「君に愛はないから実家に帰れ」と言ってきた狼王子様が、酔った途端にデレデレになるのなんで!?
三人称神視点に挑戦しました。笑っていただけたりニヤニヤ見守っていただけたりしましたら、とても嬉しいです。
「長旅ご苦労。だが、君を愛する気はないから今すぐ実家に帰れ。婚約はすぐに破棄する」
狼王子の婚約者として城を訪れたシープに告げられたのは、そんな冷たい言葉だった。広い謁見の間の玉座に座るのは狼族の王子、オルフ。暗い茶色の髪と金の瞳をもつ彼の頭には、種族を主張するかのような大きな耳がぴんと立っている。睨むようにシープを見ていた彼は、ふんと鼻を鳴らして明後日の方向に顔を向けた。
「何か失礼がございましたらお詫びいたします。ですが、わたしたちの婚約は羊族と狼族の未来に繋がるもの。愛してくださいとは申しません。どうか、このままお傍に置いていただけないでしょうか……」
優雅な礼を維持したまま、シープが震えそうになる声を紡いだ。玉座に座る狼王子の形相も威圧もすさまじく、帰ってよいなら今すぐ帰りたい、という恐怖を必死で押し隠す。
シープの祖国は遊牧民の暮らす小国だ。戦に強い狼族の国と争いになれば即時白旗を上げるしかないような弱国。狼族と羊族は争っているわけではないが、間に挟まっていた黒豹族が狼族に吸収され、隣国になったばかり。
シープは戦の可能性を少しでも減らし、友好を保つために献上された人質のようなものだった。帰れと言われてはいそうですかと帰れる立場にない。
「二度は言わん。下がれ」
横に顔を向けたまま、オルフは腕と足を組み替えた。眉間に深いしわを刻んだ彼も、心の内を隠すために必死だった。
(こここ、こんな美人が婚約者だなんて聞いてないぞ! 傍に置いて襲わない自信がない! 無理だ!!)
次期王として武芸の稽古と勉学に打ち込み続けてきた彼は、女性への免疫がまるでなかった。
父から唐突に婚約者の存在を聞かされたのはついさっき。「父も母も急用ができた。代わりに対応ヨロ」という軽いノリで一人謁見の間に投げ込まれた彼は、見たこともないほどの美人と対面してテンパっていた。実際にはオルフの背後に護衛の騎士が二人立っているのだが、己の職務に忠実な彼らはほぼ気配を消している。
謁見の間に現れた羊族の姫はとにかく美しかった。真っ白でふわふわの長い髪の上に、小ぶりの耳がちょこんと乗っている。薄く色づいた唇はつややかで、宝石のような赤い瞳は美しすぎて直視できない。豊かな胸も、ふっくらとしたお尻も、オルフには刺激が強かった。激しい動悸と頭に上ってくる熱に戸惑い、とにかく彼女から離れねばと考えたがゆえの拒絶だ。
急用とは真っ赤な嘘だった両親と、物見遊山気分で寄ってきた若い宰相が、謁見の間に繋がる扉からこそっと覗いていることも知らず。鼻の下が伸びそうになるのを渋面で隠したオルフは、一刻も早くこの謁見を終わらせることに必死だ。
「話は終わりだ。俺は失礼する」
「あっ、お待ちくださ――」
「失礼いたします!」
オルフが玉座を立ちかけたその瞬間、謁見の間の扉が開けられた。まだ若い宰相はつかつかと大股でオルフの傍まで歩み寄り、うやうやしく頭を下げる。宰相も王から「どうにかしてこい。君ならできる。ヨロ!」と雑に謁見の間に投げ込まれたばかりだったが、優秀な彼は余裕な態度を保っていた。
(……どうにかって、どうしろと??)
と、実際にはかなり困っていたのだが。しかしオルフが宰相を見てほっとしたような顔をしたため、仕方なく必死で考えた。
「殿下、謁見一つで追い返してしまうと国交に障ります。ここはひとつ、一緒に食事をなさっていただけませんでしょうか」
「食事ぃ!?」
玉座からずり落ちかけたオルフは、目を見開いて宰相を見る。眼鏡をキラッと光らせた宰相は、「わたくしめにお任せください」と虚勢を張った。今宵の晩餐はシープ姫を迎えてのものになると、城の者たちが前々から準備していたことを知っていたので、まあどうにかなるだろうと算段をつけながら。
「オルフ殿下! ぜひ、わたしにチャンスをくださいませ。両国の将来について語り合いたく思います」
突然降ってわいた助け船に、シープは慌てて乗った。祖国の未来がかかっているかもしれない婚約、破棄されるわけにはいかない。色仕掛けでも何でもしなければと、手をぐっと握る。
(ってぇ、色仕掛け!? ど、どうすれば……!?)
