は、体を震わせる。そうなってくると、前述した同級生三人の可能性が大幅に上がってくる。俺は頭の中に三人の顔を思い浮かべたが、三人とも俺に告白してくる姿は全く想像できなかった。


 そしてそれはその先も同じ。俺がその子たちの中の一人と付き合うなんて考えられない。まあそう考えたい人が一人いるのだが。


 そこで俺は気付いたことが一つあった。


「すいません。もし俺があなたを見付けられたとして、結局どうなるんですか? 付き合えってことですか?」


 俺は一旦彼女の素性調査を後回しにして、この話の行く末を明らかにしようとした。先程も同じような質問をしたはずだが、彼女が示したのは俺の取るべき行動のみ。本当に知りたかったのは、行動を取った後の話だ。


 もう自分が偉そうだとかいう考えはベッドの隣に置いたゴミ箱へと捨てて、ストレートに彼女へと尋ねる。


「……」


 彼女はまた黙りこくってしまった。この電話を通して彼女はずっと自分の言いたいことと肯定を意味する「はい」という言葉しか発していない。都合が悪いことには答えないつもりなのだろうか。


 でも俺のことが好きなのであれば、やはり付き合ってくださいに繋がるのが普通だろう。そうでなければこの告白の意味が分からない。ただ思いを伝えたかったという希有なパターンもあるのだろうか。恋愛については赤ん坊と同レベルの知識しかないので、俺には判断がつかない。


 正直こんな回りくどい方法をとらなくても、面と向かって好きだと言われてしまえば、俺はまんざらでもなくなってしまうんだけどなあと、だらしないことを考えていると、息を吸うときのノイズが俺の右耳の鼓膜を揺らした。


 そして彼女の震えたような不安定な声がその後に続いた。


「もしあなたが私を見付けられなかった場合……」

 そこで一旦一呼吸置かれる。彼女が答えようとしているのは、俺が失敗したルートのゴールについてだった。


 俺の質問が無視されたことを悲しみながらも、この後に成功ルートも答えてくれるだろうと勝手に思い込み、俺は口を挟まずに彼女の言葉を待った。


 今思えばここで無理にでも口を挟んでおくべきだったのかもしれない。


 彼女に続きを口にさせるべきではなかったのかもしれない。



「私は……自殺します」



 苦し紛れに絞り出したような声だった。


 何かを諦めたような寂しい声だった。


 彼女が発した言葉を解析した俺の脳は思考を一度停止させる。再び俺の部屋が無音に包まれ、窓から入ってきた真夏特有の生ぬるい風が俺の首元を掠めていく。


 吐き気がするほど気持ち悪かった。


 時間をかけて再起動を果たした俺だったが、表情は困惑一色で、ぎこちなく頬を引きつらせていた。


「いやあ、さすがに冗談ですよね? 自殺なんて」

「……」

「冗談だとしても趣味悪いですよ」

「……」


 電話からは何の物音も聞こえてこない。今まで肯定として捉えていたはずの彼女の沈黙は、このときばかりはなぜか否定としてしか捉えることができなかった。


 彼女は俺のことが好きで、花火大会が終わるまでに俺から見付けられなければ、自ら命を絶つと言った。改めて並べてみると、全く流れのない起承転結になっていることが分かる。俺が何度も言葉を失うのも無理がないと自分でも思える。


 特に結びの部分だけは、心の底から納得がいかなかった。どうしてそんなことをする必要があるのか。何としても考え直してほしいと俺は心の中で怒りにも似た感情を抱えていた。


「本気で言ってるんですか?」

「……」

「考え直した方が良いですよ」

「……」


 ダメだ。何を言っても彼女が俺の言葉を受け取ってくれることはない。ここは挑発でも何でも良いから策を講じて、彼女の心を動かさなければ。そう思った直後に、彼女の声が耳元から流れ始めた。


「用件は伝えました。それではこれで」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」


 一方的に切られる予感がして、咄嗟に引き留める言葉を捻り出す。準備ができていなかったために声のボリュームがおかしくなってしまった。意味が無いと理解しつつも自分の口元を押さえる。


 家族に怪しまれていないことを願いつつ、意識を電話に戻す。ブチッという音が聞こえていないので、まだ電話は繋がっているだろう。


 俺は止めた勢いのまま、彼女の情に訴えかけるように、声に抑揚を付けてしゃべった。


「なんでこんなやり方になるんですか? 普通に会って伝えてくれれば俺はいろいろと前向きに考えますよ。自分の命で脅してまで、こんな回りくどい方法をとる意味が分からないですよ!」


