case002:田舎町の居酒屋にて。
午後8時。
約束の時間になったが、高校以来の友人──真崎はまだ来ない。まあ、時間にルーズなのは相変わらずか。
田舎町でも週末の繁華街は賑やかだ。まだ早い時間だと思うが、スーツ姿の三人組が上司らしき人物の愚直を大声で口にしながら、次の店に向かって歩いていく。
彼らが出てきたのが目的の居酒屋だ。
大きな店ではないが、あまりメジャーではないが俺の好きな銘柄の東酒が置いてある事から、それなり通っている個人経営の店だ。
春先はまだ冷えるな。
いつもの事なので、俺は先に暖簾をくぐった。
「いらっしゃいませ~。‥‥小暮さん、ちょっと久し振り?」
少し間延びした声はバイトの平沢さんだ。おっとり系で地味可愛い、近場の大学生らしいが、すっかりこの店の看板娘だ。
「年度末は忙しくてね。あ、後で連れが来るんで奥の席、空いてるかい?」
「はい、大丈夫です~」
彼女ののんびりとした返事に、少し奥まった先にある座敷の席に上がり込む。四人掛けの席だが歓迎会のシーズンも過ぎたので迷惑にはならないと思う。
「お飲物は何にします?」
「うーん、今日のオススメは何にがあるかな?」
温かいおしぼりを受け取って、聞いてみる。普段なら一杯目はビールと揚げ物が定番だけど、真崎はもうしばらく来ないだろうし、ゆっくり楽しめる方が良い。
「山菜の天ぷらですかね~。近場の物が出回るようになったんで、美味しいですよ~」
もうそんな時期か。
サクッと揚がった衣とほろ苦い味を思い浮かべると、すっかり天ぷらの口になってしまった。
山菜の天ぷら盛り合わせと、お気に入りの東酒を注文する。
「お待たせしました、小海御前の熱燗です~」
「お、コレコレ」
待つことしばし。
真崎、なんか折り入って頼みがあるとか言っていた割に、相変わらずだよな。まあ、頼みっていうのも、またイベントがーとかそんなだとは思うが。
そんな事を考えていたら、平沢さんがお銚子とお猪口を持って来てくれた。
手酌で少し青みがかかった透明な酒を注いで、まず一口。
────ウマイ。
この国というか大陸東部は米が主食で、稲作が盛んだ。当然、東酒も其々の産地で造られているが、この小海御前は北部にある静春という町の酒だ。広大な古くから手付かずの樹海の畔にあって、樹海から流れる清流で造られるそうだ。
常温や冷酒としては中の中といった所だが、所謂燗上がりの酒で、熱燗だと芳醇な香りとほのかな甘味、そしてこの静春にある湖のような色合いになる。
名前の由来は、その昔あの地方を治めていた姫君だそうだ。
「や、待たせたね?」
好みの酒につい饒舌になってしまいそうな所で、ようやく真崎がやってきた。
真崎静華。高校時代、部活動が強制だったため入った現代美術部───実態はアニメやら漫画の同好の集まりだったが──その仲間の一人だ。
長い黒髪は無造作に束ね、化粧っ気もほとんどない。顔は少々童顔気味だが悪くないのに、身だしなみには気を使わない残念美人である。
そろそろアラサーと言われる年齢なのだが、本人は恋愛よりも趣味が大事そうだ。
「天ぷら盛り合わせお待たせです~。今日はふきのとう、タラの芽、こごみに筍ですよー~」
「わ、美味しそうだね。平沢ちゃん、私も天ぷらと生、お願いー」
次いでお待ちかねの天ぷらが到着。揚げたてのそれを見て真崎も注文を決めたようだ。
すぐに生ビールを持って平沢さんが帰ってくると、にこやかに受け取って。
「まずはお疲れー」
「おう」
ジョッキとお猪口で乾杯はあれだけど。
コクコクと旨そうにビールを流し込み、ぷはっと息を吐く。
「仕事上がりのビール最高ね!」
「この時間までやってたのか?」
知り合いの多くは帝都の大学(まあピンからキリまで色々だが)に流れたが、俺と真崎は紅坂にある大学に入った。
二人共に特に目標があった訳ではないので、自宅から通えてそこそこの大学を安易に選んだのだが、卒業後、俺はWebのデザインなどを手掛ける会社に滑り込み、真崎は大学に残って研究員になった。
「近年は残業にするなってうるさいんだけど、来週末の急遽遠征組に入れる事になってね。その確認と資料集めてたら、時間ぎりぎりでさー」
「いや、約束の時間は結構過ぎてるだろ。んで、遠征?」
とりあえず、先に来ていた天ぷらを二人で摘まむ。
まずはタラの芽。ふっくらとしていて、これぞ春の味。これは酒が進みそうだ。
「そう、祐希のお気に入りのお酒の産地の静春にね。正しくは、静月の樹海だけど」
俺が注ぎ足している東酒を指して真崎はニヤリと笑う。
「妖精学ねぇ」
真崎が研究している妖精学。そう、ファンタジーでは定番の、あの妖精だ。
古く逸話や民話に登場し、北ブリューゲン辺りでは今も信じている人は多いらしいが(妖精が住んでいると言われる森に行くと《妖精注意》なんて看板も立っているそうだ)
「あそこの言い伝えでは、あの森が《妖精の森》らしいのよね。それで地元の人はあまり近付かないとか。まあ、国際自然保護区指定されてるからってのがあるから、開発とか出来ないんだけど‥‥あ、平沢ちゃん、生おかわりねー!」
ジョッキを飲み干して、真崎は追加を頼むと、自分の分の天ぷら盛り合わせはまだだがメニューを開く。
真崎はビール党で、色々迷っているようだが、とりあえず序盤戦は揚げ物だろうな。
俺も熱燗の残りもわずか、天ぷらも二人で分けたので残っていない。次はどうするか。
「人類は宇宙に飛び出し、月に足跡を残すようになったというのに、実在してるのかね」
「魔法や奇跡なんてのは学会じゃ異端だけどね。うちの業界では二千年くらい前までは妖精達と交流は普通にあって、徐々に魔法は衰退、妖精は妖精界に姿を消したってのが定説だけど」
平沢さんが、ビールのおかわりと天ぷらを持って来てくれた。
俺は結局同じ銘柄と、アサリの酒蒸し。真崎は鳥の唐揚げを追加で頼む。
「妖精はロマンなのよ」
ジョッキ片手に力説する真崎。俺も最近は学生の頃のように時間は取れないが、ラノベ読んだりオンラインのゲームなんかは続いている口なので、それには同意する。
「で、頼みってのは、その遠征関係か?」
「あー‥‥うん、元々は先輩が行く予定だったんだけど、奥さんの出産予定日に被っているのを忘れてたらしく、ちょっと修羅場になりまして」
そりゃそうだ。
「変わりに私が行く事になったんだけど旅費は自己負担で‥‥‥ごめん、お土産にお酒買ってくるんで三万ほど貸して下さい」
「‥‥もうすぐ月末で給料入れるだろ」
「それがー‥‥星海のガチャで課金を~」
おい、まさか今週実装のアルティメットガチャか?
星海歌姫メルティ覚醒ver.なのか?
「‥‥‥‥で、出たのか?」
「頑張って、完凸させましたー☆」
このぉ、俺だって欲しかったんだぞ‼あの強化バフが所持するだけで連合体勢力にパッシブで追加されるという!
その夜の飲み会は、国内最大規模の人気を誇るオンラインゲーム《星の海のフロンティア》の艦隊編成の話題で盛り上がった。