冷や汗をだらだら流しながら、穏やかな笑みをどうにか維持するシープと。
(食事!? 女性と……食事!? な、何を話せば……!?)
心臓をばっくんばっくん打ち鳴らしながら、難しい顔を必死に浮かべるオルフ。
そんな二人を順に眺めた宰相は、ふむとあごに手を当てた。「下戸な殿下が飲めるギリギリの量の酒を出しましょう」という宰相の提案に、王と王妃がイイ笑顔でゴーサインを出すのはしばし後のこと。
◇
すぐにシープとオルフの晩餐の準備が整えられた。本来なら王族が食事をするような場ではない、狭い会議室。四人掛けの長方形のテーブルに椅子が四つ並べられていた。うち二つは王と王妃のもので、仲睦まじさを表すように横並びになっている。となれば必然的に、オルフとシープはその向かい。テーブルが小さいせいで椅子同士の距離も近い。
ちなみに本来のダイニングは『突然床が水浸しになって使えない』と説明され、王と王妃からは『急な来客があったので食事は別でとる。今日は若い二人でヨロ』と聞かされている。ただし、王と王妃が自分たちの食事もとらずに隣の部屋で聞き耳を立てていることと、宰相が興味津々で廊下から様子をうかがっていることは知らされていない。
(ふ、ふたりっきりで食事だと……!?)
少し手を伸ばせばぶつかりそうな距離に美女が座っている。それだけでオルフは落ち着かなくなった。しかも着替えて現れた彼女は胸元が大きく開いたドレスに身を包んでおり、視線のやり場に困る。
一方のシープも、大きな胸を強調するドレスには不慣れであり、顔から火が出そうなことに必死に耐えていた。
(いざという時のため、と持たされたドレスだけど……恥ずかしすぎるっ。でも婚約を破棄されるわけにはいかないの。色仕掛けよ、色仕掛け。頑張れわたし……!)
羞恥心と戦いながら、シープは両腕で胸をぐっと寄せてオルフ側にほんの少し上体を傾けた。彼の視線がちらっと胸元に向けられたことに気が付いて、(みっ、見ないでえ……!)と内心半泣きになりながらも、穏やかな笑みを浮かべる。
「こちらの国の郷土料理には、どういったものが多いのでしょうか?」
「そ、そうだな。狩猟民族ゆえ、肉を使った料理が多いな。また、肉料理に合う赤ワインも多く生産されている」
「まあ、素敵ですね。本日のこのワインも、地元の特産品でしょうか?」
「あ、ああ……」
ちらり、とオルフはワイングラスに注がれた赤い液体に目を向けた。オルフは下戸なので、来客時にはワインではなくブドウジュースを出させることにしている。自分のグラスの中身とシープのそれを見比べ、同じに見えたことに安堵した。これならジュースだとはわからないだろうと――実際には正真正銘、同じワインが注がれているのだが。
(会話が続けられん! 早く食事を終わらせなければ!!)
そう考えたオルフは、グラスを手に持った。乾杯してから赤い液体を口に運ぶ。
「!?」
飲み込む瞬間にブドウジュースならばありえない喉の焼けつきを感じ、目を見開いた。これは酒ではないかと叫びだしたい気持ちを押さえ、そっとグラスをテーブルに戻す。
「あの、どうかされましたか……?」
シープはオルフの様子が変わったことに気付き、おそるおそる声をかけた。飲んだワインが口に合わなかったのだろうか、機嫌を損ねていたらどうしよう、と気が気ではない。オルフが据わった目を向けてきたので、シープはびくりと体を硬直させた。
「……君は」
「は、はい」
「どうしてそんなに美しいんだ」
「はい?」
聞き間違いかとシープは目を瞬いたが、自分を見つめているオルフは真顔。記憶をたどっても確かに彼はなぜ美しいのかと問うていた。
「君のふわふわな毛皮に触れたい」
オルフの手が伸び、シープの髪に触れる。彼の少し潤んだ瞳はやけに艶っぽく、シープは体中の血がぶわっと顔に上ってくるのを感じた。シープが体を硬直させているうちに、オルフが白くふわふわの髪を一房持ち上げて唇を落とす。
「あっ、あのう」
「君を喰べてもよいだろうか」
「さっきとキャラ違いません!?」
キャラどころか言っていることが真逆なのだが、それを指摘する余裕はシープにはなかった。オルフの片腕がシープの座る椅子の背もたれに乗せられ、凛々しい顔がぐんぐん近づいてきたからだ。
(ど、どうしよう! 色仕掛けでも何でもしなきゃとは思ってたけど、これはちょっと展開が早すぎない!?)