 別に演技でもない本当に思ったことを口に出す。彼女がここまでして、俺に思いを伝え、俺を動かそうとしている意味が分からなかった。


「……」


 それでもやはり彼女は答えない。電話の向こうからは、何の動きも伝わってこない。


 ただただ虚しい空気が、通話のノイズと一緒に俺の元へと流れ込んでくる。俺はどうしたものかと、一旦耳からスマホを離そうとした。


 そのとき。


「私は」


 掠れた声が僅かに聞こえたような気がした。慌てて俺はスマホを耳に押し付ける。



「私はこうじゃないと、伝えられないから」



 次ははっきりと聞こえた。はっきりとした冷たい声だった。


 俺が何も反応できずにいると、彼女は言葉を続けた。



「私はこうでもしないと、あなたの印象に残れないから」



 今度は縋るような、震えた笑い声のような、そんな声だった。


 今までの淡々とした、事実を報告しているだけのような声とは違う、彼女の思いが乗った声に俺は呆気にとられて、口を開けたままボーッとしてしまっていた。


「それでは」

「……あ、ちょっと待って――」


 その隙を突くかのように、短く別れの挨拶をした彼女は、遅れた俺の制止を聞くことなく電話を切ってしまった。プープーという通話が切れたことを示す無機質な音が俺の耳を支配している。画面を見ると、通話終了の文字が目に入った。


 俺はスマホを持ったまま脱力してベッドに寝転ぶ。そして、目を瞑って巨大な溜息を吐いた。


「なんか面倒なことに巻き込まれちまったなあ」


 率直な感想を、誰に伝えるでもなく声に出す。すると外にいる蝉が数匹合唱するように鳴きだした。もしかしたら俺に同情してくれているのかもしれない。


 改めて俺がお願いされたというか頼まれたというか強要されたことを整理すると、来週行われる淀川の花火大会が終わるまでに、先程告白してきてくれた相手が誰なのか突き止めなければならない。ヒントは近所に住んでいて俺が会って話したことがある女性。もし俺がこのミッションを失敗すれば、彼女は自ら命を絶つらしい。


「横暴だ。俺の責任重すぎるし」


 俺は納得がいかないことを、天井に向かって訴えた。


 いきなりお前のせいで誰かが死ぬかもしれないと言われても実感が湧かないし、誰の命なのかが明確になっていない以上、なんとかしてあげなきゃという思いより、なんでこんなことしなくちゃならんのだという反感の方が強くなってしまう。


 俺がヒーロー気質の正義感が強い男であれば、迷いなく探し出そうとしていたのかもしれないが、残念なことに俺は器が広くないし、自己犠牲にはある程度の躊躇いがある。ましてや今回のような突拍子も現実味もない話だと、何のメリットも無しに動こうとは簡単に思えないのだ。


「いっそ無視するか。悪戯電話かもしれないし」


 さっきも言ったようにこの話は現実味がない。俺が見付けられなければ死ぬという部分もそうだし、何より俺が誰かに好かれているという部分が信じられない。自分で言っていて悲しくなってくるが。


 その点を加味しても、さっきの電話が愉快犯による悪戯電話という線も十分にあるだろう。付き合うだけ時間の無駄なのかもしれない。


 そもそも素直に電話の内容を聞き入れていた自分がおかしかったのだ。真面目にどうしようか考えながら聞いていた自分が馬鹿らしくなってくる。


 情報量が多い話を聞かされ、いろいろと思考を巡らせていたせいで気疲れを覚えた俺は、一度大きく息を吐いた。


 左腕で両目を覆い、体の力を抜いてリラックスする。すると、電話から聞こえてきた彼女の声がフラッシュバックした。



 ――私はこうじゃないと、伝えられないから。

 悲しみにくれた声だった。



 ――私はこうでもしないと、あなたの印象に残れないから。

 どこかで聞いたことのあるような声だった。



 なぜかこの二言だけは俺を逃がしてくれなかった。誰の声なのかは分からなかったけど、懐かしさと寂しさに満ちたその声から目を逸らすことができなかった。


「マジで面倒くさいな……」


 手を後頭部で組んで、枕のようにしながら、俺は不平を吐く。あの二言がなければ俺は無視していたかもしれない。


 でも今の俺は、夏休みの宿題でも、今晩の夕飯でも、プロ野球の試合結果でもなく、電話してきた彼女の顔を想像して思い浮かべていた。


「どうしたもんかねえ……」


 一言そうぼやいて、俺は目を瞑る。それから母親に夕飯で呼び出されるまでずっと、彼女の声を脳内で再生し続けた。蝉の鳴き声なんて気にならなくなるくらいに。


 やっぱり聞いたことがある声だなと、改めて思いながらリビングへと向かった。


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