唇同士が触れ合いそうになった、その寸前。
「失礼いたします!」
音を立てて会議室の扉が開けられた。廊下に眼鏡をかけた若い宰相が立っていることに安堵しかけたシープは、すぐに慌てることになった。オルフの体がぐらっと傾いで、シープに体重を預けてきたからだ。布越しに感じる固い筋肉に、シープの心拍がさらに上がる。
「――なぜ止めた宰相ォ! いいところだっただろお!?」
動かなくなったオルフの様子をうかがう間もなく、シープの知らない男性が駆け込んでくる。彼がこの国の王だと知らないシープは、頭の上にハテナを浮かべながら目を瞬いた。
「限界かと思いまして。このように、殿下がお眠りでございます」
「ええ……??」
確認してみると、彼は確かに目を閉じて寝息を立てていた。「そんなことある!?」と叫びたい気持ちをぐっとこらえ、シープは王に目を向けた。誰かはわからなかったが、間違いなく身分の高い男性。本来立ち上がってお辞儀をすべきタイミングだが、オルフがもたれかかっているせいで動けない。仕方なくその場で精一杯頭を下げた。
「このような体勢でのご挨拶となり申し訳ございません」
「ああ、よい。倅が失礼をした。歓迎するぞ、羊族の姫」
「もったいなきお言葉にございます……!」
まさかこんな形で王と対面するとは夢にも思わない。混乱ゆえに言葉が何も出てこなくなったシープは、黙って頭を下げ続けた。その上に宰相の静かな声が降ってくる。
「陛下、このまま殿下を寝室にお運びいたしましょう。お風邪を召されない程度に着衣も乱しておきましょう。そして明日の朝、皆で申し上げるのです。昨夜はお楽しみでしたね――と」
シープも『お楽しみ』の意味がわからないほど子供ではない。(ひょえっ、既成事実の捏造!?)という気持ちで冷や汗をダラダラ流していたら、宰相がシープに目を向けた。
「ああ、姫にとって不名誉な噂が流れないよう、情報統制はしっかり行いますので、ご心配なく」
「えっとお……!」
そうじゃないそういうことじゃない、とはシープには言えなかった。色仕掛けでも何でもして婚約を繋ぎ止めようと考えていたのだ、彼の案には乗るしかない。だが狼族の王はシープとオルフの婚約を歓迎してくれているらしいと察してほっとした。
「よ、よろしくお願いいたします」
「お任せを。陛下もそれでよろしいでしょうか」
「うむ。あとはヨロ」
「はっ」
一つうなずいてから去っていった王の腹から、ぐううと腹の虫が聞こえてきたが、シープは聞かなかったことにした。
◇
翌朝。宰相の完璧な根回しにより、皆から「昨夜はお楽しみでしたね」と言われ続けたオルフは、
(なぜだ。なぜ俺は一番オイシイところの記憶がないんだあっ!)
と身悶えしつつも、手を出したからには責任を取らねばなるまいと婚約を承諾し。
朝から王妃に呼び出され、「さあこの国の妃教育を始めましょうね。床でのお作法も違うでしょうから、それも大事よね」と笑顔で言われたシープは、
(ひょえっ。床っていうのは、それはつまり、初夜のお作法ということ……!?)
布越しに感じたオルフの固い肉体を思い出してしまって真っ赤になった。
そんな二人を眺めた王と王妃は、
「結婚式はすぐでいいか」
「盛大な式にしましょうねぇ。孫の顔が早く見たいわあ」
と頷き合い、揃って宰相に、
「「準備ヨロ」」
と告げるのであった。
ちなみに本当の初夜になってようやくオルフは『初日に手など出してはいなかった』と知るのだが、それはまた、別の話。
読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんでいただけましたら、下部の☆☆☆☆☆を★★★★★に変えていただけるととても嬉しいです。
(追記)タグの「ハッピーエンド」が「パッピーエンド」になっていた誤字を修正しました。パパエンドってなんですか? パッピーで一日笑えそうです。
(追記2)いただいたファンアートを下部のランキングタグ部分に追記させていただきました。ありがとうございます!